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海鞘日記(2024.7.9)

眼休めに遠き山の端望むなり時空(とき)の彼方の遠き故郷

数日の雨に青田の潤いて憂いも安らぐ心地こそすれ

カリュウ

誰が為の黄昏時の雨蛙

リア王の道化の台詞夏果てぬ

孟春

蛇足

wide終えwill、wildと待っている

蒸し暑し平仄(ひょうそく)なんどクソくらえ

杜甫杜牧王維白居易柳宗元マジリスペクト漢詩万歳


文語的仮名遣いか現代語的仮名遣いかどちらかに絞るというのがNHK俳句でやっていました。

「そんなの絞れねーよ(泣)」
と嘆く今日此の頃です。
作風なんて分かるほど俳句を詠んでないし、
その時の気分で何となくどちらかを選んでしまいます。

しかし、そういう決まり事を守るのが
きっとそれが上達の早道なのでしょう。
実践している方々を本当に尊敬します。
私は漢詩漢文が結構好きです。
自分なりに作ろうとしましたが、
平仄と脚韻の難しさに断念しました。

日本語の音読みで韻を踏んでもダメなんです。
漢語の音で韻を踏む。
韻を踏む為のガイドブックのような書物があるらしいのですが高価です。
That book is very very expensive.

短歌には短歌の作法。
俳句には俳句の作法。
というのが、厳密にはあるのだと思います。

さらりと詠んで深く読ませる
とか
文語文法などです。
連体形は や か なむ ぞ
已然形は こそ
だと係り結びを習いました。

正直えんずいなあと思います。
とは言え、おろそかにも出来ません。
どんどん作って、どんどん捨てて、どんどん読まないと行けません。

出かけたり、読書をしたりするとインスパイアされる事があります。
そういう時はどんどん句や歌が出てきますが
昨日みたいに英語の勉強だけしていると、
頭が疲れて詠むのが億劫になります。


さて、孫子の兵法についても時々考えます。
最近は孫子の兵法に通暁しすぎる弊害というものを
考えるようになりました。

兵は詭道なり
正をもって合し、奇をもって勝つ
の奇策、だましばかりをたくさん使うと
大変なことがその人にふりかかると思います。

その人は信用を失い、
その人自身は猜疑心のとりこになります。

やはり一番勝利に近いのはあくまで正攻法であり、
奇策というものは隠し味程度に留めておくのが良いのではないかと思います。

敵の10倍の兵力があるなら、敵を包囲し
敵の5倍の兵力があるなら、敵を攻撃し
敵の2倍の兵力があるなら、敵を分断し
敵と同じ兵力があるなら、奮戦あるのみ
敵より少ない兵力なら、戦わないで逃げる

このような原則を大事にしながら、奇策はやむを得ず使うものだと思います。

ああ、ということは俳句も短歌もやはり原理原則が大事。
基本が大事という事になるのか。。。
我ながら自分の歌や句は奇策に走りまくっているなあ。

リズムを身に着けるという点では正攻法なのかも知れない。
しかし、質の高い句を目指す為にはもっと勉強しなければいけない。

まあ、しかしなにがしかの文章を書いているだけでも訓練には、
習慣づけにはなっているのだと思います。

言葉遊びを一生懸命やるのも楽しいですし、
何事も何かの役に立つのでしょうから。







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