東海道 復路4 草津宿→水口宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
2022.12.03後編
1.草津宿
草津宿には、天井川と呼ばれる、家の屋根より高い位置に天然の川が流れていました。
どの様にしてそうなったのかは推測ですが、江戸時代に社寺の建設用に上流地域の山林が伐採され、山から流れ出た土砂が堆積して天井川になったそうです。
現在と当時の姿を比べると、地形に面影が感じられます。
天井川に沿って進みます。
途中にあった"老牛馬養生所跡"。老いた牛馬の命を粗末に扱わない様にと、余生を過ごせる養生所があった場所。命を大切にする、素晴らしい取り組みですね。
2.目川立場
目川は田楽発祥の地。
3件立て続けに田楽茶屋の跡地があり、往時の賑わいが目に浮かんできます。句から推測すると、芭蕉も食べてますね。
3.瓢箪の産地
江戸から明治にかけて、瓢箪が目川の特産品でした。
お茶やお酒を入れる、今でいうところのマイボトルですね。
滋賀県名物飛び出し坊や0系多発地帯。
0系とはオリジナルタイプのことで、なんとご当地土産のグッズにもなっているのです。琵琶湖周辺の中山道沿いに多発、東海道沿いでは違うタイプの飛び出し坊やに遭遇します。
4.六地蔵村
旅人がこの松の木の下で休憩し、荷物を担ぐ肩を入れ替えた事から、肩かえの松と呼ばれました。
画像奥の石碑には二代目と記されています。
しばらくは、長閑な風景の道が続きます。
近江らしく、時々人間並みの身長の狸がお出迎え、並んで記念写真を撮りたくなりますね。
街道を歩いていると、山が道標になる時があり、近江路では三上山が道標。
最初は正面に、やがて横に、最後は後ろに、じわじわと山の姿が変わりゆく姿を楽しめるのも、歩く旅の時速4キロの醍醐味です。
5.石部宿
草津宿の天井川を11:30頃に通過した後、街道沿いに飲食店があったらそこで迷わず食事と決めていましたが、なんと3時間歩きましたが1件も営業中の店が無く、ようやく表れた和菓子屋さんで大福の昼食。
いちご大福が絶品で、よく売れるそうです。
石部宿には、幕府直轄と膳所藩直轄、二つの本陣がありました。
先ほど歩いた目川が田楽発祥の地でしたが、歌川広重の浮世絵では、石部宿は田楽茶屋が象徴として描かれています。
先ほど田楽茶屋があったのですが、直前に大福2つを食べてしまい、入れませんでした。
6.天井川
天井川を上からみる事が出来ました。
水は流れていませんでしたが、これは感動しますね!
雨の後にいけばみられるのかなぁ。
この先は野洲川。
江戸時代は船で渡っていたため、旧街道から少しそれた道を進みます。
7.横田渡常夜灯
横田渡常夜灯。
こんなに大きな常夜灯みたことがありません。往時暗い時間帯に街道を歩く旅人は、かなり遠くからこの灯りを目指していたのでしょうね。
きっと「灯りが見えるけどなかなか近付かない」などとぼやきながら・・・・。
日が傾いてきました。
時刻は16:30、水口宿に着く頃は真っ暗になる時間です。
8.水口宿
このあとバッテリーが切れてしまい、美富久酒造の直売所「街道蔵」で夜のお酒を購入し、ようやく現れた飲食店で昼食兼夕食をいただきました。
お店で充電しましたので、店を出た後は真っ暗ですが何枚か撮影。
この場所から街道が三つに分かれて1キロ位先で合流します。
宿はもう少し先なのですが、面白そうなので明日の朝はここまで戻ってきてから歩きます。
本日はちょうどよい距離に宿が無く、40キロ以上歩いたので脚のコンディションが心配です・・・・。
明日は楽しみな土山宿・鈴鹿峠・関宿、鉄道から離れた場所の街道歩きが、私は一番好きです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?