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回想

私は20代前半なのだが、人生を回想する回数がこの頃増えている。
何が故に、気になるが為にそう至っているのかは直ぐには言語化できないが、最も古い記憶から今に至るまでの記憶をよく回想する。
面白い人生ではない。
親ガチャという言葉があるが、敢えてこの言葉を使って人生を一言で表すのであれば、私は親ガチャ失敗なのだろう。
様々な状況で皆生きて日々過ごしているのだと思うが、端的に表せば赤の他人の境遇に思いを馳せ、深く思考する事はそうないことであり、あるとするならば自分に関わりの深い人物である事の方が多いだろう。
他人の境遇を一から百まで理解することは私は出来ないと考えるし、感情もまた読み取ることなど出来ない訳だから。
自身の環境に絶望し、生きることをやめ自死を選ぶ者もいるだろう、私は大切な人間からそういった話を聞き、深く悲しんだ。
しかし自身の人生を回想する今、そう特筆すべき事もなく今に至っていると自覚してしまい、退屈で変わり映えもせず、展望も読めないだろうなと諦めきってしまうとするならば、同じ道を辿る未来があっても自身としては納得出来ない話では無いのだ。
社会は無慈悲である。
自分一人の価値は無価値であると自らを卑下する事もあるが、大切にしたいと思える人が居る現状、もはや私の生きる意味はそれただ一つのみと言っても差し支えない。
極論、仕事などせずとも日本では生きていける。
野垂れ死にする事もないだろうが、生きる意味を失った人はそこまではしないのではないだろうかとも思うし、何もせず過ごす毎日に自身は耐えられるのだろうか。
現状の私は辛いと言える。
その選択肢を取るつもりは無いが、先の事など分からない。
失ってからでは遅い。
先を見据えた行動を心掛け、常に最善の選択肢を取りたい。失敗せず生きていきたい。難しいとは分かっていても。

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