見出し画像

日光御成道2 大門宿→幸手追分〔完〕

かつて江戸時代に将軍などが19回、日光東照宮参詣に通った道。東京都文京区・中山道本郷追分から埼玉県幸手市・日光道中幸手追分まで、2回に分けて歩きます。

2022.03.12

1.スタート地点まで

本日のスタート地点はお隣の川口市。
日の出が早くなってきたので、早く出られるようになりました。街道歩きは朝イチに限ります。


冬は寒いので、電車に乗る前にセブンイレブンで温かいコーヒーを買うのですが、間違えてアイスカフェオレのボタンを押してしまいました。
微妙な温度のミルキーな飲物…。ちょったした事ですが、出発前から大きな精神的ダメージを負います…。


南浦和駅で武蔵野線に乗り換え。
武蔵野線開業の発端は、貨物専用線として鉄道を走らせる事による、沿線住民に対する騒音公害の見返りとして、旅客営業を始めたのですが、今や立派な交通網になってます。
埼京線も同じで、東北新幹線の騒音対策でした。


東川口駅到着。
日の出前、東の空がうっすらと赤く染まってきました。


駅前広場。


上から吊された空中花壇、造花ではなく本物の花です。アップにすると、水滴が落ちているのがわかります。
どうやって水をあげているのか不思議?


こちらの丸いオブジェは、埼玉高速鉄道を工事する際に使った、トンネル掘削の道具、シールドマシン。大きいですね!


2.火の見櫓

日が昇ってきました。
朝陽は何度見てもいいですね。


さて、街道に入ります。
なんと、前方に火の見櫓が!


諏訪大明神。


こちらが火の見櫓、隣のマンションの方が背が高いです。いつまでもそこに建っていて欲しい。


車通りの少ない道を進みます。


進行方向右側東斜面は段丘になっており、抜群の見晴らし。この上に住んだら、早起きになりそうですね。


3.大門宿

松の木が残る道を進みます。


大門神社、奥の方の三の鳥居まで確認できます。


かわいい、道端に子どもの手形!


本陣表門、ここまで保存状態が良い門は、五街道でも珍しいです。


中には入れないので、覗き込みましたが、広い中庭があるだけでした。


大門宿の中心部は落ち着いた雰囲気。


脇本陣の長屋門も立派です。


大門宿の中心部の終わり付近は、残念ながら東北自動車道で寸断。


4.さいたまスタジアム

目玉付き鳥居、私はこの付近に住んでいるので馴染みがあるのですが、不法投棄防止の看板。よく考えましたね!


東北自動車道、東京方面の様子。
只今の時刻土曜日の午前7時、右の下り車線がもっと混雑する日が来ますように!


さいたまスタジアムが見えてきました。



天然温泉・露天風呂・サウナ・岩盤浴・24時間シェフが作る高級レストラン!
ここはラブホテルの域を超えてます。


この付近は美園と呼ばれております。
さいたまスタジアムの最寄駅は、埼玉高速鉄道の浦和美園駅。


庚申塔や祠がたくさん残ってます。


桜や梅が綺麗。


進行方向右手にさいたまスタジアム。
浦和レッズのホームスタジアム、自宅から自転車でこの道を通りよく行きました。
一番の想い出は、2007年ACL決勝のイランのセパハン戦。2-0で勝利、国内の試合と違い、なんとも言えない感動でした。


八幡社。近隣の村から御神体が流されて来て、祀ってあるそうです。


撮影に使われそうなお医者さん。


5.里山田園風景

庚申塔に氷川神社。


最後の輝きを放つ紅白の梅と、炉端に散る椿の花。どんな時も木々は季節と共に、時を知らせてくれます。


造園屋さん、竜の髭の苗や、芝生が綺麗に並べてあります。


天久保坂。


黄色いバスが並んでます、何かと思ったら競走馬運搬車でした。
浦和には競馬場があるのです。開催日以外は、住民の近道として競馬場の中を通る道が解放され、深いダートの上を歩けます。


美しい雑木林。


美しい畑。


街道を彷彿させる建物。


一里塚。
まさか残っていると思ってなかったので、想定外の感動!


埼玉県内を縦断する、三つの街道をわかりやすく説明してある地図。


コメダ珈琲が無いので、ここで朝食。


筆塚。
使い古した筆を供養した場所。


謎の植物⁈
寒さ対策をしている野菜か植木だと思いますが、正体不明。


6.春の彩

春の彩は他の季節を圧倒しますね。
これから訪れる樹々の新緑が楽しみですね。


蔵は数少ないので貴重です。


少しの区間旧道に入ります。
本日の道で県道から逸れる道は、ここだけでした。


七里と書いて"ななさと"と読みます。
一瞬江戸から七里かと思いますが、距離を示す"しちり”ではありません。


東都観光バス車庫。
いつも車庫が空っぽになるくらい、お仕事が戻ります様に。


思い出したように、あちこちの行き先を教える道標が登場。


深作川。


"へら竿かけ"、いろんな商いがありますね。


関東の大動脈、国道16号。


東日本の大動脈、東北自動車道。


7.岩槻宿

岩槻宿に入りました。
村の鎮守、久伊豆神社。


綺麗に整備されており、地元の人々に大切にされている事が、感じられます。


街道沿いには様々な表示があります。


良いですね!


