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足らない言葉で抱きしめて

久しぶりにあった君はどこか疲れた顔をしていて、目の辺りがくぼんで見えたけど、会うのは5ヶ月ぶりだし暗い夜の駐車場の私の車の中だったから、実際のところはどうだか分からない。

「久しぶりだねぇ」と言ったあと「元気にしてた?」と聞くのをやめた。

それは、私が彼を呼び出した理由でもある。

2月の初旬、彼と私は会う予定だった。私の友人も含めて3人で。
けれど、それは「家でいろいろあって急遽引っ越すからバタバタしてて飲み行けない、ごめん」という彼からの連絡によってなくなった。

家でいろいろ。変な想像が様々に頭の中を巡る。「家でいろいろ」と言われて真っ先に浮かぶのは、離れて暮らす家族のことだった。そうなるともう二度と会えないだろう。そう思ってどこに引っ越すのかを尋ねたら、県は違えどここからそう遠くない場所で車なら30分程で行けるようなところだった。

だとしたらますます分からない。そんな距離で仕事ではない理由でしかも「家でいろいろあった」と言うのだから、何も合点がいかない。
だからこそ私は彼に何も聞けなかった。時が来れば話せることは話す。話したくないことは話さない、そういう人だ。ここで私がラインで根掘り葉掘り尋ねたところでどうせ彼は答えない。


きっと、ろくでもない女に捕まったんだろう。引越す程だから合鍵を作られたとかそういうことなのかもしれない。

だから、私は他の女を遠ざけたかったのに。

付き合ってもない、他にも何人かセフレがいる、付き合いたいと言っても嫌と言ってくる男の家にメイク落としを置いていくような女がまともな訳がない。
ましてや仕事が出来て稼ぎのいい女がすることじゃない。

と、完全にそのメイク落とし女が何かしたんだろうと勝手に決めつけているが、決めつけはよくない。

それに、いや、それよりも私は彼のことが心配だった。
何をされたんだろう。合鍵を作られたしか私の足りない頭には浮かんでこなかったが、例えば合鍵を作られてたら寝込みを襲われるなんてことだってあり得るわけだし、私は今にもこの部屋を飛び出して彼の所へ駆け付けたいという衝動と闘う程には彼が心配だった。

「じゃあまた引越し落ち着いたら一緒に飲もうね」と送ったが、そんないい子ぶりっ子していられないと思って「やっぱり少し時間作れない?」と続けて送った。

「どうして?」と言われて返事に迷った。
『あなたのことが心配でいてもたってもいられないから、一度顔が見たい、じゃなきゃおちおち寝ていられない』と言ってしまいたかったがそれはどうしても言えずに「少しでいいから私にあなたの時間をちょうだい」と送った。こっちの方がどう考えても怖い。けれど彼は「雰囲気がもう怖いて。俺刺されるの?」とちょけた返事を寄越して、「私は元メンヘラだけど刺すって発想はないタイプだから安心して!」と送ったら、彼が「じゃあ月曜日の仕事終わりにしよう」と言ってくれた。


そして話は冒頭に戻る。
「何があったの?」「うーん、まぁ、女って怖いね〜」「何があったのよ。疲れた顔して」「うーん」濁す。この人はこういう人だ。のらりくらりとかわして濁す。それほど言いたくないのか。それは私だから言いたくないのか、それともそんな目に遭った自分が情けなくて言い出せないのか、
「心配だったんだよ?わざわざ引越すほどなんでしょう?」
「いや、まぁ引越しはさ、前からしたかったし。」
「言ってたもんね。俺がその気になったら引越すって。」
「そうそう。」
「まぁ嫌な理由ではあるけど、きっかけが出来てよかったね」
「確かにね。結構いいところなんだよ。駐車場も広いし風呂も広いし。」
「湯船浸かれる?」
「余裕余裕。君のほうこそ新しい仕事どうなの?」
「いやー、辞めたいね。」
「え、早くない?」
「だってお客さんにばかとか頭悪いとか言われるんだよ?しんどいよ」
「うわぁ」
会話が逸れてまた戻ってを繰り返して、その内に彼は一つ、二つ、と何があったのかを話してくれた。
「完全に俺が使ってないって分かる物の中身が変わってたんだよ。でもそれ知ってるのって本人くらいじゃん。俺だって化粧水とか使うしさ」
「女の子はそういうの分かるよ。意外と見てるし」
「でもさ、タイミング的にそれが出来るのは合鍵作ってるか本人の自作自演しかないんだよね。一応思い当たる子には聞いたんだよ。ラインで。そしたらみんな知らないって言うし」
「そりゃそうでしょ。正直に答えるわけないじゃん」
「だけどさぁ…」
「何て言うかさ、女の子が使ってる物に何かをするってことは、君に対するアレじゃないもんね。他の女の子に対する敵意だよね」
「敵意だし、悪意。最悪だよ。」
「そう、悪意。でもさ、間に君がいると言えど、女の子と女の子は無関係じゃん。そこに何かをするっていうのは違うよね。」
「そう、そうなの。違う。だから本当怖い。…ってあなたも似たようなことしたじゃない。」
「ぅ、……ごめんなさい。」
他の女のメイク落としに「勝手に使わせていただいてます」というメッセージを貼り付けたことをチクチクと言われて私はぐぅの音も出ない。
「本当のこと言ってごらん?今なら許してあげるから」
「でも、ほら、私は合鍵の作り方すら知らないくらいだから!」
「合鍵ってそんな簡単に作れなくない?盗んでってホムセンとか?それかゴムとかシリコンみたいなので型取って錫とかでつくるんでしょ?」と言って「今時鍵のメーカーと番号が分かればネットで5000円くらいで作れるの」と先ほど笑われたのだ。
「まぁ確かに。ぽんこつだもんね。」
それからまた仲が良かった頃のように彼は私をイジくり倒して、私は久しぶりのこの雰囲気がとても嬉しく、そして何よりとても自然なように感じていた。

