見出し画像

学校を辞めて、学校に入って。選択の点と線

よし、学校辞めよう。
嫌なことより好きなことにふれて生きたい。

それが私の人生の中で一番勇気がいって、一番人生を前に進めてくれた選択でした。


19歳の3月。私はとある高専の学科長室でとある宣告を受けました。

「さすがにこれで単位はあげられないね」

でしょうね。
期末試験、再々々試(のようなもの)までしても60点を越えられないんですから。
うちの高専は、赤点60点の各科目の単位を1つでも落とすと進級できないシステムで、つまり、その瞬間留年が決定したのでした。

まずは肩の荷が下りた気がしました。やっと再試期間が終わる。3時まで勉強して5時に起きて復習なんてしなくていい。
もうできないことを頑張らなくていい。妥当だよ。ああでも、家族になんて報告しようかな。

なんて考えながら、そうですよねぇ、と優等生(落第生)スマイルで答えていたら、多くの学生に恐れられていた学科長は私にこう言いました。

「あなたにはこんな勉強よりもっと向いていることがある。あなたもそう思っているんじゃない?」

そう思っていた。でも、できっこないと思っていた。この学校にいる限り。

「無理にここに居続ける必要はないと思う」

このような言葉を聞くと学生を追い出そうとしているように思われるかもしれませんが、厳しい先生からのこの言葉は私には思いやりに満ちた言葉に感じられました。

この先生は学生の成績の良し悪しでなく未来を大切にしてくれるんだ。

そう受け取ることができたから、前へ進もうと思えました。

私は、居続けないといけないと思っていた場所から解放されていいんだ。


「ごめん。単位取れなかった。留年するより、学校、やめようかな」


そうして私は、同級生や頼れる先輩、かわいい後輩たちとの思い出にあふれた学び舎に別れを告げました。



さて、別れを告げただけでは前に進めません。次の進路が必要でした。

専門学校か、短大か、四年制大学か。

高専をやめたことを踏まえると、手に職がつく専門学校に通い同級生たちと近いタイミングで社会に出るのもありかもしれない。短大でもありかもしれない。

でも、私には高専をやめられるならやってみたいことがありました。

それは「文系の勉強」です。

高専ではやはり理系の科目が重要視され、文系の授業では自分の興味に反してあまり詳しい勉強ができませんでした。

私は幼いころから字が大好きで、字そのものや字によって表現されたものに強く興味を持っていました。

そして大学について調べてみると、とある大学のとある学科——のちの第一志望、現在の母校——のカリキュラムに、私の大好きなアニメのタイトルが書かれているのを発見しました。

大学での勉強って、本当に自由なんだ。

二次元オタクでいることを無益なことだと言われてきたけれど、大学では立派な学問として認めてもらえるのかもしれない。

大学での「勉強」が、さらにきらきらして見えてきました。

それに、今こうしてこれまで知らなかった大学の授業の幅広さを知ることができたように、大学に行ったらもっと今知らないことを知ってさらに今では思いつかないような考え方ができるようになるかもしれない。

そういった知識欲がぶわぶわとあふれてきて、「これは大学受験を乗り越えられる」と確信し、両親に予備校への入学をお願いしたのでした。

上京して池袋のアニメショップ等に通いたかった下心も大切にしつつ。


そして予備校へ入りクラス分けテストを受けたところ「高校」の授業を受けたことのない私の成績は当然ボロボロで、いっそゼロから勉強を始められることが嬉しいほどでした。

この場にいる人たちは一通り授業で聞いたことがあるはずのことを私は何も知らない。

今習っていることをマスターしたら、大学でやりたいことをやれるようになれるかもしれない。

そう思うとわくわくして、やってみたかった「文系の勉強」を夢中で進めることができました。

点と点がつながって線になっていく。自分が自分の願った方へ成長していっている気がする。勉強していくなかでそれが一番楽しかったです。

周りには運がよかったと言っているけれど、確かな努力のもとに達成できた第一志望への合格は、あの日高専を辞めて自分が思い描いていた自分になるための決意によって導かれたものでした。


満を持して入学した大学では、高専での落第ぶりが嘘のように生き生きと学習することができました。自分の興味のあることを、その道のプロフェッショナルが教えてくれる。夢のようでした。
その環境の中で(立地が池袋というオタク女子の聖地であることも含め)強度のオタクであること、テキスト表現が大好き、想像とものづくりが大好き、というところを研ぎ澄ませた私は、それらを活かして今所属している会社——むかしから憧れたことはあったけれど自分には無理だと思っていた業界の会社——へ入社できるまでに至りました。


合わない環境から離れる勇気を持ち学校を辞めたという私の選択は、なりたい自分を無我夢中で目指せるきっかけとなりました。

泣きながら定期試験を受けていた私は、憧れている自分に未来の私が少しだけなれていることを知らなかったでしょう。
大丈夫、このまま赤点取りまくったら夢のいくつかは叶ったよ。


そして今もまだとりたい選択肢はあって、人生は選択の連続なんだなと思わされています。

いいことにつながる選択ばかりをとれるとは限らないけれど、高専中退から大学受験の間にひとつひとつの選択すべてが自分の人生をつくっていくのだと知ることができたのは大きい経験でした。
選択の結果失敗しても、後悔することはないでしょう。現に、私は中退することになった高専に入学したことを後悔していません。高専に入学しなければ今の人生はつくれなかったことは確実ですから。
そうした点と点がつながって、人生の線が結ばれていくのでしょう。


恐れることなく、今の自分が思い描く最高の自分の姿を信じて選択を重ねていきたいと思っています。




#あの選択をしたから



※念のための補足です。
私は高専の教育制度に不満があるのではなく、自分の好きなことや特性に合わなかったので辞めただけです。
高専での勉強は、文系の進路をとってからも、仕事を始めてからも大きく役立っています。
どこでどう花開けるかは本人次第です。
私は高専でがんばろうとする学生たちを今も応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?