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テレビ東京について考えていたら反省した。

自分の仕事はラジオですが、正直なところいま「こんな放送局になりたい」と思ってるラジオ局はありません。

仮に「こうなりたい」と目指す局があったにせよ、自社の非力な戦力を考えると同じ展開になるはずもなく、なれたとしても相当な損害や遺恨を残すはずです。

一方で「心意気はこうでありたい」という放送局はあります。

おこがましいとは重々承知していますが、いま自分が「こうありたい」と考えている放送局は、テレビ東京です。

別にラジオで湯けむり&グルメ番組をやろうというわけではありません。
あくまで見習いたいのは、その「心意気」です。

前掲の記事でも触れられているように、テレ東の魅力とされているのは「低予算」「ニッチ」「オリジナリティ」の三拍子です。

「テレビ事業は、指標だった視聴率を取りに行くために“広く浅く”を追求する必要がありました。だけど、テレ東はもともとアニメしかり、ニッチなスポーツや趣味番組など“狭く深く”ファンに突き刺さる番組を得意としてきたコンテンツメーカーです。『こんなの誰が見るの?』みたいな、だけど熱い視聴者が確実に一定数いるような番組です」

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ORICON NEWS

これって、考えてみればラジオのデフォルトなんですよね。
そもそもラジオは1960年代以降、完全なパーソナルメディアとなり、「広く浅く」ができなくなったんですよ。

だから伊藤さんの言葉を借りると「こんなの誰が聴くの?」という番組作りはラジオの独壇場だったのです。

さらに最近のラジオ業界は経営的に厳しい会社が多く、コンテンツについては経費面で年々スケールダウンしています。

過去の自分たちを超えることができない先行きに、現場はポジティブになれず迷走しがちです。
その様子が同業としてわかってしまうので、他局に見習うものなし、と感じてしまうのです。

ところがテレビ東京のコンテンツと、賞賛の声(主にネット)を見ていると、同じことはできないにせよ、その「心意気」には奮い立てるんじゃないかと思うんですよ。
ニッチメディアとして「負けていられない」とも感じます。

もうひとつ、テレビ東京の番組には大きな特徴があります。

「路線バスの旅」シリーズでも明らかなように、出演者が気乗りしないまま撮影されている番組も結構多いのです。

そして、その状況を面白がっている共演者やスタッフの存在も伝わってくるので、番組が多面的に見えるのです。
ローカルテレビ番組であれば、北海道テレビの『水曜どうでしょう』も同じ匂いがします。

この点、僕自身反省していることがあります。

以前にプロデューサーと一曜日ディレクターを担当していた生ワイドで、投稿テーマを「うどん」にしたことがあります。

他の曜日では「あなたが○○したいと思った時」という、答える人を選ぶような質問が多かったのです。
誰が得するんだろうと疑問に感じ、ぶち壊したいと思ってしまったんです。

当然直前の打ち合わせで、女性パーソナリティは「え?なんでそんなテーマなの?」と困惑しました。

強引に本番に持っていったところ、パーソナリティは明るくテーマを紹介し、2時間で500通もの投稿が寄せられました。
もちろん番組最多でした。

パーソナリティはにこやかに放送を続けたものの、スタジオを出ると「いくらおたよりが届くといっても、こんなテーマ、やっぱり嫌だ」と不満げでした。

僕がいま「しくじったな」と反省しているのは、彼女を説得して満足させられなかったことではありません。

その不満な様子をオンエアに出せなかったことです。

投稿をイヤイヤ紹介した彼女が、ディレクターだけが面白がっていることを伝えたり、2時間終えたところで結局何を語るのか、という多面的な面白さとストーリーを提供できなかったのです。

愚痴も言わず進行するパーソナリティはある意味プロですが、ディレクションの怠慢もあって、単にうどん好きの投稿を延々と読み上げる回になってしまったのが心残りでした。

もし不服そうなトークを引き出させていたら、もっと奥行きのあるパーソナリティとして成長できたはずだと、悔やむばかりです。

その反省もあり、現在担当している『RADIO MIKU』(プラス、派生配信番組『らじみく通信』)では、出演者に対して僕が疑問を呈したり、質問をすかしたりと、決して一枚岩じゃないことをストレートに出すようにしました。

急に業界動向が好転するとは思えませんが、提供するものは「楽しく、正直に」を心掛けていきたいもんだと思っています。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。