「ねぇ、ほら、ぎゅってしよ。」
「え、何急に。」
「ハグするとストレスの何%かは減るって言うじゃん。だから、ほら。」
「いや、ストレスは感じでない。病んでるけど。」
「それをストレスって言うんだよ。ほら、」
「いくらくれる?」
「いくらほしい?」
「うーんと、引越しと車変えたいし、あとは…35万で」
「うん、いいよ。35万ね。ほら。」
仕方がないなぁと言いたそうなこの顔がだいすきだ。いつも仕方ないなぁという顔をしながら私のわがままをきいてくれる。
抱きしめると、思い出のままのかたちとにおいで、私は思わず泣き出してしまった。
「ずっと心配だった。ずっとって言ってもここ2、3日だけど。でもずっと心配だった。私が心配したところで何もしてあげられないけど、心配だった」
泣きじゃくる私に彼は「どうした急に」と言いながら、それはそっとほほえんだ声で、その大きな手で私の頭を撫でた。
「私には地位も名誉も権力も武力もないから何もしてあげれない。けど心配で仕方なかった。」
うーん、安っぽいJポップの歌詞みたいと今では思う。
「君のことだから、絶対無理してると思った。コロナでも足挫いても仕事に行くような人だから絶対無理してるって思ったんだもん。だから心配で仕方なかった。」
まるで子どもが駄々をこねているように泣きながら話す私の頭や背中を彼は撫でて「それは行けたから行っただけだよ」と言ったけれど、やっぱりその声は優しかった。
「前に君に『俺のことすきでしょ』って聞かれた時に『勘違いだよ』って答えたけど、勘違いじゃないよ。だいすきだよ。だいすきだから心配だった。」
「え、なに、どうした」
「だいすきだから、健康でいてほしいし、楽しいなって思いながら生きててほしい。」
ふふふ、と笑った彼の声が聞こえた。
「35万だよ〜」
「退職金125万ももらったのに使っちゃったぁあ」
「えっ、何に?!」
「京都行ったし宮崎も行ったし母親にお金返したし後はちょっとの贅沢を繰り返してなくなっちゃったぁあ」
「宮崎楽しかった?」
「楽しかったよお。飛行機楽しかった。景色すごい綺麗でまた飛行機乗りたい」
「ぽんこつなのに1人で飛行機乗れたの?」
「乗れたよぉ」
彼はほとんど子どもをあやしているようだった。けれど、それがあまりにも心地がよかった。私の涙がとまったころ、彼はまた私の背中をぽんぽんと優しくたたいて、顔を覗き込むと会った時よりも少し顔が明るかった。これは私の希望的観測かもしれない。
「泣いたらお腹空いた。」
「食べてないの?」
彼は驚いた顔をした。仕事が終わってから待ち合わせまで1時間もなかったんだから食べてるわけないのに。
「え、ひょっとして食べて来たの?」
「うん。」
「何で?」
「時間あったから。19時に待ち合わせだったから、仕事ちょっと早く終わって迷ったけど19時だったから間に合うかなーって」
「なにそれ。ラーメンの一杯でも奢ってもらおうと思ったのに」
「何で俺が奢るのよ」
「あーあ、お腹空いた。」
「じゃあ帰るか。」
「………うん」
名残惜しい。けれど我々はいい大人で明日も仕事だからもう帰らなければならないのだ。それが顔に出ていたのか、彼は私の顔を見て少し笑って、それから私の頬を撫でた。
「…またね。」
彼はそう言った。
彼は嘘をつかない人だ。前に一度連絡が途切れたことがあった。その直前に会った時の別れ際、彼は「じゃあね」と私に言った。
「うん。」
だから私はにっこりと笑った。彼もまた微笑んで振り返らず、自分の車に戻った。


あれから数日経つが彼からの連絡はない。
すきだと想いを告げたら何かが終わるかもしれないと思っていたのに、何も変わらず大好きなままだ。
デートしようとメッセージを送りたい。会いたいと言いたいし、声が聴きたい。
でもそれはしないでいる。彼の気を引きたいから。駆け引きは向いていない。でも素直にもなりきれない。でも、どこかで私の純粋な愛情が届いていると信じている。私はどこまでもばかだ。

私の足らない言葉が彼を癒すことだって、私は知っているから、だから今は彼を放っておく。彼はもらったものをきちんと返す律儀な人だから。

私の恋はまだ終わらない。

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