95パーセントの人たちにできること
みんな大好き視聴率&聴取率。
そもそも視聴率も聴取率も、現在広告を出稿してるか、あるいは出稿を考えている企業の広報担当にとっての判断材料なわけで、気に食わないタレントが出てる番組の低視聴率に「やーい」と騒ぐのは誤った用法でありますが。
さて、上掲のツイートに「セッツインユース」という言葉がありますが、この意味はビデオリサーチによればこんな意味です。
「セッツインユース」の略。調査対象世帯のテレビやラジオのスイッチの入れられている受像(信)機の割合。家庭内のテレビ台数が複数になり、セット単位では世帯単位の稼働状況が表せないため、総世帯視聴率を表すものとして、現在ではHUTが使われている。
なんだかよくわからんちん、という方に噛み砕いて言えば、「ラジオというメディアが毎週平均してどれくらいの人に聴かれているのか」を示す数値です。
そのエリアのすべてのラジオ局を束にしてますから、広告業界におけるメディアのお役立ち度数みたいなもんです。
先のツイートには「首都圏が4.9%」とあるので、選択肢にネットやテレビや印刷媒体を擁するマーケティング界隈では、「まあそんなものか」というハナシになります。
首都圏のみならず、中京圏も関西圏もそれほど差はないので、全国的な傾向かなと思います。
実際のところ、セッツインユースの定義が示す「受信機」にradikoが入るのかどうか、入っていたとしてインストールされたスマホとされてないスマホはどう区別されるのかなど、不明な点は山ほどあるわけですが。
ともあれ語弊を承知で言えば「95%の人はラジオを(あまり/全然)聴いてない」ということを示すわけですね。
こいつは困った。どの局が1位だ最下位だ言ってる場合じゃないんですよ。
繰り返しますけど、全局ひっくるめての平均値ですからね、5パーセントというのは。
ラジオマンであれば「いつも聴いてるよ」と話しかけられた経験が何度もあるでしょう。
体感として「もっと聴かれてるはずなんだけどな、おかしいな」と首を傾げている人もいるかもしれません。
そもそも「聴いてねーよ」という人は話しかけてきませんから、それは仕方のないハナシです。
僕は粛々と「95パーセントが聴いてないんだな」と受け止めております。まあそんなもんだろうと。
95パーセントの中には、なんらかの理由で「ラジオなんて聴くもんか」とヘソを曲げている人もいるのかもしれません。大本営発表の片棒担いでましたしね、なにしろ。
しかし、ラジオ局前のデモなんてほとんど聞かないので、おそらく「たまにしか聴かない」「存在を知らない」「存在を忘れてる」「他に観たり聴いたりするものがある」「忙しい」という方が大多数なんだろうと思います。
これがメディアの人間としては一番恐ろしいわけですよ。知らないはまだしも、忘れられてるというのが。
大橋巨泉さんは言いました。
「一番怖いのは、存在を無視されることである」と。
で、局としては存在を忘れられないようにラッピング電車を走らせてみたり、目立つところに看板出したり、繁華街でパーソナリティがティッシュを配ってみたり、いろいろお金をかけてやってみるわけですね。
だけど考えてみてください。
選挙期間に駅前で朝立ちしてひたすら名前を連呼する立候補者に対して、その名前だけで投票したことありますか?僕はないです。
ラジオを知らない人がそのスペックを認知したとして「絵がないの?じゃあいい」で終わっちゃうでしょう。
忘れてるだけの人は「他に観るものあるし」で通り過ぎてしまうでしょう。
じゃあ策はないのかと言えば、そういうわけでもありません。
聴く動機をいろいろ用意すればいいのではないか、というハナシです。
今のラジオはBGMとして日中付けっ放しにしてる人もいる一方で、ニッチの集う場としても機能しています。
例えば芸人枠とか声優枠には、局を跨いで複数の番組を聴いてる一定の層がいます。
ただし、セッツインユースの考え方においては、ずっとBGM代わりに同じ局を流しっぱなしにしてる人と同じ扱いなんですよ。
ということは、週に何十分でもいいので、より多くの人を釘付けにする番組の開発が課題なわけてす。
例えばひたすら林業の未来について語る番組とか、毎回各地や海外の蕎麦粉を扱う番組とか、効率的なエンジン設計を考える帯番組とか、専門外の人から見れば「誰が聴くんだ、それ」というものがもっとあっていいと思うんですね。
いまお笑いラジオがブームだからと、各局が芸人枠を増やしたところで、実際にはそれを横断する人、その人の聴取時間が増えるだけで、新規のリスナーは増えません。
まだラジオ番組化していないジャンルを探すことが、結果的にはラジオの裾野を広げ、メディアとしての汎用性を高めるものかと思います。
まあ、こういうご時世ですので頑張っていきましょう(適当)。