1.序

 タバコを吸い始めた理由は、偏に漠然とした大人への憧れである。当時趣味で付き合いのあった年上の人々は皆それを吸い、趣味の話に興じていた。やっと大学生活に慣れてきたばかりの私の目に、それはひどく退廃的な空気を孕みそして美しく見えた。私もそこに混ざりたいと、心から願ったものである。

2.盲

 当時の私にとっての喫煙はある種儀式めいていた。大学の講義を終え、そのままバイトに向かい深夜に帰宅する。そこでベランダに出て、夜の街を眺めながらタバコに火を点ける。この行為を私は神聖視し、毎晩のように行った。煙は苦く、吸い終われば眩暈に襲われる。しかし数年前まで高校生だった自分が当時思い描いていた――今考えれば漠然にもほどがある――大人になれていることにより感じられる多幸感は、そんな身体的デメリットを無視するには大きすぎる理由だった。
 私は大人になりたくて喫煙を続けた。レポートなどの課題をしながらの喫煙も、友人や先輩と趣味の話に興じながらする喫煙も、悩み事や不安を抱えたときにする喫煙も、幼い自分を大人と思い込ませるには十分すぎる説得力を持っていた。

3.彩

 タールは肺を黒く、ヤニは壁を黄色く、そしてニコチンは、日常を灰色に彩る。彩が原色、或いは極彩色である必要はない。むしろ空気を読まぬ原色と極彩色によって閉鎖された色の牢獄であるところの日常に、それらを差し色程度に落とし込むモノトーンこそが真の彩と呼べる。
 無秩序に色が重なった日常を、一度灰で塗りつぶす。喫煙という行為で、連続した時間から僅か数分を切り出す。そしてその灰で染まった数分から、本当に見るべき色だけを選択する。夜景、青空、月の色。遠くに見える赤い屋根。そういった即物的な色。或いは今抱えた悩み、未来に対する思案、もしくは回顧。そういった心象的な色。それらをいくつか同系色でまとめ、灰で染めた日常の上に数滴落とすのだ。
 喫煙による彩とは、そういう行為であった。

 しかしかつてあれほどまでに神聖であった夜更けの一本も、今や呼吸と同列にその身を落とした。吸い終わって訪れるのは眩暈ではなく、次のもう一本となった。かつて大人になるために、いや大人であるために行った喫煙は、大人となった今身体というハードウェア的な依存のみを残し、大人であるという認識を保つための心理的な部分、いわばソフトウェア的な依存は、日常にばら撒かれた色と共にきれいさっぱり消えて無くなった。

 日常が原色と極彩色で閉鎖された牢獄であった日々も今や遠く、喫煙などしなくてもそれは灰色のままである。しかし灰に灰を重ねたとき、あのとき見た空の色やあのとき感じた感情の淡色が、ふとフラッシュバックすることがある。まるで厚くなった塗装が、ひび割れて剥げるかのように。

4.詭

 かつて大人になるためにタバコを吸っていた行為を喫煙と呼ぶなら、今の私は喫煙を一切していない。ただ脳がニコチンを求め、反射で吸っているだけだからだ。タバコを吸うことで感じていた優越感じみた大人になる感覚は、先にも述べた通りきれいさっぱり消えて無くなった。
 或いは、その意味は大人になるとともに変質したのかもしれない。かつて吸っていた変わった銘柄を吸えば、当時なぜそれを吸おうと思ったのかを思い出す。タバコがないとき友人にもらって吸っていた銘柄を吸えば、その友人の声や顔を思い出す。匂いに紐づけられた記憶を引っ張り出し、まだ日常に一色で塗りつぶしたくなるほどの色がついていた時代に思いを馳せる。未来ではなく、過去を見る。そんな意味に。
 そういう意味で言うのであれば、年に数回は喫煙をするかもしれない。

5.跋

 健康に悪い、臭い、金がかかる。そんな理由があって尚タバコを辞めることが出来ないのは、結局のところ自分の中で一番輝いている記憶に密接に結びついてしまっているからなのだろう。タバコすらもその輝いた記憶の中に思い出として封印してしまうのが一番好ましいが、そもそもそれが出来たら密接に結びつくことなどなかったのだ。
 一番輝いている記憶は、確かに輝きながらも、少し黄ばんでいる。

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