長崎街道9 大村宿→矢上宿
2023年9月、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
憧れの長崎街道、鎖国の頃に異国文化を運び、シュガーロードもと呼ばれた、文化交易の大動脈。北九州から長崎を目指します。
2024.01.08
1.大村宿
教会が街の中に、当たり前の様にあります。
昨日は道中、キリシタン弾圧の史跡を目の当たりにしているので、教会を見てその歴史を思うと、身が引き締まる思いが込み上げてきます。
介護施設が商店街の空き店舗や、空きスペースに入っています。
これからの商店街の姿として、何か大きなヒントがある様な気がしました。
ふり返ると、アーケードに本陣通り商店街と記されてます。
本陣跡らしき建物や看板、見逃してしまったのか何も無かったのか。少し後ろ髪を引かれながら前に進みます。
2.武家屋敷
護国神社と春日神社への長い階段を昇り切った高台に、見事な武家屋敷街跡がありました。
良くないのですが、予習をしないで街道を歩く習慣があり、結果的にたくさんのサプライズに会ってきました。
武家屋敷街跡は街道から逸れますが、面白そうなので少し寄り道します。
大村の武家屋敷は、今も住民の方々が普通に暮らしているので、中に入って見学は出来ません。
そこが逆に魅力で、武家屋敷街跡全体がミュージアムの様で、とても良かったです。
武家屋敷を過ぎてから、激しいアップダウンを繰り返します。この付近は道がわかりづらく、いつの間にか道を間違えていました。
街道歩きで道を間違えると、結構落ち込んだりします。そんな時は、往時の旅人も道を間違えていたに違いないと、心を切り替えると、救われた気分になれます。
日置の峠。
なかなか魅力的な道でしたが、残念ながら崖崩れで通行止め、残念…
3.小松宿
大神宮。
古松宿から峠道に入る手前の山の上に、趣がある神社がありました。
往時の旅人も、峠道に入る前に、お参りしたり休憩をしたのでしょう。
そんな事を考えながら私も小休止しました。
急な坂道をぐいぐい昇ると、家々が少しずつ減って来ます。
さぁお楽しみの峠道が始まります。
4.鈴田峠
大村湾もおそらく見納め。
二日間にわたり、美しい風景を楽しませて頂きありがとうございました。
大村側では鈴田峠、諫早側では日野峠、同じ峠ですが呼び方が違う様です。
冷水峠、俵境峠、鈴田(日見)峠、長崎街道三つ目の峠を越え、永晶(えいしょう)宿に入ります。
5.永晶宿
長崎街道で散見する謎の壺、どうやら茶壺の様です。
童謡"ずいずいずっころばし"の歌詞に、
♪茶壺に追われてドッピンシャン
とありますがどんな意味なのでしょうね?
この付近は、素敵なデザインの家がたくさん建っており、小学校も洋館の様で、街全体が映画の世界の様でした。
長崎街道とその周辺の街道の位置関係が一目でわかる、とてもわかりやすい地図です。
長崎街道を歩いていると、地形が複雑で、どちらに向いて歩いているか、時々方向感覚が麻痺します。
いつだったか、西又は南西に向かって歩いている筈なのですが、朝歩いていると、正面に太陽があった時は、逆走しているのかと思い何度も地図を見返してました。
長崎街道には、今まで歩いて来た大村湾ルートは別に、有明海側を通る、多良街道と呼ばれるルートがあります。
長崎方面とは逆走しますが、多良街道を沿いにある諫早神社にお参りしたく、少し寄り道します。
諫早神社。
かつてはは四面宮(しめんぐう)と呼ばれていましたが、神仏分離令の影響で今の名前に変わっています。
人気のある神社の様で、初詣の人々でかなり賑わってました。
島原方面に別れる道との追分で、その道の先を見ていると、島原半島に行ってみたくなります。
街道の楽しみは、日本中・世界中に広がります。
この辺りは極めて道がわかりづらく、いつの間にか間違えてバイパスを歩いてました。
