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シナリオ、お話の組み立て方。米国(ハリウッド)的と日本的の違い

これもまたリクエストからです。
「日本と米国の脚本、シナリオの作成の違いって良く言われるけど、どの辺が違うんでしょう?」
ははぁ、なるほど確かに。ふんわりとすぎるし完成度ではなんか米国や欧州ものの方が凄そうに見えますね。fuluとかNetflixのドラマとか。

つたない知識ですが、おいら的に感じたところをつらつらと書いて行きましょうか。

起こりの違い。米国はキャラ重視、日本はシーン重視。

起こり、起因の違いはあると思います。米国なんかはキャラが大事です。例えば「アイアンマン」なんかは本当にそうですね。ロバート・ダウニー・Jrが社長(トニー・スターク)にきまらなれば作品が出来なかった。と言われるくらいにキャラ重視です。キャラが変わればシリーズすら作り直す(スパイダーマンなんか良い例ですね)くらいの踏ん切りの良さがあります。
対して日本は「このシーンを撮る」というのが重要になります。そしてそこからキャラが出来ていく。といった感じです。
ところが、

キーの違い。米国はイベントキー重視、日本はキャラキー重視。

キー、鍵となる部分が真逆になります。米国はイベント、出来事を大事に膨らませていきます。そこに元々居なかったキャラをそこに置いた方が出来事が良くなる。と思えばがんがん増やしますし、逆もありえます。なので、キャラは大事なのですが、イベントはもっと大事。と言えます。
日本の場合は逆になりますね。キャラを一度はめるとその子がどう喋るか、どう動くかをキーとして動かします。起こりをシーンとして起こしてもキャラを動かすところでキャラの方が優先されていきます。
米国的にシナリオをがつっと作るとキャラの交換やキャラの変更が突然起こっても「そのイベントに要るかどうか」が問題になるだけなので、キャラの差し替えは順次行える柔軟なシステムと言えます。
対して日本の場合、キャラになにか問題が起こると大半の場合その作品が止まってしまいます。キーになってしまうと差し替え出来なくなるんですね。

どちらが良い悪いではなくて、物事の視点の違い

どちらも重要に見ている部分が違う、というだけなのでどちらが良い悪いというのはありません。
ですが、だらっと見ていてキャラを捕らえなくても追えるのが米国方式。シーンをきっちり見ないと追えなくなってしまうのが日本方式。
そしてキャラを見るというのに適しているのが日本方式で、いつのまにかキャラが変わってもすっと見れてしまうのが米国方式。という違いがあります。
ファンシステムと言われる世界が作品の世界ではあるのですが、ある意味ウエットな日本とドライな米国。という差が面白いところかと思います。

追記
説明の濃さ

海外ドラマと日本ドラマの端的な違いとして、日本のドラマの大半が視聴者の知識レベルが低いと思って作り、海外ドラマの大半が視聴者の知識レベルが高いと思って作る。というのがあります。
この辺は賛否両論あるのですが、日本の方は知ってることをやられているのにおかしな説明だったり、海外の方は何が起こってるのかまったく判らないまま進んだりしていきます。
この辺は本当にさきほど書いた「物事の視点の違い」というのが深くでますね。
つまりは、日本的に書くとキャラを知って欲しい、気になって欲しい、寄り添って欲しいという流れから丁寧に細かく。というのが当然となります。
海外、米国的に書くとシーンを観て欲しい、シーンに関するところは画面で見せているのだから判らなかったら自分で調べて欲しい。しかしそのシーンは徹底的に細かく描く。という感じですね。

今回はこの辺で。

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shachi
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