Blokusルール間違いに関する情報整理と自分の気持ち

まずは実際に出ている情報を羅列します。

(コメントは後ろにまとめて行っております。情報自体は主観的に選択しているため、バイアスがかかっている前提で見てもらえると幸いです)

事実と公式のコメント

事実:

https://twitter.com/Lennon0717/status/1473423748745564162?s=20


めざましテレビさん

コメント:公式



なるほどなーと思ったコメント集

コメント:ルール間違いってどのくらいのことなんだろう

コメント:ルールの画像



コメント:ルール間違いそのもの

コメント:このルールそのものの感想

自分の気持ち

幾つかあります。

①Blokusに対する想い

僕の中で非常に思いがあるゲームです。屈指で好きなゲームであるし、ゲーム初心者でも楽しめる至高のゲームの一つだと思ってます。

(対抗はCatan、Dominion、デクリプト、なんちゃってマダミス、Dixit、害スターあたりですかね。)

最初の出会いは、2001年essenにて。Catanの大会も兼ねてEssen Spielに初参加した際に展示されているものでした。

Essen Spielは最高の体験がいくつもあるのですが、その中で「最高のゲーム?」と思って長く場に居続けたのがBlokusの展示。大体3時間位はその場に魅了されていました。

暫くしたのちにビバリーさんが日本において代理店として販売することを聞いて感動したものです。

後に何かのイベントで(おもちゃショーでしたっけ?)で担当の方(確か現社長)に軽く相談を受けて、試作品の開発にちょっとだけお手伝いできたのは楽しい思い出です。(現Blokus Duoですね)

②報道に対する想い

コメントの中にもありますが、ゲームの骨格となるルールの誤りは報道の姿勢として悲しいなと思いました。(将棋でいうところの二歩という表現は僕の中の認識ともだいぶ合ってました)

サッカーで(キーパー以外も)手でボールを扱っていいです。と言っている位な物ですからね。

本質が何であるかを「理解しようとしないで」情報を扱っている人達なんだなぁ、というのが僕の感想として思いました。

徹底は難しいというところはその通りだと思うので、「私たちはどこまでは基礎として本質を理解してますよ」というものだと思うので、後は各自の想いと、受け取りての感情だけだと想います。

あとはそれぞれがどういう気持ちで扱うか、という感じだと思いますが、僕は「あぁテレビを見ない文化にしていてよかった」と心から思いました。

尚、別のコメントにある通り、「全体を観て」は正しいスタンスだと思います。その人にとって「全体」とか「その構成」が何かで受け取り方は異なると思います。

僕は本物と触れる方が心地よいから、本質を大事にできないことは不快に感じましたね。

③対応に対する想い

報道側については対応に誠意を感じました。信頼の回復は難しいと思いますが。

ビバリー側の対応は愛を感じました。素晴らしいですね。

④コメントに対する想い

色々思いました。今回抜粋したコメントは「なるほど」と思った内容です。

この「ミス」はどれくらいのミスなのか。(わかりずらいミスなら、それは粗探しなので、報道側が問題とは言い難いけど、それが「どれくらい」なのかは内容を知らない人の価値観であわせないとわかりずらいので、そこを合わせに行くのは良い落としどころだと思いました)

その間違いやすいところについて想いを馳せるのは面白いと思いました。僕の予想ですが、その「間違いやすさ」がゲームの愉しさの源泉と感じました(これが無いと「作業」的になってつまらない)この辺のデザインセンスが凄いなーと改めて感じました。

⑤総合しての想い

幾つもおもいましたが

1.「本質」も各自のバイアスから生じている物なので受け取り手によっては「本質」が異なる可能性がある。これを前提としての行動がとれるかを考えないとなぁと思いました

2.「本質」と思うところを目線を合わせないと、信頼を毀損するということが実体験できたのは興味深かった(たとえ方向性として良い行動だとしても)

3.「本質」は意識しないと「当たり前」の物として見過ごすことが多い気がした。どういうきっかけであれ、その「本質」に触れる機会を頂けたのは良かった。


という感じでした。

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