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サステナビリティとダイアログ、そして食文化の役割とは?

ここ1年ほど、新たな分野で新たな知識を学んでいます。それは一次産業とサステナビリティ。具体的には、農林水産業とサステナビリティ、そこに必要なSDGsスタンダード思考です。この分野も知れば知るほど奥が深く、だんだん面白くなってきました。

さて今回は、UNEPと農林水産省のコラボ企画で、今週水曜日に公開される「UNEPあふの環ダイアログ ~サステナブルな社会に向けて~」で、司会と言う大役を頂いた時に、色々と考えたことを書きました。なお、既に収録済みなので、公開されるのが楽しみです。ダイアログの概要はこちら:

日時:9月23日(水曜日)14時30分~15時45分(オンライン配信)
概要:気候変動、生物多様性、食品ロスなどのキーワードから、日本と世界の食と農林水産業に関わる持続可能性について考える対話イベントです。藤田香氏(日経ESG編集/日経ESG経営フォーラムシニアエディター&プロデューサー)をファシリテーターに迎え、キース・アルバーソン氏(国連環境計画国際環境技術センター長)と西郷正道氏(駐ネパール日本国特命全権大使)の講演、パネルディスカッションを通じて、私たちができることを探っていきます。
主催:農林水産省
共催:国連環境計画 国際環境技術センター
視聴はこちら環境省YouTubeライブ配信サイト(当日までお待ちください)

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僕の専門分野からサステナビリティを考えると

僕は、これまでは第一次産業、第二次産業、第三次産業の枠組みではなく、そこに共通する環境問題、特に廃棄物問題について仕事してきました。最近は、廃棄物分野から見た資源循環、循環経済、サステナビリティに関する仕事も増えてきています。日本における近代史において必要となったごみ問題対策、1950年代以降のありとあらゆる公害問題が起こり、廃棄物に対する市民の意識が変わり、ようやく実質的な対策が取られたのは、わずか半世紀ほど前。でもサステナビリティと言う考え方が廃棄物分野に入ってきたのは2000年代に入ってから。持続可能な開発目標(SDGs)が採択された2015年以降、廃棄物分野においても、一方通行のごみと言う考え方から、人間社会が使っている資源は循環させなければいけない、という考え方が一般的にも浸透してきていると感じます。

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農林水産業のサステナビリティ

では、これまで20年近く廃棄物分野で仕事してきた僕が、何で一次産業に興味を持ったかと言うと、昨年、農林水産省の持続可能な生産消費形態のあり方検討会に参加する機会に恵まれて、農林水産業のサステナビリティに関して色々と勉強させていただいた、と言うのがきっかけです。この検討会においては、農林水産業・食品産業と環境問題、サプライチェーンと消費者の意識、環境と農林水産業・食品産業の調和などに関して多角的に議論を行いました。その中でも、僕自身が再認識したことは、私たち消費者として何気なく手に取っているその製品や、何気なく食べているその食品には、ものすごい長いサプライチェーンを経てたどり着いている事実、そのカーボン・ウォーターフットプリントはびっくりするぐらいの数値(例えばステーキ1枚にはお風呂約200杯分!の水が使用されている)とか、改めて、私たちの消費の在り方を考えなければならないと思いました。この検討会の取りまとめはこちらからご覧になれます。このまとめをイラストにしたのがこちらです。

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あふの環

この農林水産省の検討会には続きがあります。この検討会の取りまとめを踏まえて、農水省は食と農林水産業のサステナビリティを考えるあふの環2030プロジェクトを立ち上げました。あふの環プロジェクトとは、古語での”あふ”が意味する”会う”、”和ふ”、”餐ふ”の心得を踏まえ、食と農林水産業のサステナビリティを考えて行動を共にすることを目的としています。あとは、農林水産省を英語で書いた頭文字から省のMを取ると”AFF = あふ”となりますね。それに食品、Food のFをくっつけてAFFF=”あふ(ちょっと柔らか目の発音、になる?)”、なので”あふの環”。英語は、Sustainability Consortium for Agriculture, Forestry, Fisheries and Food、略してSCAFFF、それをジャパニーズイングリッシュ雰囲気風で読めば"スカーフ"、と、おあとがよろしい、ようです。

今回は、サステナビリティと対話の関係について考えてみたいと思います。なんでこの関係なのか?なにが繋がっているのか、と不思議に思うでしょう。SDGsを仕事で使っている中で、サステナビリティを実行するためには何が必要か、と考えている中で”対話”も重要と思ったのがきっかけです。そのピンときた思いを今回の記事で書いてみたいと思います。

あともう一つ、仕事でSDGsをしている身として、私の中にある大きな問い「開発途上国における開発は終わるのか?」です。その答えを見つけるための方向性をあれこれ考えている中で、人間の文化はどこから来たのか?どのように作られてきたのか?、と言う問いを立てています。その答えの一つが食べる、そして食べるための一次産業であると認識するようになり、ここを少し深堀してみようと思ったからです。