風情ある建物が多く点在。


8.八雲神社の彫刻

八雲神社。
何か人を惹きつける雰囲気があり、入ってみました。


市の守護神として祀られて、市神社と呼ばれてましたが、現在は八雲神社に改名。本殿内には、市神社と記されており、いくつかの立派な木彫りがあります。


八岐大蛇の木彫り。


素戔嗚鳴尊の木彫り。


守り神の孔雀、玄武、青龍、白虎。
見事な木彫りです。


神輿も大きくて重たそう。


町中には丁寧な案内看板が随所に設置。


高札場跡。


東武野田線岩槻駅。


本陣跡の埼玉信用金庫。


陶器などを販売する、わた忠。
圧倒的な存在感のお店です。


一里塚跡地。


9.人形のまち

岩槻宿入口のわらべ人形。


中小規模の人形屋さんが、たくさんあります。

市役所跡地の人形博物館、かなり贅沢な造り。


人形の作成工程なども展示されていて、リアルさの追求には驚きました。


銭湯"雛の湯"。岩槻らしい名前。


大通りを左折。
御成道の立看板を見ると、応援されている気になります。


東武野田線をくぐり、町中はこの辺りまで。


久伊豆神社、石柱しかないので、元々はこちらにあったのでしょう。


ランドセルお祓い式。こんな習慣があったんですね。




10.杉並木の名残

元荒川。今の荒川とはかなり距離が離れています。


一本松。
存在感は写真以上、左のポパイラーメンが気になります。



石仏や古い建物がそこそこ残っています。




大きな杉がみえてきました。


杉並木です、不健康そうな葉の色が気になりましたが、まだ残っている事に感動を覚えます。


大谷石の蔵。


横道に美し景色と道があると、行きたくなりますね。


11.お玉様

お玉様。
普通の祠かと思い、小さな説明書きに惹かれて小窓を開けると…


流行病にかかった時に、ここにあるお玉を使って、病人に与える食事をすくうと、病が治ったとの言い伝えがあり、今も地域の方にお玉を貸し出してます。
素敵な祠ですね。


杉、梅、水仙、街道を彩る植物。


白岡市に入りました。
水が流れていない川の跡、鉄道の廃線跡みたいで、歩いてみたくなります。


お昼は埼玉県のソウルフード、山田うどん。所沢市に本社があり、主にロードサイドで展開。食べたのは小学校以来でした。
うどんぽい麺のラーメンと、パンチ丼と呼ばれるもつ焼きの丼を、美味しくいただきました。喉カラカラで入ったら、蔓延防止でビールが出せなくて、辛かったです。


12.いくつもの川を越えて

この付近は川がたくさん流れています。
田畑が多いので、灌漑用だったのかもしれません。


終点の幸手まであと9km。


彦兵衛、この地域の村の開墾者の名前でした。


彦兵衛が開墾した田畑、杉の木が一本、力強く残っています。


日光御成道名物を販売する商店。
入る勇気なく通過。


梨畑、この付近には沢山あります。


姫宮落川、近くに姫宮神社があるからですね。


東武動物公園。
当時の上野動物園園長だった西山さんが園長として就任、カバの飼育で有名な方でカバ園長とも呼ばれていました。
彼方に観覧車とローラーコースターが見えます。


というわけで、道端のフェンスはカバです。


一里塚が見えてきました。


なんと、両塚残ってます。
五街道の山間部以外で、ここまで両塚が綺麗に残っている場所は珍しいので、しばし見惚れてました。


こちらも梨畑。
4~5月頃には、眩い純白の花が咲き、心を奪われるくらい綺麗です。


早咲きの枝垂れ桜が美しいお屋敷。


鷲宮神社。


一二代将軍家慶が、小休止をしてます。


道端に咲くふきのとう、雪国に咲くものと思ってました。
天ぷらにして食べたくなってきますが、咲いたら、もう美味しくないですね。


備前堀川。
日光道中に備前という地名があったので、そこから続いているのでしょうね。


東武伊勢崎線を渡ります。


備前々堀川、大落古利根川、川が続きます。


宿場巡りの看板、日光道中追分まであと少し。


13.高野砂丘

自然堤防の上に築かれた一里塚。
登って斜面を歩いてみると、サラサラした砂が多くてズルズルしました。


幸手宿が近いので、街中に入ると思ったら、急に峠道に入る手前の道の雰囲気になってきます。


八幡神社。2001年4月に火災で全焼してますが、同年12月に再建。地域の方々の愛が感じられます。


この付近には、自然堤防により出来た高野砂丘があり、長さ2,800m、幅85mもあったそうです。先程の一里塚の土がサラサラしてたのもその影響ですね。


松並木の名残、
松は杉並木とは異なる風情があります。


14.幸手宿

幸手氏に入りました。
圏央道・首都圏中央連絡自動車道をくぐります。


三方向に案内が記してある、とてもわかりやすい道標が残ってます。
右 日光、左 岩槻。西 久喜。


琵琶溜井。
名前の由来は、治水用のダムが琵琶の形をしていたから。中山道にあった琵琶峠は、稜線が琵琶の形をしていたからでした。
琵琶湖も同じ理由で、かつては近江海と呼ばれていたそうです。


日光道中に合流しました。
この先は昨年末に歩いてますので、お時間とご興味のある方はご覧ください↓。




この辺はかつて歩いた道。


今日は気温が20度近くまで上がりきつかったです。
38度の日に中山道を美濃路を歩いた日々が嘘のよう。寒い方が街道歩きははるかに楽ですね。

これにて日光御成道はおしまい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?