【本の紹介】それでも人生にイエスと言う

第二次世界大戦中にユダヤ人であるためにアウシュビッツに送られたフランクル博士の講演集です。コロナ禍に見舞われ、明日の生きる暮らしもままならず絶望に打ちひしがれた人にも、日々に何か無為を感じているような人にも読んでほしいと思って取り上げました。

サマリー

生きる意味があるのか、という問い自体が誤っているものであり、人生こそが私たちに問いを出しているのではないか・・・という立場からフランクル博士は語ります。そもそも苦難と死を感じる一つ一つのこそが、人生を意味付けるのではないか、と。そして、その意味でいえば、生きることはただただ楽しいことでは決してなく、課せられた仕事とも言える、と。

病や苦しみといった苦悩が例え逃れられないものだとしても、それに対してどのような態度を取るかで生きる意味自体が変わってゆきます。人間にはいかなる時にあっても自分がどういう態度で臨むべきかを選び取る自由はあり、その瞬間ごとに意志をもって決断を下すことこそが人生に対して果たすべき責務なのだ、と本書では結ばれます。

オススメする理由

昨今のコロナ禍、本当にしんどいですよね。明日どんな仕事して暮らせばいいかわからない人にも、今日暇すぎてどうすればわからない人にも、政治について声高に非難する人にも、無責任なニュースを垂れ流すテレビ番組にも、なんだかすっかり慣れてしまった感があります。状況は何も進歩していないのに、慣れる気持ちだけが育っていっています。終わりの見えない絶望の日々の中で、緩やかに生きる覇気を奪われていませんか?

フランクル博士は自身の絶望の記録の中で、「そんな時だからこそ、人間には選択する意思とそれに伴う自由がある」と説きます。そんなご無体な!とも言いたくもなりますが、彼自身強制収容所の中で「働く気が無いことを示した瞬間にガス室へ放り込まれる収容者たち」を何人も見てきたのです。諦めを他者に悟られた瞬間に殺される、そんな極限状態の中で彼は「自らの内心を奮い立たせる想いこそが、生きることに繋がる」ことを肌身より学んだのです。

捉えようによっては、自由に独りで過ごす時間が増え、自らを省みる時間が増えたり、新たな勉強や挑戦をする準備期間が出来たりというメリットがあります。今自分がしていることは、本当に自分の人生にとっていいことなのでしょうか?自らの一つ一つの決断に対して、お天道様に恥じずに問題無い(イエス)と確信をもって答えることが出来るのでしょうか?

そんなの無理って思っちゃうのも一つの考え、フランクル博士が出来て自分に出来ないはずはないと思うのも一つの考えです。が、ストイックに過ぎるかもしれませんが、僕自身は何事も学びや考えるチャンスに充てたほうが人生は結果的に楽しくなると思いますし、そういった考えをこの本は後押ししてくれました。

せっかくの自粛期間でなんかダラダラしちゃってるなぁ、なんか時間がもったいないなぁ、と悶々とされている方、もしよければ読んでみてください。顔面に冷や水をぶっかけられるような強烈だけれども優しいアドバイスを味わえます。

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