【映画】仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション 作品を楽しむ心構えについて
2019/1/3 仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーションを見ましたので雑感を書きます。
※ここから先、本編のネタバレがありますのでご容赦ください。
正直に言ってしまいますと、私は仮面ライダーゼロワンを面白いと思いながら見てはいるのですが、どういう視点で楽しめばいいのかわからずに最新話まで来ています。
脚本の高橋先生はメインで脚本を担当した仮面ライダーエグゼイドも大変評判がよく、ゼロワンの戦闘は毎回趣向が凝らされていて飽きるということがありませんし、デザインもスタイリッシュでかっこいい。ヒューマギアという被造物と社会と人間というテーマも楽しんでいます。
しかし、一点、『飛電或人がヒューマギアをどのように捉えているのか、現状をどう認識しているのか』が私の中でしっくり来ておらず、物語をどういう角度で見ればいいのかを掴みかねてしまっているのです。
父親役のヒューマギアやイズに対する感情は、ヒューマギアという道具(彼の言葉を借りるなら人類の夢)という枠を超えた家族のように見えますが、必ずしも彼と同じ感情を他のヒューマギアユーザーも抱いているとは認識していないように見えます。
AIMSの二人のヒューマギア観ははっきりとしていますから、比較すると、どうにも、その時の彼自身の立場によって、ヒューマギアがどういうものか、というのがぶれているように見えるのです。
祖父から家業を継いだ人間としては「人類の夢」であると認識しているように見えますし、飛電或人個人としては家族のように見えます。また、「ヒューマギアを提供する会社の社長」としての危機管理についてしっかりした対策を練っているように見えないので、彼のスタンスを理解するのを難しく感じます。
おそらくは、エグゼイドからのファンであれば、(エグゼイドは物語の積み重ねによって面白くなっていった、という評判から判断して)きっとそのあたりの描写も後々回収されるだろうと信頼できるのでしょう。
しかし残念ながら私はエグゼイドをほとんど見ていないのです。そのことを今、はっきりと後悔しています。
翻って、劇場版です。
この作品も、どういうスタンスで見ればいいのかわからずに戸惑う時間が長くなってしまったため、もったいない視聴体験となってしまったと思います。
お話の筋としては、仮面ライダージオウとのクロスオーバーですから、『タイムジャッカーが過去のある時点でアナザーゼロワンを誕生させた。その誕生を阻止することで、改変された歴史を修正する』となるのは必然です。ですが私はぼんやりと、アクションがかっこいいなあ、だとか、レジスタンスやモブにやたら個性的なのがいるなあ、と気を散らしながら見てしまいました。
そして、過去で解決するだろうと思った事件が現代まで持ち越された時、はっきりと置いていかれたと感じました。
『どうしてこうなるのかわからない』となってしまったんです。
幸い、そんな散漫な視聴態度であっても、映画のストーリーは面白く、ゼロワンの戦闘はいつもどおり(映画としての規模でパワーを上げて)かっこよく、映画のオリジナルフォームも大好きになりました。
父と子のストーリーも興味深く、父の変身した姿も1号モチーフとわかりつつゼロワンのオリジンらしさもあってとてもよかったです。(スカーフが軌道を描くのは、ちょっとおもしろかったですが)
それだけに、自分が物語を正面から受け止められる姿勢で劇場に望めなかったことが残念でなりません。
TTFCには加入していますから、これを期にエグゼイドを履修して、作品への信頼感を養って出直したいと思います。
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