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深夜ラジオは消えるのか

例の岡村発言によって、久々にラジオの深夜番組が注目されています。いやホントご無沙汰しております、失礼ですがどちら様でしたっけ、という程度の懐かしさです。

岡村隆史さんが具体的に話した内容は、翌週のオンエアで自身が「また不快な気持ちにさせてしまいますので」と話さなかったこともあり、特には触れません。

今回のメインディッシュは、その発言が生まれた「深夜ラジオ」という文化そのものについてです。

お笑いラジオブーム

実はいま、ラジオのトレンドはまさに深夜に放送されている、お笑い芸人の番組だったりします。
昨秋あたりから出版されている雑誌のラジオ特集やムックでは、芸人ラジオ中心で紹介されているのです。

お笑い界は2010年代にデビューした若手芸人たちによる「第七世代」に突入しています。
1970年代の寵児となったザ・ドリフターズや萩本欽一を第一世代、80年頃のMANZAIブームを第二世代とし、それ以降の区分けは言ったもん勝ちみたいなものです。

第三世代と括られたとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは若手をいじる大御所的なポジションとなっており、その下の「3.5世代」と言われてしまう芸人でラジオ番組を持つのは爆笑問題、第四世代ではくだんの岡村隆史さんぐらいなものです。

さらに『エンタの神様』『爆笑オンエアバトル』でブレイクした通称・第五世代はテレビのMCや俳優業にも手を広げており、こちらもラジオでレギュラーを持つ芸人は多くありません。

そしてオードリーや三四郎といった、フリートークを得意とする第六世代以降が、現在のお笑いラジオブームの中心となっています。

なお、お笑いの都・大阪を中心とした関西ローカル番組にも、多数の芸人が出演していますが、日中ワイドの延長で複数のコンビが登場したり、メイン以外の入れ替わりも激しいことから、あえて今回の「深夜ラジオ」からは除外します。
そのうち別テーマとして考察する、かもしれません。

深夜ラジオを構成するもの

俗に言う「深夜ラジオ」とは、基本的にはひとり、もしくはひと組のパーソナリティがおたよりを織り込みながら進行していくものです。

その代表格は、やはり半世紀を超える歴史を持つ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)となりますが、この番組では時代とともに生まれた「DJ」「ナビゲーター」などの呼称には見向きもせず、開始時点から一貫して「パーソナリティ」を使い続けています。

直訳すれば「人間性」となる喋り手が司祭を務め、言霊を引き出すための環境づくりに身を粉にして働くスタッフ、そして全てを受け入れて聴くリスナーによって構成されています。
喋り手が君臨し、時には聴く者を蹂躙しながら喝采の中突き進むのが、美しき「深夜ラジオ」の世界なのであります。

前半は他愛もない楽屋ネタや、キャラ付けされた関係者の爆笑エピソードを挟みつつのフリートーク。後半では「ハガキ職人」が腕を競うネタコーナーが展開されるパターンが王道です。

喋り手がゲストや生コマーシャルなぞに気を遣うことなく曝け出せる「人間性」と、孤独な環境でトークに集中する聴き手の繋がりは「共犯関係」とも呼ばれてきました。
どんなに非常識でゲスい話題であっても、リスナーが笑って健やかに眠りに就けることができれば、この世界では完全なる正義なのです。

岡村発言は、元を正せば「人間性」そのものの問題ではあり、ヤフコメなどでも「普段そんなことを考えている人間だから口に出ただけだ」など辛辣な意見が並びました。
そしてその発言を引き出してしまった点で、この「共犯関係」に対する批判まで巻き起こっています。

オンデマンドと共犯関係

2007年頃に広まったポッドキャスティング、そして2016年秋から始まったradikoタイムフリーによって、「深夜ラジオ」を朝の通勤時や、休日の日中に聴くという習慣も定着しています。

前出の岡村発言に対するヤフコメで、こうした聴取時間の変化に、喋り手もスタッフも気がついていないのではないか、との指摘がありました。
深夜のテンションで話したことが、翌朝聴かれることに無自覚だ。だから「深夜ラジオ」は終わったというのです。

それも一理あるような気もしますが、しかし先ほど書いたような「深夜ラジオ」の構造を考えれば、聴き手がいつ番組を聴こうと大した違いはない、と考えます。

もしかすると、スマホのスピーカーをオンにしてタイムフリーを聴いてたら、同居する家族から「おい、今の発言はけしからんぞ」と指摘されるとか、我が子を学校や習い事に送る車中、Bluetoothでポッドキャストを聴いてたら、こどもが「パパ、この人最悪」なんて事例はあるかもしれません。

しかしこういった番組はひとりで聴く人が大多数ではないでしょうか?
通勤電車の中で昨夜の番組を聴いていて、顔をよじらせながら笑いを必死に押さえ込んだ、飛び出した鼻水を手の平で覆いながら徐々に乾かした、なんてことは、こんな投稿を読まれる方なら誰もが経験済みでしょう。

つまり聴く時間が変わろうと、番組をひとりで聴くのであれば、結局パーソナリティを頂点とする世界観は変わらない、というのが僕の見立てです。

もちろん今回のように発言が書き起こされ、ニュースサイトでオーサーがここぞとばかりに大騒ぎすることは今後も十分起こり得るでしょう。
しかし、それは喋り手の人間性そのものの欠如や、言葉足らずという未熟さから生まれる話です。

