見出し画像

100%という価値

皆さんこんばんは、しゃっくです。

いつの間にか7月も最終日になってしまいました。ギリギリまで更新しないクセ、よくないですね…

先日、7月8日に公開されました「希望と絶望 その涙を誰も知らない」を観に行きました。
その感想として、6月28日に開催された「渡邉美穂 卒業セレモニー」と関連づけて考えられることが多かったので、本記事にまとめてみます。

以下、映画のネタバレを完全に含みます。また、100%私見で記載しています。
ちなみに前作の感想はこちら。



アイドルグループと向き合うということ

映画は前作「3年目のデビュー」にて、東京ドームへの道程がはっきりと(一度は)示されたところから始まります。
そんな中で到来したコロナ禍。そこから続く葛藤・軋轢を共にしながら、再度東京ドームをめざすまでの道程が描かれています。

映画の感想について、ファーストインプレッションを誤解を恐れずにいうと、「どういうスタンスで日向坂46を応援すればいいかわからなくなった」ということです。
もちろん今日も、明日からも応援することに変わりはありません。ただ、自分が1ファンとして、グループに、彼女たちに、何を求めているかわからなくなりました。

映画の中でキャプテン佐々木久美さんが語っていた「ストーリーとして見てほしくない」この言葉はまさにその通りだと思っていて、決して美談では語れない厳しさがそこにはありました。
ただ、そのような状況に陥らせたのは一体誰なのか。もしかしたら、我々ファンなのではないか、ということです。


「絶望」を与えたのは「コロナ禍」なのか

コロナ禍に突入した当時、メンバーは私が思っていたよりもそれをネガティブに考えていない印象を受けました。
オンラインライブでも観客がいるような感じでできた、というメンバーコメントもあり、このシーンだけでは「絶望」は感じられませんでした。

ただし、きっとそれは想定よりも長期化してしまったのでしょう。作中ではライブがオンラインであることにギャップを覚えてきます。
観客からのリアルタイムなリアクションが感じられないことは、リハーサルと同じ様にやっているだけ、というメンバーコメントにも繋がるのかなと思います。

ここで現れたモチベーションの歪み、意識のずれが、2021年の状況に現れたと考えると納得がいきます。

去年のW-KEYAKI FES. 2日目、30度を超えるコンディションの中でのライブは私も参戦していました。
個人的にはコロナ禍後初のリアルライブだったこともあってめちゃくちゃ楽しめたのですが、
「大人」からのコメントは映画で示された通り厳しいもの。
もちろんそれは期待の裏返しでもあることは自分もわかってはいるのですが、過酷な条件のライブをやり切り、さらに翌日も公演を控えている中でのあのコメントは、マイナスな方向に刺さると思いながら観ていました。

(あの日、終演は17:30頃で、駐車場での待機もあり富士急を出たのは19時過ぎだったのですが、翌日のリハが聞こえてきました… ライブの後に翌日のリハ、あらためて凄いスケジュールですよね)

決して運営批判をしたいわけではないので、その裏を考えてみると、それはファンからの(過剰な)期待なのかもな、とちょっと思ったのです。

もちろんダンスは揃っているに越したことはない。盛り上げる力は大きい方がいい。
けれど、そこまでして彼女らを追い込むのは、正直観ていて辛かったです。
それを感じさせるのがドキュメンタリーならでは、だというのもわかってはいますが。
我々の求めているものが、肥大化し過ぎているのかもしれません。

「鬼教官」と呼んでいたマネージャーさんへの加藤さんの想いが「レコメン!」で語られていた通り、叱ってくれる人の存在が彼女たちを支えているのも事実です。
ただし、これは私自身が叱られることが大の苦手なのもあるのですが、それが原因で「常に100%を求められている」ことへの責任感が、マイナスな方向を指してしまわないかという心配が生まれました。

そんな自分の中での「ファンとしての葛藤」を通して、どういう気持ちで応援すればいいのかわからない、という感情が芽生えてしまいました。


100%を追い求める葛藤

常に100%を求められる、それを感じさせている印象的なシーンが加藤さんの「君しか勝たん」リリース時期の満身創痍っぷりです。
加藤さんは映画の中で「仕事がなくなるかもしれない」という危機感を持っていました。
ひらがなけやき初期、あるいは最初の緊急事態宣言時の「仕事のなかった状態」に置かれることへの不安を経験しているからこその感じ方なのかもしれません。