街道を歩いていて、バイパスほど退屈な道はありません。交通量が多く史跡はひとつもなく、近代的な建物ばかり。
とはいえ悲観的になっても仕方ないので、往時のビジネスモデルが、現代にどの様に継承されているか、観察しながら歩いてみました。
新旧街道ビジネス比較
①洋菓子店
こちらはわかりやすく和菓子屋です。
新旧街道ビジネス比較
②ファミリーレストラン
こちらは、食事処なので"茶屋"ですね。
新旧街道ビジネス比較
③ビジネスホテル
④コンビニエンスストア
ビジネスホテルは、"旅籠"または"木賃宿"。
コンビニエンスストアは、"立場茶屋"と言ったところでしょうか。
6.久山
赤松坂。
住宅地の中の坂道を昇ると、突然藪に向かって長崎街道の道標が。
不気味なくらい薄暗い道を歩き始めると、三分くらいで終わってしまい、景色が住宅地から里山に一変します。
久山茶屋周辺の方々が、長崎街道絵巻を、長崎自動車道下のトンネル内に描いてます。
絵巻は小倉城から始まり西に進みます。
小倉城の隣の、松本清張記念館で感動していた時が、昔の出来事の様に懐かしく感じます。
長崎街道旅立ちの絵。
出島の近くで、たぬきの家族が旅立ちの見送りをしています。
長崎街道を門司の大里宿から歩き始め、小倉宿と木屋瀬宿の間を歩いている時に、あるものを見て、長崎街道の起点は長崎である事に気付きます。
あるものとはこちら↓
上の画像の路面道標、長崎に向かって歩いていると、逆さまになってます。
何故だろうと考えたら当たり前の話で、鎖国時代に長崎に輸入された物資を、国内に運んだ道が長崎街道ならば、起点はどう考えても長崎でした。
次に歩く時は、長崎から歩きます。
児童デイサービス"くやまドレミ"。
デイサービスという言葉は、高齢者向けサービスと思い込んでましたが、違いますね。
デイサービスとは、人と人をつなぐ、コミュニケーションの場を提供する福祉ビジネスなんだと、考えさせられました。
海が見えてきました。
有明海かと思っていたらその西側の湾で、橘湾と呼ばれています。
7.井樋尾
まむし草。
はじめて見たのは甲州道中の笹子峠。その時は夫婦で歩いてて、あまりの毒々しさに、少し恐ろしさを感じました↓
次にまむし草を見たのは、春の日光例幣使街道の杉並木。その時は、まむし草の赤い実がなる前の状態。
どうしてわかったかというと、蛇柄の細い竹の子の様な芽が伸びていて、ひょっとしたらこれはまむし草では?と調べたらそうでした↓
上の2枚は、芽が伸び始めた頃。この時の姿が、マムシ草の名の由来となる蛇柄状態です。
もう少し成長すると、上の画像の様に、普通の草になり、赤い身がなるまでは、簡単には探せなくなります。
マムシ草に出会った日の、甲州道中と日光例幣使道の記録は↓
樹々に囲まれた薄暗い、緩やかな坂道を昇りきると視界が広がり、右側に息を呑むような美しさの、棚田と里山の風景が
望めます。
10分位で通過してしまいましたが、長崎街道の中でも屈指の絶景里山風景でした。
実際の風景は、画像の10倍くらい美しかったです。
8.古賀
古賀地区はかつて全住民がキリシタンであったと記されています。近隣の地区もそれに近かったと思われます。
先程から庭木が美しい家が目につくなと感じていたら、古賀は植木の産地でした。
9.矢上宿
矢上宿に入りました。
陽が沈み、街に明かりが灯り始めます。
今は街灯がありますが、往時は常夜灯が貴重な道端の明かりでした。
宿場町以外での、暗くなってからの街道歩きは相当心細かったと思われます。
お地蔵さんの不思議な被り物、これは一体なのか、長崎独特の文化かもしれません。
本日はここまで。
ゴールまで10kmくらい残して宿に向かいます。
長崎街道最後の晩餐は、この旅で初めて宿泊施設での夕飯。
飲食店が経営する商人宿なので、食事が充実してました。
さぁ
明日は最終日です。
寂しくなりますが、楽しく歩くぞ!