見出し画像

それでもやめないモノづくり

モノづくりのきっかけ

私は雑貨づくりをしています。
始めたのは2012年、ハンドメイドの走りの頃だったでしょうか。
そのころはまだ上海にいました。
向こうへ行って2年目を迎えたころからスタートしました。

自分が好きで住んでいる中国のことをあまりよく思わない人もいて、それもそのはず。
そのころ中国について日本で報道されているニュースはPM2.5だったり半日デモだったり段ボール肉まんだったり、日々日本から家族や友人がメールでこぞって「大丈夫?」なんて聞いてくる毎日だったのです。

上海へは自分で希望していきました。
会社から派遣されていく駐在員のようなものではなく自ら好んで上海へ赴き、現地の人材会社に登録してお仕事を紹介してもらって働く現地採用社員でした。
なぜ好んでそんな生活を・・・とよく聞かれましたがいろいろ理由がある中で単純に「行って、生活してみたかった」というものがまず一番に挙げられるものです。

そんなこんなで言うまでもなく中国を心から好きでいる私なのですが、周りの悪評に耐えかね
「そんなことないよ、 かわいい中国もあるよ!」
と私が思う”かわいい中国”からたくさんの人に中国を知ってもらいたいという気持ちで雑貨づくりをスタートしました。

実際の活動はというと

とはいえ、ミシンは触ったことがある、縫物は嫌いじゃない。
けどうまいとも言えない私が異国の地でミシンを入手して材料を仕入れてものつくりをするのは至難の業でした。
その上、日中は普通に会社勤めの仕事もあったのです。

そこで採用したのが
「人に頼む」
という方法・・・。

上海にはモノづくりに携わるお仕事で日本から来ている人たちがたくさんいました。
そういったツテを頼ってまさかの工場発注からスタートしたのです。
今思うと友の七光り以外の何物でもないですね・・・。

当然ですが工場でのオーダーはモノ作りもしたことがなければ工場とやり取りしたこともない私には四苦八苦でした。
何が厳しいって、頭の中に描いていたものを形にすることがこんなに難しいだなんて。
デザインはさらさらと白い紙に色鉛筆でかけるけれど平面が立体に立ち上がるときにはものすごいエネルギーを要します。
イマジネーションの力だけではなくセンスや判断力、先を見越す力なんかもトータルで見ると問われてくるのです。

自分の好きなものを好きなように作るのか、売れるものを作るのか。
アーティスト思考と商業デザイナーの矛盾を肌身で感じることもありました。

それでもそんな苦しみさえも楽しかった。

うんうんうなって作り出したものがたくさんの人に助けられてこの世に生まれ出る瞬間を、初めて自分が作った作品を手に取った時の感動は忘れられません。
いっぱしのデザイナー気取りでモノを作った後は営業、販売、販促、広報と続きます。
やったことないからわからないながらも手探りで、できるところからやれるだけやりました。

昼間の仕事と雑貨作りと、自分の生活とプライベートの社交と、毎日がいっぱいいっぱいでぱんぱんだったけど楽しかった。

それでも結局雑貨は全然売れなかったけど・・・

売れない理由を考えてみる


これについては何度も何度も逡巡して思いを巡らせたテーマです。
いろいろネットや本を読み漁ったり、コンサルをを受けてみたりもしました。

精神論にまとめるのは昭和生まれの悪い癖・・・とは思うのですが私のマインドだったかな、というのが結論です。

交差する自己顕示欲


「私のマインド」と言っても一つではなくて複数の気持ちが入り乱れ錯綜したところにもよりこじらせた感があります。

・上海に来た意味を残したい
・仕事で実績を上げたい
・デザイナーになってみたい

その反面として
・名前が出るのが怖い・恥ずかしい
・大きく行動する勇気がない
などのネガティブな面も足を引っ張りました。

一番最初の「たくさんの人に中国のいいところを知ってもらいたい」というピュアな気持ちのままでいければよかったのだけど、欲やら恐怖心やらいろいろ出てきて貫き通せなかった。

ピュアの塊でいるって難しい。
いつから人は浅ましき思いをまとって自分を守るようになったのでしょう。

へらへらしたOLの私が人に助けられながらも一人でここまでやったことを「それだけで十分すごい」と言ってくれる人もいたけれど「本気だったらもっとできると思う」と言ってくれた人もいて自分としてはまだ納得しきれていない思いです。

活動の拠点が日本に移って生産現場の確保が難しくなって、さらに競合が増える一方、この日本という場所で「中国」をアピールすることが砂漠に水を撒くような行為であること、仕事の内容も変わってモノづくりに費やす時間が少なくなってしまったこと、言い訳は言い出したらきりがないけど中国にいたころのような熱量ではなくなってしまったことは紛れもない事実です。

前述のマインドの部分で述べた
・上海に来た意味を残したい
というもの、あのころまだ一般的な価値観の支配下にいたため「なにしに上海に行ったの」「上海で何しているの」という一般的な日本人カテゴリからはみ出した自分を正当化させたい執着心がモノ作りに向かわせていたところは大きく、こうして日本に帰った今はそれが薄れたというのもあります。

それでも今なおやめない理由

日本に帰ったあと、ハンドメイド市場が出来上がっていて誰でも作家になれる!みたいな風潮のもとコンサルを受けたこともあったのですが「これは・・・売れないよ」というコメントをいただき、自分の好きなものが日本のマーケットと一致しないことをしみじみ感じました。

一回外に出て日本に戻ってみると日本が客観的に見ることができます。
こんな風に自由にやりたいことができて、モノづくりしたい!しよう!と思ったらそれが実現できる場があった中国。何の制約もなくてやろうと思ったら気持ち一つで可能性が大きく広がっている自由さは中国ならでは。
頭から「無理だよ」と否定せず(たとえ思っていたとしても利益になるorごり押しで頼み倒すとやってくれる)「そうなんだね」と受け入れてくれる懐の広さ(他人に興味関心がないだけかもしれないけど)。
本当に恵まれた環境でした(私にとっては)。
だからこそ生まれた私の雑貨たち(はかなきチャイナドリームとも言う)。

隣の国をよくよく見ること、
知ること、
興味関心を持つこと。

できたら好きになること。

いま世界が全体で一つになって動こうとしているのを見て、そんな雑貨づくりを始めたころのことを思い出していました。
よく見て、知って、好きになって欲しい。
中国だけじゃなくいろんなほかの国のこと。

そして思った、「やっぱりやめられない」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?