嘘のない、正直でまっすぐな人

ドラマ「教場」を見た。

物語の面白さはもちろん、弱さや不正、ずるさ、思い込み、怒りの向こうの優しい本音を、生徒たちを追い込んであばいていく風間に、終始圧倒され続けた。

見ているこちら側があれだけ圧倒されるのだから、対峙している生徒役の役者さんたちはどんな心地だったのだろう。


あの風間公親という役が木村拓哉さんでなければ、あそこまで迫力のある教官にならなかったのではないか。それは彼自身が、常に嘘のない、正直でまっすぐな人だからだと思う。

嘘や欺瞞だらけの人は、嘘のない、正直でまっすぐな人を恐れる。自分の正体を見透かされているような気になるから。自分を取り繕う人は、「本当の自分」を見せることを一番恐れる。嘘をつきすぎて、自分でも本当の自分が分からなくなっているのだ。

私は自分を良く見せようと、大きく見せようとし過ぎて、他者とどう接したらいいのか分からなくて怖かった。特に、嘘のない、正直でまっすぐな人が怖かった。
今もでもそういう人は苦手で、蛇に睨まれたカエルのようになってしまい、何も悪くないのに目を逸らしたり、逃げ出したい気持ちになる。

風間は嘘を許さない。しかし生徒の弱さや過ちを許す。弱くても過ちを犯しても、その奥にある優しさや強さを大切にする。
人は弱く、過ちを犯すもの。自分も他者も、弱く過ちを犯すものだと知っている。それを認めることで初めて、その奥にあるやわらかい優しい気持ちに辿りつく。

風間には、弱さの奥のやわらかい心が見えている。本人さえ気づいていないその心を、荒療治で引っ張り出す。
そのやわらかく優しい心が、他者の弱さや過ちを認めることが本当の強さだということを、荒療治で突きつけることで教えている。

私が心のことを学び始めた原点を思い出す。自分を良く、大きく見せることに慣れ過ぎて、その奥にある本当の思いを忘れてしまった苦しい時期を。

自身を取り繕う癖は、なかなか直らない。長年の習性だから。
だからたまに忘れてしまう。自分を良く見せようとして、大きく見せようとして、理論武装で正しさを主張したり論破しようとしてしまう。

人の本質はそこにはないことを学んでいても。


ドラマ「教場」は、その原点を思い出させてくれた。何度も見直し、何度も心に刻もうと思う。

素晴らしい年明け。嬉しいな。


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