見出し画像

【映画】鬼滅の刃無限列車編を見ました話

2020/10/24

※アニメ化されてない原作の話や、劇場版のネタバレが含まれていますのでご注意ください。

少し前に見てきました。
田舎のレイトショーにも関わらず、劇場はほぼ満席。公開から10日足らずとはいえすごい熱気で驚きました。

マナーが良くない客が多いという話もよく聞こえてきたので、つい少し身構えてしまいましたが、特に何事もなく終了。よかったです。

気になったことといえば、途中でお手洗いに立ったと思われる子供と保護者の二人連れ(合わなくて出たのかなと少し残念に思って見送ったため、戻ってきたときホッとしました)、クライマックスであちこちから聞こえてくるすすり泣き、そして列車の戦闘シーン中盤あたりで寝てる人の寝息くらいのものでした。
魘夢が討伐されるシーン辺りからは聞こえなくなったので、きっとその辺りで起きたのでしょう。

映画館で寝てしまう。それをよく思わない人もいるかもしれません。
しかし私も人生で3回ほどやらかした経験があるのでまったく批判ができません。しかもうち一回は大ファンのアニメ映画新作を一日3回見た日の2周目です。展開があまりに衝撃的だったので、ショックに備えてお酒を入れて臨んだときでした。まあ、そういうこともあります。
(幸い、オープニングとエンディングテーマの挟まる形式の上映会だったので、本編が始まる前に目は覚めました)
そして、この作品の途中で寝てしまうのも、少しわかるのです。

私は原作のファンです。

吾峠呼世晴先生のすごいところを上げろと言われると色々あると思うのですが、私が一番に上げたいのは、進行のために容赦なく選別されている情報の切り方だと考えています。

例えば、作中ではほとんど接点のない2キャラについて、実は過去に因縁があったことが欄外のコラムに書かれています。

それは二人にとって人生の転機と言えるほどの重要な関わりですが、本編では匂わせる程度で、キャラクター自身は関わりを全く語りません。

また、無限列車編ラストの猗窩座と煉獄さんの戦い。

二人の動きが早すぎて炭治郎は追いつくことができません。そして一瞬の攻防で、煉獄さんは腹部と片目を損傷します。
ここは原作では、本当に一瞬です。ページをめくったら煉獄さんの目が潰れていて、そのスピード感に衝撃を受けたのを覚えています。

その間を描いたり、2キャラの関わりを描いたりしていたら、それもきっと面白かったでしょう。
それをざっくり切り落としてしまう判断は、なかなかできることではありません。
この割り切りと、それによるスピード感と、結果密度の高くなる情報量がこの作品のすごいところです。
原因と結果は描きますが、過程はさらりとしか描かない(場合によっては全カット)とでも言いますか。それで、普段の様子から好きになったキャラクターにスポットが当てられたら、思っていたキャラと違ったという人も見たことがあります。それも仕方ないことだと思います。

さて、ここで主語を大きくします。漫画には多かれ少なかれ、こういう所があります。
漫画は複数の絵を使って視覚的に表現する媒体ですが、動画ではありませんから、コマ送りに一挙手一投足を描くわけではありません。(動画もカット割りとか色々あると思いますが、割愛)漫画はページの配置に合わせて、細かくコマを割って、動作と動作、場面と場面を切り取って画面に納めます。その中で、印象づけたいシーンを大きく切り取ったり、ちょっとした仕草を差し込んだり。それを読んだ読者は、各々頭の中で漫画に描かれている内容を頭の中で再生している。ちょうど、圧縮されたデータを解凍するように。
作家側に、「どのように印象づけたいか」をコントロールするテクニックは明確にあり、これが上手い人こそプロではあるのですが、最終的には読者それぞれの中で再生されたものがその人にとっての物語です。
漫画がアニメや他の媒体になったときに違和感が出るのは、自分で読んだときに解凍され生まれたテンポと、映像で出されたときに発生した実際の速度が噛み合わない時か、噛み合わなくてもこれも回答の一つであると納得ができない時です。

翻って鬼滅の刃のアニメですが、正直に申し上げると、私にはこのテンポが合わないことが多いです。
例えば、夢の中で鬼を退治した煉獄さんが、三下化した炭治郎たちに慕われるシーンなど、ギャグシーンの長さだとか。
炭治郎の見る幸せな夢で、オリジナル(せんべいをみんなで食べようと話すところ)シーンを追加したところだとか。
前者は漫画だとさらりと読めて勢いで笑ってさっと本筋に戻るところが好きだったので困惑しましたし、後者は、一家の団らんに禰豆子がいつまでも参加しないことがいやに気になってしまいました。結果、原作にもあった、「家族がみんなでお膳を囲んでいるのに禰豆子は山菜を摘みに行っており、家族は誰も指摘しない」というシーンの不自然さが際立ってしまったと思います。
そしてナレーションを廃する構造になっている為に、説明がただセリフだけで行われるパートが長く、列車内の中盤はやや退屈に感じてしまいました。寝息が聞こえてきたのもその辺りです。

率直に言って、10から20分くらい尺を切り詰めてほしかったです。
(増やすなら、大正コソコソ噂話にはみ出した、チケットを燃やしたから目が覚めた話とかを描いてほしかった…。)

しかしアニメーションや戦闘シーンは本当に美しく、素晴らしかったです。
特に、猗窩座と煉獄さんの戦闘シーン。
原作では「ハイレベルすぎて炭治郎が目で追えない一瞬の攻防が行われた結果、残酷な結果がもたらされた」ように感じたシーンでしたが、なんとこのシーンを劇場版では本当にそのハイレベルな攻防をそれとわかるように描き出しています。
見ていて息が詰まるようでした。
高い技量同士がぶつかり合う緊張感。これぞという一撃を鬼特有の再生能力でなかったことにされる絶望感。
この二人のシーンだけで、この映画を見てよかったと心から思いました。

あと、私は善逸が好きなのでここからは善逸が良かった話をします。

彼が眠ったまま禰豆子のピンチに霹靂一閃で駆けつけるシーンはたいそう素晴らしかった! 列車内の電気が明滅するのも、バリバリと雷鳴の音が鳴り響き車体が震えるのも、最高にかっこよかった!
そして、善逸が、自分の知っているきれいなお花畑を見せてあげたいだとか、自分の知る限り一番美味しいものを食べさせてあげたいだとか、そういう素朴な好意を禰豆子に示すところがたまらなく好きだと再確認しました。
思えば善逸と禰豆子の関わりは、彼が炭治郎のために禰豆子の箱を身を挺してかばったところから始まっているのですが、善逸は普段はみっともなく騒ぐくせに、大事な意志は行動で示すタイプなんですよね。
夢で禰豆子が泳げない設定にしてしまったのは「こいつめー」という感じなのですが、ひょっとしたら善逸も、禰豆子を背負って守ってあげたいと思っていたのかもしれません。

原作の漫画はとにかくテンポが良いので、勢いよくどんどん読んでしまうのですが、媒体が変わったことでこうしてじっくりと二人の関わりを見れたのは本当に良かったです。

あとは、初めての列車ではしゃぐ伊之助の保護者みたいになっているのもよかったです。彼があの三人の中で最年長なのを思い出しました。

あれこれ言ってしまいましたが、高クオリティで丁寧な劇場版だったと思います。
続きのアニメ化、楽しみに待っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?