北陸道4 魚津宿→富山宿
新潟県から滋賀県まで北陸を縦断する道は、北陸道・北国街道・加賀街道、様々な呼び方があります。
2024年夏の歩き納めは、日本海側の文化を感じながら、猛暑・台風・心身、三つ巴の戦いをしながら北陸道を南下します。
極限状態の真夏日の、歩き方ノウハウが散りばめられた記録をお楽しみください。
2024.08.21
1.魚津宿
本日は富山から新幹線で帰ります。
お店でゆっくりモーニングという訳にはいきませんので、部屋で朝食を食べてずんずん歩きます。
小さな富山銀行の建物が、この街の風景にフィットして良い味を出しています。
能登半島地震の影響と思われます。
富山県に入ると富山湾を挟んで目の前が能登半島、離れている様で距離的には近いため、富山県内も多くの被害を受けました。
壁面アート、名物ホタルイカが窓の周りを囲んでます。
富山県に入ってからの印象は、どこに行っても水が豊かな事でした。
歩いていると、川の水との距離が近いので、その豊かな水が、透き通る様に綺麗な事にすぐに気が付きます。
この綺麗な水が、日本酒や富山湾の魚の美味しい要因ですね。
画像では伝わっていないかもしれませんが、街道沿いの建物がなんともいえない味わいを醸し出しています。
2.米騒動発祥の地
三銭学校。
1937年、戦時下に女性の力によりこの地に魚津託児所が開設され、保育料が1日三銭であったことから三銭学校と呼ばれていました。
当時は3人の保育士で130人も預かっていたそうです。
魚津は江戸時代以前から蜃気楼の名所として知られており、1669年に記された日本最古の蜃気楼の記録が残っています。
文化庁の登録記念物に指定されており、11~5月の間に見ることが出来て、発生すると市が蜃気楼情報として放送で流すそうです。
この日は季節外れで見れませんでした。
旧十二銀行事務所 米蔵。
米騒動の舞台であった蔵が今も現役です。
街のあちこちにこのような水が湧いている蛇口があります。飲めるのかがよくわかりません。
3.滑川宿
稲刈りが始まってます。
私が住んでいる関東地方では、ゴールデンウイークに田植えをしてシルバーウィークに稲刈りをするのですが、一ヶ月くらい早い稲刈り。
雪国なので、田植えの時期も早いのかが気になります。
北陸醗酵工業。
北陸地方では数少ない焼酎メーカーで、代表銘柄は米騒動、早月川、北の大将などの焼酎。水が美味しいので焼酎も美味しい事でしょう。
その他清酒、かりん酒や梅酒などのリキュール、地発泡酒を製造しています。
滑川漁港
かつては、加賀藩の藩米を積み出す物流の拠点となっていました。
ホタルイカ漁の最盛期、3月下旬から5月初旬にかけては、漁の様子を別の船から見学する観光船の発着港となります。
観光船の出航時刻は深夜の02:20、日本一出発が早い観光船かもしれません。
ほたるいか群遊海面 モニュメント。
特別天然記念物と刻まれています。
天然記念物は日本にどのぐらいあるのか調べてみると、動物で21、植物で30なので、かなり貴重です。動物の一覧は下記の通り。
滑川宿の中心部に入ってきました。
道筋が綺麗に残されており、至る所に説明看板が掲げられています。
歴史的建築物の案内図があります。
ゆっくり巡りたい所ですが、今日は富山宿に着いて帰宅せねばならないので、またのお楽しみに残しておきます。
北前船の交易が盛んだった頃は、相当な賑わいであったそうで、昭和の時代までは映画館があったそうです。
タイムマシンで見てみたいですね。
街道歩きで先を急いでいると、後ろ髪を引かれる場所が幾つもあります。
滑川宿は、再び訪れてゆっくり見学したくなる宿場町でした。
この付近が一番辛かったです。
途中自販機があるとの予測が大外れし、水分が底をつく寸前でコカコーラの自販機に巡り合い、命拾いした気分でした。
4.水橋宿
サロン梅の湯。
銭湯跡が交流の場の様にになってます。
程よく濃い目の醤油ラーメン。
