成田街道1 新宿→大和田宿
江戸幕府が整備した、脇街道の佐倉街道として参勤交代などで栄えたと同時に、庶民に大人気だった成田詣の人々も通った道。成田山新勝寺を目指し、灼熱の成田街道を夫婦で目指します。
2022.06.25
1.スタート地点まで
4日前が夏至なので、陽が昇るのが一番早い時期、街道歩きには日照時間が長いベストシーズンです、気温が高くなければ…。
西日暮里駅で乗り換える時、東京メトロに乗り換える改札の横に、珍しい有人窓口があります。
何だろうと思いつつ通過してましたが、時間があったので窓口上の看板を見て判ったことは、JRで取手方面から→池袋・新宿方面の"紙のきっぷ"を買った人が、地下鉄千代田線の北千住→西日暮里に乗ってしまった場合、自動改札が通過できなくなるので、その人用の窓口だと思われます。電子マネーの時代に解決できないケースがあるのですね。
この窓口に、何となく昭和を感じ、嬉しくなります。
先月歩いた水戸街道の新宿追分まで、暫く歩きます。
あと少しでスタート地点に、30分近くかかりました。
2.新宿
左水戸街道・右なりたみち、の道標を見てスタート。
途中で発見した昔懐かしい、手書きの案内地図を、本日は撮り続けてみます。
伊勢屋。
信号待ちしていると、朝早くから店員さんが7人位忙しそうに働いている、惣菜屋さんが見えてきました。
時刻は6時30分位、お客様が次々と買いに来ます。私たちも吸い寄せられる様に店に立ち寄り、小腹を満たす為の焼きおにぎりと、土産用の水饅頭を早くも購入。日中は相当混みそうな店です。
3.旧佐倉街道
途中から、佐倉並木がとても美しい、"さくらみち"と呼ばれる道に入ります。佐倉街道の説明が書いてあったり、佐倉と桜をかけた道の名前であることから、成田街道よりも佐倉街道の方が、馴染みがあるのかもしれませんね。
"さくらみち"の次は、"親水さくらかいどう"、佐倉街道愛が強いですね。
都内の街道で水が流れているとは、想像を超えた感動を味わえました。
4.茅の輪くぐり
暫く江戸川の堤防上を歩きます。
日陰はゼロ、まだ朝の7時なので耐えられましたが、日中でしたら相当きつかったと思われます。
住宅地を抜けて、京成江戸川駅前商店街に入ります。
どこにでもある"自治会掲示板"も、本日どの位あるのか、定点観測していきます。
もう江戸川を渡って千葉県に入るのかなと、早足で歩き始めたら、大きくはないですが、地域に愛されているオーラを放つ北野神社が待ち構えてます。
中に入ると茅の輪くぐりが用意されておりますが、祭事が9時からなので、くぐれない様に縄がかかってます。残念、くぐれません。
この地の芽の輪くぐり、昔は無病息災を願い、昔は家族の名前を書いた人形を持って輪をくぐり、江戸川に流していたそうです。
国道14号千葉街道に入り、市川橋を渡ります。
左右には京成線と総武線の橋も架けられ、かつての小岩市川の渡しの賑わいを、現代に引き継いでます。
5.市川の関
街道を歩いていて、関所跡は何故かワクワクするスポットです。
しかし残念なことに、川の近くの関所跡は、ほぼ流れが変化している為残っておらず、かつてこの辺りにありました程度の案内看板程度しか無くて、市川関所跡も同様です。
それに対して、峠道の関所跡は、よく残されてます。
市川は宿場町らしさがあまり感じられません。五街道や脇街道で、都内を出て最初の宿場町で、街道らしさや街道愛を感じられるのは、川崎宿と蕨宿です。
6.市川の御柱
建物は残ってませんが、石碑が突然歩道のど真ん中に残されていたりします。
びっくりしました。
市川の諏訪神社では、諏訪と同じように御柱の渡御を行い、坂の上から木を落とす祭事は行いませんが、渡御後に境内に建ててます。
中山道を江戸から歩くと、下諏訪宿に入る手前に、木落し坂と呼ばれる木落としをする現場の横を歩きます。脱線しますがその時の写真を紹介します。
木落とし坂の上の広場に、落とす寸前の状態の御柱が、サンプルで置いてあります跨ることができます。物凄い傾斜で神事でなかったら、跨って落ちるなんて怖くて出来そうもありません。
申と寅の年の4月に行われるのですが、今年は残念ながら中止となりました。
7.八幡宿
外食チェーンのサイゼリヤは、本八幡が発祥の地。
一号店かと思いましたが、2000年に一号店は閉店となり、今は地元の経済界が記念館として保存をしています。
市川市役所の向かい側に、見事な竹林と鳥居があります。竹林には入れなくなっており、そこは様々な言い伝えがある禁足地でした。
