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私はなぜ30歳でお笑い芸人になったのか


私は今年(2020年)、吉本興業の養成所であるNSC東京に入学した芸歴0年目のお笑い芸人です。
※養成所に在学中なので、ただのアマチュアですが…


大学院卒業後、大手IT企業に入社して6年間もシステムエンジニアをしていた私が、なぜお笑い芸人を目指そうと思ったのか書きたいと思います。










29歳までの私は、流れに身を任せて生きてきました。

決断という決断をした記憶がありません。



学生時代


小学生の頃は友達がやっているからという理由で少年野球を始め、中学生の頃は仲の良い友達に誘われたからという理由で卓球部に入部し、高校ではサッカー部に仮入部するも経験者との実力差に絶望して結局経験のある卓球部に入部し、大学では高校が同じだった同級生について行ってテニスサークルに所属。

勉強においても、なんのために勉強するのかあまり考えず、友達が勉強してるから自分もするといった部分が少なからずありました。


今思えば、自分がやりたいからという理由で始めたのは筋トレぐらいかもしれません。


就活では、小学生の頃からパソコンに触ってきたことや性格的に周りを引っ張っていくタイプではないことなどの理由で、人をITで手助け・支援するどちらかというと裏方みたいなイメージがあるシステムエンジニアをなんとなく選びました。まあ今お笑い芸人になったので自己分析は不十分だったと言わざるをえないですが。




就職してから


大した理由や強い意志もなく選んだ仕事だったため、正直なところ仕事には思い入れがありませんでした。
もちろん一緒に仕事をしていて楽しいと思える先輩がいたり、なんとかトラブルを乗り切った時にはちょっとした誇りのようなものを自身に感じることもあったりしました。ただ、そういったものは私にとって本質的なものではありませんでした。

「こうなりたい」とか「こういうことがしたい」という意志がなかったので、目的がないまま走り出してしまったマラソンランナーのようでした。タイムを気にするわけでもなく、自分の走りを磨くわけでもなく、前へ進むことを求められるからその場しのぎでなんとなく歩いたり走ったりしていました。

目的もなく、なんとなく仕事をしていることに違和感を感じながらも、他にやりたい仕事があるわけではなく、給料をそれなりにもらっていましたし、プライベートもそれなりに充実していたので現状に甘んじていました。

また、そのうちやりがいが見つかるのではないかという安易な期待がありました。私は入社してから5年間ほど同じ部署でずっと同じプロジェクトに携わっていたので、マンネリになっていました。だから、部署異動があれば何かが変わると思っていました。


初めての部署異動


そんなマンネリになってる私を見兼ねたのか5年目で初めて異動することになり、少しワクワクしていました。
しかし、異動しても状況は何も変わりませんでした。異動したところで仕事内容が変わるわけではないので当たり前といえば当たり前のことでした。むしろ異動したことで、自分がなんとなくで仕事をしてきたことをまざまざと見せつけられた気がしてモチベーションは徐々に下がっていきました。

もう少し詳しく説明すると、異動先の課は既にチームとしてある程度出来上がっているためそこに自分の存在価値を見出すには、技術力なりリーダーシップなり自身が培ってきたものを発揮する必要がありました。ですが、そんなものは何一つ自分が持っていないことに気付いてしまったのです。いや、もしかしたら持っていたのかもしれませんが自信を持って「このプロジェクトで私はこういう役割をこなせます」と言える自信はありませんでした。そのプロジェクトでのシステムに対する知識も明らかに足りていませんでしたし、理解する能力も足りていなかったと思います。一言で言ってしまえば、「仕事に対して覚悟が足りていなかった」のだと思います。

結果として異動先で、私はいてもいなくても変わらないのでは?と思うようになりました。



自分がやりたいこと


部署異動した私は、仕事に対して「やっぱりなんか違うな」という想いが強くなっていきました。

異動先の課の人達は、以前の課より真面目な方が多かったと思います。雑談らしい雑談もあまりせず、モチベーションも限界を感じてきて自然と会社で笑う回数は少なくなっていきました。

そんなある日、毎週楽しみにしていたアメトーークを夜に観ていて「あれ、今日初めて笑ったかも」と、その日、家に帰ってきてテレビを観るまで笑っていなかったことに気付きました。
そしてほぼ同時に「お笑い芸人って楽しそうだな」、「他にこんなに面白そうに仕事してる人達見たことないな」と思いました。

過去を思い返すと、小学生の頃にみんなの前で一発ギャグをしたり、大学生の頃にサークルの合宿で仲の良いやつとコントを作って披露したり、色んなお笑い番組をよく観てたりと、自分がお笑い好きな人間であるということに気付きました。その時、急にお笑いを仕事としてやりたいと思いました。

29歳になった時に、やりたいことは全部やると決めていたので、すぐにお笑い芸人になる決意をしました。それからすぐにお笑いの養成所について調べ始め、入学者人数の多さと授業の手厚さが決め手となり吉本の養成所=NSCに入学することを決めました。
ちなみに当時、闇営業の問題がちょうど話題となっていた時期でしたが、私としてはそういう問題は明るみに出た方が会社として良い方向へ進むと思っていたのでプラスに捉えていました。


やりたいことをできるだけ早くやる


29歳になるまで大きな決断をしてこなかった私が、システムエンジニアからお笑い芸人に転職するという大きな決断をできたのは、「やりたいことをできるだけ早くやる」という考えを持てるようになったからです。


先ほども書きましたが私は、29歳になった時に、やりたいことは全部やると決めました。そのきっかけは些細なことでした。

当時、私はNintendo Switchを買いたいと思っていました。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』をやりたかったからです。小学生の頃にプレイした『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が大好きだったから是非やってみたいと思っていました。ただ、特に理由もなく先延ばしにしていました。しばらく経って、なぜNintendo Switchとソフトを買わないのか、自問自答してみました。そこに答えはありませんでした。やらない理由は何一つありませんでした。

やりたいのにやらない理由がないことに気づいた私は、すぐにNintendo Switchと『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を買いました。
それをきっかけに、やりたいことをできるだけ早くやることの重要性みたいなものに気付きました。

人にもよりますが、行動を起こすのには力が要ります。
私の感覚ですが、やりたいと思ったその瞬間に行動を起こさないと、徐々にその行動を起こすために必要とするエネルギーが大きくなってしまいます。逆に、やりたいと思った瞬間に行動を起こしてしまえば大したエネルギーを使わずに済みます。だから「やりたいことはできるだけ早くやる」に限ります。



お笑い芸人になるにあたって、不安は2つありました。
一つはお金のこと。もう一つとは自分がお笑い芸人に向いてないかもしれないということ。どちらも色々と考えましたが、お笑い芸人をやらない理由にはなりませんでした。

なんとかなるだろう、そう思いました。


最後に


やりたいことをやって生きていける時代に生まれたことに感謝しています。

皆さん、やりたいことをやりましょう。

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