長崎街道2 小倉宿→黒崎宿
2023年9月、西国街道を歩き終えた夜の下関で関門海峡を眺めていると、長崎街道の起点 門司の灯りが間近に見えます。なんだ、近いじゃないか長崎街道!
憧れの長崎街道、鎖国の頃に異国文化を運び、シュガーロードもと呼ばれた、文化交易の大動脈。北九州から長崎を目指します。
2023.12.24
1.スタート地点まで
4時に起きる予定が、嬉しくて3時頃に目が覚め布団の中でも眠れず、早めに空港に向かう事に。
年齢を重ねると短い睡眠時間でも、眠くなる事なく活動が出来る、動きに無駄がないのでしょうね。
日本一中心地に近い空港とも言われている福岡空港、本日はそれを体感しました。
福岡空港09:10着、私が座っていたのは、後方のエコノミー席。手荷物預けは無く、すいすいと福岡空港駅09:21の地下鉄に乗車し博多駅09:26着。
混雑している新幹線特急券券売機で、小倉までの自由席を購入して、09:36の山陽新幹線に滑り込み乗車して小倉駅に09:51着。
なんと福岡空港到着09:10の41分後に、約60㎞離れた小倉駅のホームに立っている、驚きの移動時間でした。
お見送りエリアに拘っています。
調べてみると、博多駅から小倉駅に異動した駅員さんが、新幹線ホームの見送り客の多さに気付くも、涙のお別れにアナウンスで水を差したくないと考えた結果のアイデアが水色のお見送りエリア。
見送りが多い盆前に発案し、膳は急げと駅員さんが終電後に描いたそうです。粋な計らいにグッときました。
博多と長崎街道飯塚宿を結んだ博多往還、その名にちなんだ和菓子、いいですね!
TOTOの本社は北九州にあります。
温水便座機の名称ウォシュレットはTOTOの商標登録、販売した時のCMの名コピー「お尻だって洗って欲しい」はインパクト大でした。往年のアメリカのロックバンドTOTOの名の由来が、TOTOの便器説はジョークらしいです。
いつも早朝に歩き始めるので、ツーリストインフォメーションなどが開いておらず、その地域に街道地図がある場合に入手する事ができません。
今日はオープンしていたので係の人に聴くと、奥から立派な地図を出してきてくださり、感動して大喜びしていると、笑われてしまいました。
北九州モノレール。
小倉駅の駅ビルの大きな吹き抜けの中に駅があります。
カッコイイですね。
今日はクリスマスイブ。
もともと賑やかな小倉の街が更に賑わっています。
起点の大里宿から小倉までは、9月に西国街道を歩き終えた勢いで歩いてますので、詳しくはこちらをどうぞ↓
2.小倉宿
常盤橋。
橋を起点に、長崎街道・唐津街道・中津街道・秋月街道・門司往還の九州五街道が整備されています。
伊能忠敬は営んでいた商家を50歳で長男に継承、その5年後の1800年から17年間全国の測量を重ね、日本地図の完成まで4千万歩も歩いたそうです。
私のiPhoneアプリで年間歩数をみてみると458万歩、ということは今のペースで10年続ければ歩数だけでは並べそうです!
常盤橋が室町大橋とも呼ばれているのは、この付近の地名が室町であるため、小倉宿のなかでも最も賑わっていた商店街です。
ちゃんぽん。
長崎街道なので、ちゃんぽんの店を撮影し続けます。
今まで歩いた街道の中で、ご当地文化が感じられる店などを、下記一覧の通り”定線観測”してきました。
面白かったのは愛知県内の喫茶店の件数。
44件あり約2㎞に1件の割合、特筆するポイントはそのうち昭和風の順喫茶が36店と全体の82%を占めていた事。勇気を持って入店しましたが、常連さんだらけでどこの席について良いか迷いましたが、ゲームができる机に座りました↓
詳しく知りたい方はこちらをご覧ください↓
3.松本清張
本日は走行距離が15km程度なので、小倉市内で寄り道していきます。
小倉城はスタッフが侍の格好をしていたり、駕籠体験やコスプレ体験が出来たりと、歴史マニア以外の人々も楽しめる様に、工夫がなされてきました。
松本清張記念館。
10代の頃松本清張が好きで、よく読みました。
点と線・0の焦点・黒革の手帳・渦などなど、疑問に鋭く斬り込むストーリーが大好きで、テレビの視聴率の謎に斬り込む、渦という作品が特に好きでした。
館内が撮影禁止なので画像はありませんが、自宅をそのまま移築した壮大な展示コーナーは圧巻、編集者のインタビュー動画が、往時の様子を生々しく想像させます。
展示コーナーには松本清張年表があり、驚いたのはその経歴。
高校卒業後は印刷所を転々とし30代で朝日新聞社に入社し41歳で作家デビュー。55歳で初めて海外取材に出て、82歳の生涯を終えるまでの作品数は、長篇・短篇など合計1,000篇、年間20~25篇という驚異的な数値です。
私が今55歳なので、不思議なやる気を頂いて記念館を後にしました。
到津口を抜けて、小倉城下を出ました。