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私たちの文化:食べる・話す、そしてサステナブルなエコシステムを卒業

当たり前だけど、私たちは口から食べます、飲みます。当たり前だけど、私たちは口から話します、言葉で意思表示します。”目は口ほどにものを言う”という諺はありますが、口以上に相手の目から詳細な情報を得ることは無理です。人間の歴史は食べるとともに進化したと言えます。動物・生物も全て、”生きるために食べる”、が一番重要です。「♪僕らはみんな生きている、生きているから歌うんだ」、の前に、「♪食べるがあるから生きている♪」、ですね。

人間の心理を表すマズローの欲求第1段階の生理的要求、その中でも一番重要なのが”食べる”です。1000万年前以上の人の祖先は、食べ物を探して歩くのが日々の生活でした。約200万年前ごろから人の祖先の故郷であるアフリカ東部から、徐々に他の地域に移動を開始。その中でも、現在の私たちの種の祖先であるホモサピエンスは約20万年ほど前に出現した、と言うのが定説です。この定説は色々と有名な本、例えばサピエンス全史などがあります。私も自分の思考を広げるために、時々読み返しています。

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では文化はどうやってできたのか?こちらもサピエンス全史などを読むと、ホモ・サピエンスは、出現した当時から集団で生活をしていました。イメージ的には動物園のサルの群れのような感じです。という事は既にそこには何らかの文化があったはず。今のキャンプファイヤーはその文化の現代版である、という事も言われています。火を囲いながら、食を共にしながら、話し合う、仲間同士のきずなをつくる、そして文化なる。食をするためには狩りをしなければならない、効率良く獲物を捕獲するためには道具と知恵とチームワークがいる。食を求めるためには、お互い話さないといけない、作戦を考えないといけない、失敗した後は反省会をしなければいけない、など、全てが食につながってきます。食が先か文化が先かと言う議論もたくさんありますが、食があるからこそ文化も生まれた、その食の状況に合わせて文化も変化してきたのが事実でしょう。全ては食から始まったとも言えるでしょう。

誰かと食べる、食べながら語る。20万年前は食べながら語る、はなかったと思われていますが、当時のホモ・サピエンスは、お互い意思表示する手段として何種類かの雄たけびやしぐさはもちろんあったはずです、今の猿がするように。歴史学、考古学、言語学、地政学等でホモ・サピエンスがいつ頃言語を獲得したか様々な研究や見解がありますが、おおむね、7万年前ごろには言語を習得していたというのが大筋の見解です。想像すると、20万年前に出現したホモ・サピエンスは約13万年もの長い期間をかけて、少しずつ言葉を”自然に作り上げてきた”。その13万年もの間に集団で行動しつつも、獲物を捕らえて語りながら食べていた、その中で狩りに必要な言葉、その言葉からどのように狩りをすればよいかという文化が生まれ、どのようなものを作れば狩りがより上手く行くという技術も生まれ、様々な”話す”ことから人間としての文化が作られていました。当時の生活は全てが自然と一体化したものであり、人間の生活も自然に作り上げた究極の地球環境エコシステムの一部でした。

その後、ホモ・サピエンスはもちろん突き進みます。約1万年ぐらい前から、”人間”は農耕栽培をするようになったと言われています。科学的に考えると、このタイミングで究極の地球環境エコシステムから”卒業”し始めたと言えるでしょう。この時期になると、自然にある植物では自分たちの食が十分確保できなくなってきたため、食を確保するために”何ができるか”と言うのが話しの中心となっていたと思われます。その結果として、人間は自分で必要なモノを作り上げて行き、自分たちの手で自然を作り変えていく一歩を踏み出しました。言い換えると、「究極のサステナブルな生活から人工のサステナブルな生活を作りだした歴史的な瞬間」、と言えるでしょう。もちろん、この一歩の1万年後には、「暮らしをサステナブルにしよう」と目指さなければならない、とは、その当時、誰も想像だにしませんね。

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私たちの文化:食べる・話す、そしてサステナブルを目指さないといけなくなった

究極のサステナブルな生活から卒業後、ヒトは高度な文明の進化を遂げました。それを遂げた理由にも、食べる・話すが重要な役割を果たしてきました。農耕栽培が進むにつれてヒトの定住化も進み、同じ時間に同じ場所で食べる習慣が徐々に一般化され、どのように効率的に農作業を行うのか、どのように自分たちのエリアを広げるのか守るのかなど、今の社会につながる集団的な暮らしに関して、食べながら対話・議論が行われていました。そこから集落をつくるようになり、紀元前3500年前のメソポタミア文明につながりました。地球環境のサステナブルな生活から卒業後、食べる・話すに加えて、文字、生活習慣、宗教、風習、学術などもヒトの文化として確立されてきました。これも全て、食べる・話すを何千年も繰り返すことで、その時必要な言葉、文字、文化、技術が発展していました。もちろん、話すだけでヒトが文化を作り上げることはできたと思いますが、食べながら話す、高貴な言葉では「晩餐会で優雅に食と会話を楽しむ」、一般的には「ワイワイ食べながら話す」と言った場で、新たなアイデアや考えが生まれてきたとも言われています。食べる→話す→アイデアが生まれる→お互いに学ぶ→文化が創られる→技術が開発される→社会が進む、と言うようにヒトの社会は突き進んできました。