私が求めていた最も近い味に、辿り着いた感じです。
製薬メーカーの工場と、薬の卸問屋が続けざまに登場。
薬といえば富山県、人口あたりの医薬品生産金額・製造所数・製造所従業者数は全国1位です。
5.常願寺川
常願寺川を渡りました。
富山県の七大河川、黒部川・片貝川・草月川・常願寺川・神通川・庄川・小矢部川の一つです。
急遽14:00-15:00でオンライン会議が入ったため、歩きながら会議をする場所を物色。
ネットカフェがあったのですが、完全個室では無いためにオンラインミーティングがNG。
カラオケ屋に行くと会員登録が必要で、免許証かマイナンバーカードの身分証明書が必要でしたが、街道歩きの際は1グラムでも荷物を減らしたいので持っておらずNG。
路頭に迷ったときに見つけた、使われていないと思われる倉庫の横に捨てられていた椅子を、街道会議室として活用させて頂きました。
平日の街道歩きは、朝は通勤する自動車の脇を恐る恐る歩き、昼は仕事との戦いも加わり、結構過酷です。
6.新庄
金岡邸。
富山の薬種商の建物、母家は江戸末期の建築です。豪商の商いが薬、富山らしいですね。
音楽朝市。
年に4回開催される、音楽イベント・キッチンカー・フリーマーケットが集う朝市。センスに満ち溢れています。
素敵な空間なのでしょうね。
昔の西武レッドアロー号。
なつかしい電車が踏切を通過してびっくり!富山地鉄で活躍している様です。
疲れた郵便ポスト。
このポスト、色褪せているだけではなく、足腰が疲れて壁に寄りかかって休んでいる様にみえて、可笑しくなってしまいました。
理髪店のサインポールの上にペンギンが乗っています。多くのサインポールを歩きながら見てきましたが、サインポールに装飾が施されるのは希少です。
旧街道沿いは駅前などから外れると、多くの商店が廃業になっています。
しかし理髪店だけはどこに行っても残っています。髪の毛は生きている限り永遠に伸びるので、永遠の職業なのですね。
水戸街道を歩いた時、その事に気が付き茨城県に入ってから全ての理髪店サインポールを撮影し続けました。
その時の記録はコチラ↓
道路標識「停」、あまり見かけないですね。
標識名:停車可
標識の意味:車は停車することができます。
7.富山宿
雪見橋。
かつてこの周辺は船着場でした。
北陸道の要衝としておおいに賑わったそうです。
総曲輪(そうがわ)。
富山最大の繁華街。元々は富山城の外堀で、藩の役所や屋敷地が存在していました。
道に迷い、本来北陸道が通らなかったはずの富山城本丸に出てしまいました。
北陸道を忠実に歩いていたら富山城にお目にかかれなかったので結果的には良かったです。
街道を歩いていると、城下町に入る事が多々ありますが、殆どの街道が城の本丸から離れた場所を通りますので、寄り道をしない限りは城の見学は出来ません。
8.神通川船橋
松川。
富山市の中心部、富山城の北側を抜けて神通川に注ぐ川。
桜の時期の遊覧船からの眺めは、さぞ美しい事でしょう。
かつて神通川はこの付近を流れており、舟を並べてその上に板を貼り渡る舟橋が架けられていました。
その後、神通川の流れが西に移動し、川の跡地は埋め立てられました。
本日はここまで。
4日かけて目的地の富山宿まで着きました。
いったん帰宅してまた戻ってきます。
上の画像はLoversというモニュメント。
前職の同僚が夢だった芸術家になるべく、2001年に単身で渡米。
ニューヨークに住み作品を作り続け、なんと故郷の富山の駅前に、イタリア・カラーラの大理石で作った彫刻のモニュメントを建てました。
イタリアで彫ってから、船で日本に運んでくる壮大なプロジェクト。
夢を追い続けて実現させる芸術家・吉野美奈子、富山の星です!
さて、戻ったらお仕事お仕事…
次回は富山から福井を目指します。
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