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自分が選んだアイドルは間違ってないなと思った話


どこまで行ったって私のアイドルは、アイドリッシュセブンと中島健人なんだ。最近、心の底からそう思う。この2つはジャンルも次元もまったく違う。だけど、20年間生きたこの自分の人生を語るには絶対に外せない、そういう本当に大切な存在なのでどうか同じ記事で思いをつづらせてほしい。

・アイドリッシュセブン

アイドルと一概に言っても、「キラキラしていてイケメンな王子様」その定義はもう通用しない。ダンスがうまい、歌がうまい、ファンサが丁寧、癖になる塩対応、おもしろい。それぞれがそれぞれの求めるアイドルを選んで、応援する時代に、私はアイドリッシュセブンを選んだ。


大好きな音楽と、ここまでたどり着いた経緯とその深淵を見せてくれたアイドルたちと、同じようにアイドルに魅せられたファンたちのそのすべてが詰まっている空間。その会場にはペンライトの本数分の想いがあって、それに全力で答えようとしてくれる演者がいる。いったい、ここまで持ち上げるためにどれだけの布石が敷かれていたのだろうと思うほど、「集大成」なのだ。

このコンサートの好きなところはファンのリアルな歓声までが聞こえるところ。他のファンの歓声なんて聞きたくねえ!という意見もあると思うのですが、私はやっぱりこの声が好きです。この黄色い歓声は、「夢が現実になった」感動をなによりも体現している。ああ、求めていた景色がここにあったのだな、と、何にも代えがたい奇跡をその目にする喜びが声となっているなと思います。

どうして自分の選んだアイドルは「ここ」なんだろう。考えても考えても、それらしい答えは出てこない。だけど、本能的に「あぁ、自分の帰る場所はここなのだ」と心が合図する。彼らが歩んだ道を愛し、彼らが見る未来を共に願う。どれだけその存在が大きく、遠くなったとしても「新しい夢も一緒に見よう」と隣で笑っていてくれる。アイドリッシュセブンは、そういう存在なのだと思う。

アイドリッシュセブンを好きになって3年、たくさんの「好き」と出会った。そのどれもが眩しくて、素敵で。
だけど、その存在のあまりの大きさに、ずっと自分のアイデンティティだと思っていたアイドリッシュセブンからの離脱を考えたこともある。そこまでいったのに、その本気のストーリーにまた呼び戻されて、再びアイドリッシュセブンにひれ伏すのだからもう抗えないな、と心の底から思う。
頂のその景色は、やっぱり君と見たい。自分は想像の1000倍アイドリッシュセブンに心の根底を築き上げられている。アイナナが居てくれることはホント当たり前じゃなくて、今日の幸せも全部アイドリッシュセブンの上で成り立ってんだな、と、本気で思うのです。

・中島健人(SexyZone)

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中島健人くんは、天性のアイドルだと常々思う。

健人くんのいいところを上げるとすれば、一番に上がるはずの「顔」でさえ超えるポイントが、片手では足りないほど出てきてしまう。

ジャニーズといういわば牢獄にいるのに、その檻を超えてこちらへとアプローチしてくれるところ。メンバーとファンのために自分のそのポテンシャルを全うしてくれる部分。
ファンと自分に可能性がないなんてありえないと、誰も傷つけないアプローチで、こちらに笑いかけてくれるところ。
指先のパフォーマンスにまで全力をかけてくれる。カメラワークを限界まで予習して、会場を自分のものにしてくれるところ。
それでいて不器用で、突然のフリやノリには驚いてしまう、絶妙な不完全さ。人間としての裏表がない。だからアイドルとしても、まっすぐでいてくれるところ。
そして生涯アイドルでいるための、その「覚悟」。


アイドルとしてそのすべてをファンにさらけ出してくれる。君を好きになって不安になったことは一度もないと、声を大にして言いたい。

中島健人くんを世間一般のアイドルだと定義づけるつもりはない。
たまたま健人くんが選んでくれた立ち振る舞いが、私が欲しかったアイドルと一致した、というか、健人くんに出会って、健人くんが私の理想になった。

夢を壊さないのはアイドルの義務ではない、だけど、夢を壊さないアイドルにオタクは付いていく。ふつうのアイドルと違ってジャニーズはファンと共に成長できる距離にいない。CDの売上とか、TV出演とか、そういうメディアとの壁があまりにも高い。そんな中で、ついてきてくれてありがとうという感謝をしてくれる中島健人くんのアイドルとしてのその「覚悟」に、これ以上ないほど魅せられた。


現在進行形で応援してる作品があって推しカプも居て、もう人生なんも望まないといったところに、 中島健人という最高のアイドルと、最骨頂の推しカプと、人生の支えと、自分の人生のテーマを決めてくれたアイナナがある。俺とコンテンツがこんな最高の関係を築けているのだからもう他になにも望まない。

あと少し、このオタクという生活を全力でやろう。こんな風に眩しいと思える人生で本当に良かった。

自分の好きな人たちはみんな真面目で、全力で、不器用で。
その瞳の裏には、千の努力の化物が付いている。そんな天性の天才に、素敵なタイミングで出会わせていただいている。


私は読んだ、受け取ったコンテンツに対して何か文章を作り上げて昇華しないと気が済まないタイプで、なんとなく好き、という穏やかな好きにたどり着くまでに思考回路がめぐってしまうタイプだ。コンテンツを消費物にはできないからこそ、こうなっているわけなのだが。

オタクに才能は要らないけど、そこまで好きでいられる力は、紛れもなく才能なのだろうと思う。日常の日々を色づけてくれる煌きがあることに感謝をして、あと少しだけ、オタクとしての自分のケツを叩きたいと思います。

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