では、今を生きている私たち人間はどうでしょか?今この瞬間を話す前に、時計の時間を1年ほど前に戻してみましょう。そう、新型コロナウィルスが発生する前の、あの懐かしい時代に。お昼の時間は、お弁当を持ち寄ってみんなで食べる=話す、レストランや職場の食堂で社員同士で食べる=話す、学食で食べる=話す、給食で班ごとに食べる=話す。夜の時間帯は、飲み会で食べる=話す、会食で食べる=話す、友人同士とレストランで食べる=話す。仕事の席だと、取引先の人と会食として食べる=話す、などでした。この”話す”の結果は?アイデアが浮かんだ、色々と相談できた、計画が進んだ、相手に話せて満足した、など、ヒトとしての種が続けてきた対話からの文化の成長に続くものでした。今までは、直接会って、食べながら、飲みながら、対話をするという文化が当たり前でした。

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With コロナではどうでしょうか?この直接会って食べながら・飲みながら対話するというのが、ほぼなくなってしまいました。コロナ禍では多くの社会の常識が変わりましたが、食文化もその影響が直撃しました。IT技術の日常化が進む中、オンライン会議、SNS、チャット等で今までと同じように意見や情報は交換できます。むしろ、新型コロナウイルスの影響を受けて、今まで以上に迅速な意見交換、オンライン上の議論、情報交換は進んだと思います。でも、何かが進むと必ず失うものがあります、人間の歴史においては...

僕もテレワークの効果を実感する一人です。仕事柄、日本以外にある事務所とのやり取りが多いので、IT技術の恩恵で、物理的な場所や時差の枠が完全に外れ、仕事の迅速さが超加速しています。最近はどうかしたら一日に朝から晩まで10個くらい会議があり、終了時間は夜の11時(ジュネーブの同僚も、本多との会議終了、ぼちぼち今日の仕事は終わり、な感じ)、在宅勤務がブラック化してます。でも、オンライン会議だと、どうしても言葉のキャッチボールになりがちで、こっちとあっち、自分と他の人たち、という軸になる傾向を感じます。直接会って話していた時の、あのダイナミックスさが失われつつあります。それと、オンライン会議だと、味気無さを感じます。多分、人と人とつながりの空気の薄い、と感じるのが正直なところでしょう。なぜか、一つの理由はそこに同じテーブルで食べながら・飲みながら”話す”という、場を和らげる文化を失ってしまった、からです。テレワークを開始して6カ月程度。テレワークの技術に慣れ、その技術を新たな文化として取り入れたニューノーマルの日々ですが、今回の新型コロナウイルスの影響を受けたこのニューノーマルな生活から、大切な文化が消えつつあるのは事実です。

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サステナブルを目指すためには食・対話文化が重要

人間は今から約1万年前に食文化を変えることで地球環境が作り出した究極のサステナブルな生活から卒業して、自分たちで高度な社会を築き上げました。今、私たちが達成するべき目標は”サステナブルな社会にする”ことです。でもよく考えてみると、この目標はそもそも私たちのスタート地点です。ドイツの哲学のカントは、「人間の旅路の究極的なゴールは、人間の社会が自然と一体化になること」、と述べています。カントは人間の精神的や思考的な哲学の観点から、”心が”自然と一体化になることが人間としてのゴールであると哲学的に述べています。僕はこのカントの哲学は地球環境にも当てはまると理解します。カントは別な言葉では、”人間は悪からスタートして善に向かう”とも述べています。という事は、約1万年前、ヒトが地球環境のエコシステムから自ら出た瞬間が、地球環境的な観点におけるカントの言うスタート地点だったのではないか、と思います。それを急激に悪化させたのが、西暦1700年以降の産業革命。その産業革命の悪影響をようやく認識したのがここ数十年の間。そしてサステナブルが重要だ、と言い始めたのがここ数年です。

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人間の壮大な歴史を見ると、全ては食べるから始まっています、言語の獲得、技術の発展、産業革命その結果の環境汚染も。食べる=話す→新たな知恵を創造してきたのがヒトの文化です。でも、コロナ禍で最初の”食べる”状況が変わってしまいました。アントロポセン時代では、食文化を含めた人間社会はどのように進むのか?環境汚染時代を続けるのか?それともサステナブルな時代を構築するのか?このような時代だからこそ、少なくとも無機質な文字での情報のやり取りに加えて、人間同士の心が繋がる対話と言うのが必要です。今だからこそ、人間の究極の目的である自然と一体化した社会を目指すために、対話の力を改めて見直しませんか?もしそこに、サステナブルな手法を取り入れた食事や飲み物があると、その対話のチカラが大きくなるでしょう。

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