鬼越、怖い地名です。鬼が現れた事が地名の由来、鬼が村を守ってくれていたのかもしれませんね。
この付近は葛飾湧水群と呼ばれ、多くの溜池があり、その名残として残されているのが二子藤の池。残念ながら美しい水とは言えませんが、湧水があった名残として、大きな存在感を示してました。
8.屋敷が並ぶ道
突然屋敷が増えてきました。
成田に向かって街道の左側に崖があり、街道と崖に挟まれた奥行き50~100m位の敷地に、多くの屋敷が残されています。
西船橋駅前に着きました。この付近の地名は葛飾、近くにある京成の駅名は、かつては葛飾駅でしたが、東京都葛飾区と紛らわしいとの事で、京成西船という駅名に変えられてしまってます。船橋葛飾とか、もう少し気の利いた名前に出来なかったのですかね…。
山野浅間神社は、祭事の時はかなり賑わいそう。長い参道の両脇には、屋台が並べられるスペースがあります。夏祭り中止の掲示があり、残念でなりません。
9.船橋宿
国道14号から離れ、船橋宿まであと少し、かなり暑くなってきました。群馬では40度に達したとかニュースが出始めており、温度計は見ると心が折れそうになるので、見ないで歩くことにします。
船橋市は、ラグビートップリーグク"ボタスピアーズ船橋・東京ベイ"と、バスケットボールBリーグ"千葉ジェッツふなばし"のホームタウン。
千葉ジェッツは東地区で3連覇中の強豪です。
船橋の由来は、今渡った海老川を渡る為に、船を並べて橋を作った事から。
各地の街道を歩いていると、船橋を作って川を渡った話がよく出てきます。
10.船橋大神宮
船橋大神宮の正式名称は、意富比神社(おおひじんじゃ)、ご祭神は天照大神。神門の先の拝殿はコロナの影響で強めの入場規制がされており、お札を納めての正式参拝者でないと、入れない雰囲気てました。
意富比神社の隣に、煌びやかな社殿の常磐神社が。拝観料を取ることもなく、維持費が大変そうです。
なんと昔の灯台が残されてます。昔はすぐ近くまで、海岸線が迫ってました。
11.大学時代住んだ街に
空を自衛隊のヘリコプターが飛行してます。
日本唯一の空挺団が、これから進んだ先にある習志野駐屯地を拠点にしており、パラシュート部隊が空から降りてくる光景が、日常風景になってます。
大学時代の住んでいた街に来たので、下宿先から100mの距離にある、一番多く食べに行ったお店に寄り道して向かいます。
30年ぶりに食べに来ました。
写真のラーメンと共に、いつも食べていたニラレバ餃子セットも注文。懐かしさに、胃も心も大満足!
12.熱中症対策
銭湯で小休止。
強烈なインテリアの銭湯、開店3分前に行ったら15人位の列が、みんなピッタリの小銭を握りしめ炎天下の中待ってます。サウナは高温と中温の2種類があり、また来たくなる銭湯でした。
この日は全国的に猛暑日になり、歩いているうちに身の危険を感じ始めたので、一番暑い時間帯の14:00から約1時間は、公園の木陰で昼寝してました
経験上街道歩きの熱中症対策は2つ、''水分補給"と"体温調節"。体温調節はエアコンの効いたコンビニや公共施設などの建物の中に入る、又は木陰の場所で体を冷ます、これで何とかなります
空が広く見えてきました。
田畑が目立ち始め、ゆったりと歩けます。街道歩きの醍醐味の一つが、田園風景の中をゆったりと歩く事。この先は自然が豊富な地域に向かっていくので、楽しみです。
実はこの近くに私の勤務先があり、ここを歩いている事が不思議でありません。
今朝歩き始めた時は、朝陽を正面から受けてましたが、今は夕陽を背面から受けています。
今日は暑かったので、体温調節したり銭湯入ったりと、ゆったり12時間コースです。
13.大和田宿
寄棟屋根の屋敷が増えてきました。
土地に余裕があるからでしょうか。そんな寄棟屋根の母家に併設されたガソリンスタンドに、貴重な懸垂式ガソリン計量器が使われていました。前々回の東京オリンピックの頃に、狭い土地でも給油できる様に考案された日本独自のシステム。今ではガソリンスタンド全体の5%位しか残っていないそうです。
大和田宿に入りました。
街道歩きで都心から郊外に向かう1日は、本日の様な開発が進んだ単調な道が多く、修行道と呼んでます。
ちょうど歩き始めて12時間で本日の目的地に到着。本格的な暑さを身体に適応させた1日となりました。
今年の夏の暑さはどうなるでしょうね。
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