見出し画像

仕事で『初音ミク』に触れてみた

先日『30分じゃ伝えきれない初音ミク』なるラジオ番組のプロデュースを担当しました。

僕にとって『初音ミク』は、長らく「DTMで鳴らす楽器のひとつ」という、趣味でのお付き合いに過ぎなかったのですが、この番組を制作するに至った経緯を書いておきます。

ボカロで仕事

2013年のことですが、名古屋のラジオ局5社で、10代にラジオを聴かせようとするキャンペーンがありました。
業界にとって「若者のラジオ離れ」は長年の課題でしたが、ハッキリ言えば、ラジオの方が若者から離れた編成を良しとした末の惨状なので、即効性のある解決策は見つかりませんでした。

ひとまず僕がいた広報グループでは、男女のキャラクターを作り、ポッドキャスト向けにラジオドラマを10本ほど制作しました。当時話題になっていた「ゆるキャラ」で、課題に向き合おうというわけです。

それでキャラクターの声も話題の「ボカロ」を使おうというハナシになり、渋谷のヤマハさんに出向いて許諾をいただきました。
同社のボーカロイドVY1とVY2を使って、歌わせたり喋らせたりしてたんですが、10代はおろか、40代にすら引っかからなかったという。

PCには『初音ミク』もインストールしてましたし、グループ内でも「ミク使ってよ」と依頼されましたが、さすがにこの時ばかりは拒否しました。

pixivなどのポータルで絵師界隈の賑わいも知ってましたし、あの「千本桜」が注目されていた頃でもあったので、ミクをそれ以外の声に当てるなんて冒涜以外の何者でもありません。

さらに僕自身が、当時DTMやシンセ、ゲーム音楽界隈のニッチなワイド番組を担当していました。番組SNSのタイムラインで「ボカロ」に反応するのは、オトナのガチ勢でした。

当時のミクは”大きなお友だちのモノ”というイメージが拭えず、ティーンをターゲットとした展開にはそぐわないと考えていました。

そんなわけで、初音ミクの人気ぶりはなんとなく横目で見る程度で、趣味を超えて関わる領域ではないかな、と考えていました。
その後初音ミクのソフトは、仕事で作曲する際のガイドメロディに使う程度でした。

娘がミク廃に

5年ほど前、当時小学生の娘がお古のタブレットでミク動画を観ているのに気づきました。
親バカなのかバカ親なのか、ちょっと嬉しくなった僕は「これがミクだよ」とボーカロイドエディターの画面を見せました。

おそらくそれを「父親公認」と受け取った娘は、妻に「観すぎだからやめなさい」と言われても、タブレットを風呂にまで持ち込み動画を漁るミク廃に成長していきました。

「クラスの子たちは、ミク知ってるの?」と尋ねると、娘は「クラスの半分くらいはミクばっかり聴いてる」と答えたのです。
ジャニーズやAKS界隈のアイドルなど生身のアーティストより、ミクの方が人気があると聞いて時代が変わっていることを感じました。

ミク廃が職場に

同じ頃、僕は職場でレポーター採用の一次面接を担当しました。
喋りの仕事というのは自己顕示欲がなければ務まらないため、試験会場にはなかなか圧のある皆さんが集まりました。

そんな中、パッと見さほど圧がないのに、履歴書に特徴のある女性受験者がいました。趣味欄に豪快な字で「初音ミク」と書いていたのです。
いわゆる「アニメ声」で自己紹介を終えた彼女に、僕は我慢できず速攻で尋ねました。

「あのさ、趣味欄の『初音ミク』ってのはPとして?それとも絵師として?」

彼女は一瞬たじろぎながら「絵師…ですね」と答えました。

この質疑応答を見ていた他部署の面接官たちは唖然としたようです。
そりゃそうです。かろうじて「初音ミク」の名は聞いたことがあっても、「ぴー」だの「えし」だの意味なんかわからないのですから。

結局、彼女はこの面接時のインパクトを武器に最終面接まで進み、見事採用に至りました。

マジカルミライの衝撃

それから程なくして僕は制作から編成に異動し、彼女と直接仕事することは減り、逆に他愛もない雑談をする機会が増えました。

ある時、娘がミク廃になりつつあることを話すと「じゃあ『マジカルミライ』にみんなで行きましょう」と提案されました。
ミクのムーブメントから離れていた僕は「ガチ勢だらけだよな」と思いつつも、家族を誘い昨年8月のOSAKA会場へ向かったのです。

現地に着いて目に入ったのはファミリーの多さ。中には孫と母親と祖母の3世代もいたりして「どうなってんだ?」と驚きつつ、「クラスの半分くらいはミクばっかり聴いてる」と言っていた娘の言葉を思い出しました。

考えてみれば、初音ミクが歳を取らないバーチャルシンガーだからこそ、誕生から13年経った今でも着実にファンを増やしてきたわけです。

ライブはもちろん、展示会場でPが集まる「クリエイターズマーケット」では、娘の年頃にあたる女の子たちが、お気に入りのPからサインをもらったり記念撮影を楽しんでいました。

入り口は音楽ばかりではありません。楽曲から派生した小説や舞台、コンサートなど、ちょっと距離を置いているうちに『初音ミク』のファン層は想像を超える広がりを見せていたのです。

「これは見逃すわけにはいかない」

これが僕の偽らざる心境でした。ガチ勢の皆さんに「周回遅れにも程がある」と思われたとしても、なんとかこの広がりをラジオで伝えたい。この1年間、そんなことを考えて、失っていた数年間のミクを埋めていたのです。

ミクを広めたい

去年の秋、こんな投稿をしました。

ボカロPたちが曲のクオリティを向上させる過程が、ストリートミュージシャンとは全く異なるということを書いています。

作品をアップしたボカロPたちが再生数やコメントの獲得を競う姿は、オリコンチャートの順位変動をモチベーションとしていたかつての職業作曲家に通じると考えたのです。

米津玄師の作家としてのセンスやテクニックは、間違いなくハチP時代に培ったものでしょう。

そして今年襲ったコロナ禍は、先に比較したストリートミュージシャンに強烈なダメージを与えたはずです。いや現役のプロミュージシャンですら、その翼をもぎ取られてしまったとも言えます。

しかし密を必要としないボカロPたちの制作環境と拡散手法には、今後音楽業界の主流になる可能性を感じていました。

ある時、編成の都合で30分空きが出てしまいました。なかなか自分の興味の延長で特別番組を作ろうと言いづらいものですが、自分の中で「いまやるしかない」と思い、提案したら通ってしまいました。

となると、具体的な中身は、履歴書に「趣味:初音ミク」と書いて採用されたレポーターの清水藍(現在は制作部所属でプロデュース業務がメイン)に託す他ありません。入社以来「初音ミクを仕事にしたい」と聞いていたので、その夢を叶えさせてやりたいという思いもありました。

打ち合わせで清水に話したのは「知識のないリスナーの日常と接点を作ってほしい」「なぜいい曲が生まれ続けるのかを説明してほしい」という2点のみでした。

あとはジングルを作ったり、曲出しなど収録をアシストしたり、アタマを空っぽにして聴いて、スッと入ってこない表現をわかりやすく直したくらいで、その他はすべて彼女に任せました。
少なくとも僕が考えていたことや、清水が知っていることはすべて網羅したと思っています。

今後どんな拡張をしていくかは未知数ですが、さらにボカロシーンを追いかけていき、さらなるファン層の拡大に少しでも役に立てたら、と考えています。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。