それにしても小倉城は広かった、往時の賑わいを見たくなります。
4.清水
踏切が鳴ったのでふり返ると、航空機みたな列車が通過していきました。
かっこいいですね。
Cuban Cigar。
住宅地に突然現れるキューバの香り。葉巻販売と飲食の営業で、昼はカフェ夜はバーになります。
福岡県のソウルフード”うどん”、どのくらいあるかわかりませんが、この先街道沿いのうどん屋さんを定線観測してみます。
最近雀の姿を見かける回数が減った気がします。
環境省が2021年に20年ぶりに行った鳥類の分布調査結果によると、個体数は3万1,159羽から2万627羽と3割も減少、田畑の減少や外来種の影響があると思われます。
人類が生きている以上止めようが無い事実を、見せつけられました。
長崎街道道標。
路面に埋め込まれており、時々道が不安になる時に、道標があると安心します。
この道標は、長崎から東に向かう道目線で設置されており、長崎街道が長崎ありきの道であることが想像できます。
石仏をよく見ると、草鞋をはいた大きな足の部分だけが残されています。
現存していたら3mくらいの高さはあったでしょうね。
5.高見
70歳パン工場。
70歳の方が開業したベーカリーかと思ったら、全然違いました。
1948年に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に創業したクラウン製パン、パン卸売・学校給食の生産を手掛けており、創業70周年記念事業として開業したコッペパン専門店でした。
なかなかおしゃれで美味しそうです。
三条の国境石。
昔の位置に残してあるため、街道から少し離れた住宅街の中にありました。
この住宅街が美しく、住宅メーカーのCMに使えそうな雰囲気でした。
高見神社。
人がほとんどいないのですが、まぁ境内の中は見事でした。
年末年始は賑わうと思われます。
現在の温度7℃。
街道歩きの適温は何度か?春夏秋冬歩きましたが涼しいに越したことはなく、個人的には汗をかかない9~10℃がベストです。
7℃は晴れていて風が無ければ耐えられますが、そうでないと手先が冷えます。
6.製鉄所のまち
高炉台公園。
園内に製鉄所の熔鉱炉を模したモニュメントがあるため、この様な公園名になっています。
高速道路の支柱に長崎街道と大きく描かれています。
ということは高速道路の下が長崎街道なのですが、そこに行くには300mくらい先の信号機迄進み、同じ距離を戻らねばなりません。
1mも戻りたくない街道歩きにとっては、屈辱の道のりです。
冷たい雨が降ってきました。
気温7℃なので雪の心配はありませんが、心身ともに冷えます。
高速道路の下を通る歩行者専用の街道は初めてかもしれません。
東田第一高炉。
1901年操業開始、高さ30mあり、最盛期は八幡地区に10基の高炉が建設されました。現在は文化財公開施設となっておりますが、施設の一部に危険な個所があるため、立入禁止でした。
皿蔵山。
山の右側にケーブルカーの線路らしい溝がみえます。
北九州市は日本夜景遺産に認定されたスポットが、門司港レトロ地区や工場夜景、皿倉山の山頂など、9つも認定されており、2022年に新日本夜景三大都市で1位に選ばれています。
ちなみに2位は札幌、3位は今回の目的地である長崎でした。
ラウンドアバウト(環状交差点)。
2023年3月現在全国に155あり、交差点に入る自動車は徐行する義務があり、環状交差点内を走る車が優先される。事故件数が3割程度減少するという調査結果が出ています。
ラウンドアバウトの中心に控えめなモニュメントが聳え立っています。
街道を歩いている最中に遭遇したラウンドアバウトは、中山道の軽井沢宿のみで、今回で2例目でした。次はどこで遭遇するか楽しみです。
7.黒崎宿
黒崎湊。
この付近には湊があり、筑前国と大坂を結ぶ乗合貨客船が発着していました。かなり賑わったことと思われます。
今年の夏に、西国街道を京都から下関まで歩いた時に感じたのですが、街道らしい一里塚や本陣跡などの遺構が殆ど残っていませんでした。
瀬戸内海を船で移動していたのではと想定していましたが、黒崎湊の案内看板を読んだら、想定が事実であることが判明。
その頃の船は今でいう客船の様な、宿泊が出来る機能があったのか知りたくなりました。
井筒屋黒崎店。
1959年開業後、黒崎そごうが入居するも、時代の移り変わりには逆らえず、2020年に62年の歴史に幕を閉じました。
それにして建物の大きさは圧巻、開業当時の黒崎の発展ぶりが想像できます。
本日はここまで。
宿泊先のホテルに移動します。
雨の黒崎宿、美味しいお酒を楽しみながら、翌朝に備えます。
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