政治哲学とは何であるか?

哲学は本質的に、真理の所有ではなく、真理の探究である。哲学者を他と区別する特徴は、「彼が自分は何も知らなことを知っている」こと、そしてわれわれはもっとも重要な事柄に関して無知であるとの彼の洞察が、彼に全力で知識を追い求めるよう誘うことである。

政治的とは何であるか?とその他の諸研究P3

政治哲学は(中略)、政治的事柄の自然に関する意見を、政治的事柄の自然についての知識に置き換えようとする試みであろう。

政治的とは何であるか?とその他の諸研究P4

価値判断は結局のところ理性的制御に服さないという信念は、正しさと誤りや善と悪に関して無責任な主張をする性向を助長する。

政治的とは何であるか?とその他の諸研究P15

著者はアメリカのシカゴ大学のレオ・シュトラウスシカゴ教授。政治哲学を教えていた。1899年に生まれて73歳くらいでなくなっているので20世紀的な時代をまるまる生きた人。出身はドイツだったがユダヤ人のためナチスから逃れるためアメリカに亡命した。
アフガン戦争やイラク戦争当時のアメリカブッシュ政権の中枢にいた「ネオコン」といわれる政治グループは著者の影響を受けたといわれた。


本書はタイトルにもある「政治的とは何であるか?」という論文のほかに9つの論文が収録されている。個々の論文は形としては1つ1つ完結しているので10回に分けて紹介。
要旨として
①現代は政治科学が政治学の中心になっているけど、政治ってそもそも善悪とか価値とかの判断と切っても切り離せないから科学的な手法には限界がある。
②政治において価値判断をしないと、国家の目標って最終的に国民の生存させること「のみ」が目標になって、政治的な正しさや人間の自由よりも「生活」が大事となってくる。
③それだと独裁や恐怖政治も(外敵から国民を守り最低限の生活を保障するのであれば)否定することができないばかりか、科学がそれに役立つ道具となってしまう。
というもの。
(内容自体、個人の力量としてかなり複雑と感じたので、あくまで自分が読んだ感想ということをご了承ください・・・)

著者は日本では政治的な文脈で注目されたので毀誉褒貶あると思うが、そういう偏見をできるだけ脇において読んでもらえると、今のような多様性の時代にこそなかなか鋭い指摘をしているなと思える。
著者は価値自由というもの対して疑問を投げかけている。自然科学ならそれでいいが、社会科学がそればかり追求するなら上記③のとおり、科学で扱えない自由とか人権とかは無視していいことになる。そして実際ナチスやソ連とったものを著者は目撃してしまった(しかもユダヤ人として)。だからこそ善や悪について中立ではいけないという。政治哲学は必要だという。これは現代の、とりわけ価値の多様性の時代に生きている人間からすればハッとさせられる指摘である。
価値の多様性ということ自体、もちろん誰しも常識的に自由や人権を基礎としている。ただしもし言葉どおり「価値が多様」だとすると自由や人権というものも、終局的には、「多様な価値の1つ」となってしまうんじゃないか、そいうい危険性があるんじゃないかといわれると、確かにそのように思えてくる。実際問題アメリカではBLMと同時進行でアジア人に対するヘイトクライムが起こっているので「黒人差別反対」と「アジア人差別」が矛盾なく同居する可能性はゼロではないということだろう。
今時多様性は否定されることなど到底許されない社会であるが、その限界や暴走していきつく先についての著者の警告は、半世紀も古い、ネオコンの創始者だからという理由で、破棄されるべきでないと思う。





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