映画の中で語られていた「がむしゃらさ」、それが日向坂46の魅力であることは私もそうだと思います。
ただ、それを出すための100%稼働とはわかっていても、メンバーの心身状態にただならぬ影響を与えてしまうことがあっては、その価値は一体なんなのか考えてしまいます。

一ファンの立場として考えるのは、メンバーには本当に無理をしてほしくないということです。
しかしながらそれは、手を抜いてほしい、と言っている意味ではないということ。曲披露の場面では(曲による例外はありますが)キチッと決めたパフォーマンスが観たいし、ライブのクオリティを落としてほしくはない。ただそれは本人たちも百も承知なはず。
そうした欲求に対して我々一人ひとりが折り合いをつけなければ、どんどん高くなってしまうばかりだな、と。

自分に厳しいがゆえに追い込んでしまい、体調不良になってしまう。そんな光景が多々見られている。グループとしては好ましくない事態です。
もちろん、プロ意識が高いことは尊敬します。その抜けたメンバーをカバーし合うことができるのは日向坂の良さですし、そうした仲間想いな面も胸を打たれます。
ただし、(他にもいろんな要因があれど)事実として日向坂2期生9人が同じステージに一緒に立つことは、特に改名後は数えるほどしかなかったのです。


ついに叶った東京ドーム公演。しかし、そこに22人で立てないことを知った時のメンバーの表情は忘れられません。
だからこそ、22人、特に2期生9人全員が揃った渡邉美穂さんの卒セレは、そこにメンバー全員がいることの大きさを身に染みて感じたのです。

9人での「半分の記憶」「沈黙が愛なら」。さらに上村さんを加えた「君のために何ができるだろう」。最後の披露は、メンバーそれぞれの5年間の成長を目に焼き付けることができたと思います。


かつて、「21」という数字に固執していたことがありました。
常に変化をしていくグループにおいて、その数字に縛られることは確かにマイナスな方向にも作用したと、今振り返ると思います。
でもそれは、その数字が、というよりも、100%が揃っている、ということに意味を持っていたんだと思います。

ひらがなけやき2期生。私が坂道グループを好きになってから、初めてオーディションからしっかり追ってきた、思い入れのある期です。
だからこそ最後に9人、決して状態は100%ではないかもしれないけれど、揃った姿を見ることができたのは嬉しかった。

100%の価値は、とても尊いものでした。


「おひさま」であるにあたって

東京ドーム公演を終えて、日向坂46としては一つの区切りを迎えると思っています。

私が前作の公開時に記載した感想です。時期はともかく、2期生からの卒業、4期生の加入、まさに新章を迎えそうな感覚があります。

私がグループに、彼女一人ひとりに求めていること、それは結局のところ、その存在なんだと思います。

だから全力の彼女たちを応援したいし、けれど無理はしてほしくない。
卒業は寂しいけれど、変化は避けられない。
100%の存在で見られることも、その先の曲を取り巻く変化も楽しんでいきたい。
メンバー皆1人の人間であることを尊重しながら、応援していきたいなとあらためて思いました。



渡邉美穂さん、ご卒業おめでとうございます。
美穂さんのいるひらがなけやき2期生、日向坂46 2期生。加入時から自分がファンだった初めての期になります。
その9人の個性の塊が見事に融合した5年間、とても楽しかったな、と。
次の道に進む美穂さんを、これからも応援させてください。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


しゃっく



結局推しが居てくれるだけで尊いってことなんですね。
この手の話をミート&グリートで簡潔に金村さんとしたのですが、「ファンの方には楽しんで観てもらえればいいんです」と仰っていました。
深くは考えずに、メンバーにも活動をただ楽しんでもらえれば十分なのかもしれません。


詳しくはまた別の記事で書こうと思いますが、私自身の周りの環境もここ数ヶ月でガラッと変わることになりそうなのです。
人間誰しも、折り合いをつけなければならないときは少なからずあるのでしょう。

ただ、推しがアイドルを卒業するまでは見守りたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?