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【小説】ニルヤの島/柴田勝家 読了

https://www.amazon.co.jp/dp/4150312427/ref=cm_sw_r_apa_i_uSYTEbGB126ZM

以前、この作家のVR小説を読み、興味を持ったことがこの本を手にとったきっかけでした。

雲南省スー族におけるVR技術の使用例
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FQQXV42/ref=cm_sw_r_apa_i_.fZTEbQGFBAT0

VR技術と中国奥地の民族の風習という取り合わせの奇妙さに惹かれ、全体を取り巻く厳かな敬意に夢中になって読んだのを思い出します。
(短編ですので、この取り合わせに興奮を覚える方はぜひ読んでみてください)

ざっと検索をかけてみると、この作品の時系列をまとめた方ですとか、考察をされている方はすでにいらっしゃるようでした。私はまだこの本について語れるほどには話を理解できていませんので、初読の感触を語るにとどめておこうと思います。

 

※この先、ネタバレがありますのでご注意ください。

 

 

この作品を読むにあたって、何より圧倒されたのは、この作品を貫く空気です。暑い日の葬式の、憂鬱でどこか他人事のような、現実味のない追悼の空気でした。

じっとりと肌に絡む重たい雰囲気と汗。悲しみの行方に思いを馳せながら、一方で否応なく進行する葬儀の空々しさ。返す返す浮かんでくる故人への後悔を、どうにかして悲しみに結び付けまいとするように空転する思考。

どうすればこの重たい空気は晴れるのだろうか。
晴れるときが来るのだろうか。

それが、ラストの数節で混線していた思考とともに結びついて、死後の世界――ニルヤの島に流され、喪が開ける。

そんな読後感の小説でした。

構成は見事としか言えない作り込みで、この世界で普及している技術、『生体受像』による『叙述』の形式を踏襲するものであり、最終的に彼らの死によってそれが統合されたものと明かされるのは圧巻でした。(ひとまずこのように理解はしましたが、この理解は不十分なものかもしれません)

クライマックスには盛り上がりがないとの指摘もあるようですが、物語を貫く空気が追悼であり、死後の世界に思いを馳せるものであるのならば、クライマックスが葬送となるのは当然であって、彼らの死、彼らの島への旅立ちは、私にはとても――こんなことを言うのは不謹慎とわかってはいるのですが――解放された、一種爽やかなカタルシスを覚えるものでした。

他にない読書体験でした。

とはいえ、いまひとつ、私にはこの生体受像の普及によって死後の世界の概念が失われる理屈が理解できませんでした。

ミームの変容や変遷、ニイルの存在の意味といったことも、咀嚼しきれていないと感じます。
(別の作品で恐縮ですが、ニイルは少し、冲方丁のマルドゥック・ヴェロシティに登場したシザースとも似ていますね)

なにを言っても的外れになりそうなので、そのあたりについては記さないことにしておきましょう。

また、じっくりと読み返してみようと思います。

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