逆にタイムフリーの効能として、発言の前後が切り取られず、真意を示すエビデンスとなり得る点も見逃せません。

岡村発言は確かに衝撃ではありましたが、この件によって全ての「深夜ラジオ」が検閲されたり、制作体制が見直されるようなものではないと考えます。

責任を感じる共犯者

失言というのは言葉の重みを忘れ、うっかり出てしまうケースがほとんどですが、岡村発言はこれまでの番組内の延長線にあったことは否めません。出るべくして出たのだと言えます。

野球に例えればベンチにいるスタッフも観客席のリスナーも「際どいところを攻めてるけど、さすがにデッドボールは与えないだろう」と考えていたはずです。
それが絶対的エースの「人間性」に対する信頼だったのです。

ところがバッターの顔面にもろに当たったばかりか、跳ね返った白球がレフトスタンドに吸い込まれ、左右の客席が大騒ぎになってしまったわけです。

実は岡村さんはギリギリを攻めていたのではなく、単にコントロールが覚束ない状態だったのを、誰ひとり気づけなかったのです。
そのことを白日の下に晒したのは相方の矢部浩之さんでした。

スタジオに入り、岡村さんに面と向かって「公開説教」をする矢部さん。発言をぶり返すわけにいかないとの配慮なのか、コロナ禍に関連する話はほぼ出なかったものの、批判はプライベートの女性への振る舞いにまで及び、当人でなくとも「そこまで言うか」という内容ではありました。

矢部さんの批判は岡村さんのみならず、制作陣やリスナーにも及びました。誰も岡村さんを止めなかったからです。
そのためSNS上には「おかしいと思ったら批判すればよかった。リスナーとして責任を感じる」という意見も出ました。

しかし、考えてみれば妙な話です。

リスナーに責任感を植え付けさせ、挙げ句教育されないとパーソナリティが務まらないような人物であれば、そもそもプロの喋り手として失格です。ギャラを返上してリスナーに授業料を支払うべきだろうとも思うわけです。

そんな対応は岡村さんに対して誰も望まないでしょうし、今回の件で「自分は長年騙されていた」と怒る人もいないでしょう。

岡村さんが降板するしないの議論は置いといて、今後肝を据えて番組を進められるよう、本人が成長過程を見せられるよう、まずスタッフが環境を整えるべきでしょう。
そしてリスナーとしてはそれをただ見守り続けるしかありません。別に何の責任も負う必要はありませんが、黙って見守ることが「共犯者」の宿命なのです。

実は消える運命?

僕のような昭和生まれの世代の多くは、たいてい深夜ラジオを通過し、家族の中で自分だけがラジオを聴いているシチュエーションの中、トークに悶えながら笑い死ぬという経験をしています。

ところが、去年のことですが、面白いハナシを聞きました。

引用すると

また、ひと昔前は若者が深夜放送を聴いているイメージがあったが、近年ではM1F1層の就寝時間が早まっており、男女とも24時の段階で6割以上は就寝しているという。これについては、リーマンショック以降の社会構造の変化を指摘しており、帰宅から食事、そして就寝するまでの全ての時間が前倒しになっているのが現状だ。

とのことです。

もう多くの若者はリアルタイムで「深夜ラジオ」に付き合っていない、というわけです。確かに僕の中学生の娘は23時には寝ています。
土曜の深夜に短波ラジオで『セクシーオールナイト』を聴いていた中学生の自分とは別の生き物です。

もちろん星野源さんや菅田将暉さんといった人気パーソナリティの番組には10代リスナーも多いですが、その多くはradikoタイムフリーで聴いていると考えられます。

僕が数年前にプロデュースを担当していたワイド番組は土曜21時からの放送でした。
この番組ではゲーム音楽やシンセサイザー、声優などのゲストも話題でしたが、生放送中にブロガーを集めて番組を紹介させたり、ブースにスモークを焚いてレーザーショーを中継したり、ワイドFMも実施してないのにサラウンドの公開実験をしたりと、「深夜ラジオ」の馬鹿馬鹿しさを取り入れました。

この番組のコア層は、当時の僕やパーソナリティと近い40代男性でした。当時は「深夜起きているのはしんどい」という、送り手側の都合もあったのですが、かつて「深夜ラジオ」を楽しんでいた層だって、夜中まで起きているのはツラいだろうと考えていました。

ところが、放送2年目あたりに意外な発見がありました。
イベントに熱烈な高校生リスナーが参加したり、あるいは番組審議会という大変カタい会合で、審議委員のご子息(中学生)が唯一自発的に聴く番組だと知らされたり、送り手が想像してなかったファン層を開拓していたのです。

その経験から、別に「深夜ラジオ」なる言葉は、放送時間と関係ないんだと思い知らされました。オトナが真面目に馬鹿馬鹿しいことに取り組んでいれば、それを支持してくれる若者はいるんだなと気づかされたわけです。

僕が新番組を担当するパーソナリティに唯一アドバイスしてきたのは「何を話してもらっても構わないが、他人を傷つけることだけは禁止」ということ、これだけです。

ひとりでマイクの前に座る者には、常に見知らぬ誰かが目の前にいる、と想像できることが必須となります。
常連リスナー?そんなものどうでもよろしい。常に初陣の心境で話すこと。これをできる人にこれからも「深夜ラジオ」の精神を継いでいってほしいと思っています。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。