記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【観劇】鳥と舟さま 『累々と花は詠たう』

来る3/15、意気揚々と有休をとり、
だいすきな劇団「鳥と舟」さまの新作公演を観劇しました。

千秋楽、本当におめでとうございました!
私の期待通り、期待以上の作品がそこにありました。

今回の感想は特に、

※大量のネタバレ
※野暮なシナリオ考察
※どうでもいい個人の演劇観

上記の内容が散乱していますので、閲覧の際はご注意ください。

また誰かに読んでもらうためというよりは、
未来の私が読んで激しく共感するのが主目的な為、

※順序・表記・誤字脱字など文章の支離滅裂さ
※見当違いな内容、生意気な感想、濾過されてない表現
※演劇ド素人の分際であること、批評などできる立場でないことは総じて棚上げ

上記、なりふり構わない文章になっているのでご容赦ください。
(劇中の役名は販売台本の表記に合わせています)






【作品全体について】

■感想あれこれ

マチネ観劇直後に心を占めていたのは、息苦さでした。
案の定号泣したので、肉体的に息が吸えてなかったのもありますが、美しさと切なさに何度もこらえたため息で胸がいっぱいでした。
個人的にだいすきな鳥と舟さまの描写や言葉づかいを、こういった感情で味わうことになるとは……と、観劇中くちびるを噛みしめてました。

しかしソワレを見届けた直後はというと、
悲しみは相変わらずでしたが「これでいいんだ」と
いくらか落ち着いた心持ちでした。

作中、たくさんある好きなシーンのひとつが、
「死んだ紫と人形の紫の魂」について。

のはてで働く夢を知らない紫は、
日光アレルギーをもたない紫は、
自分より末摘花の幸福を優先する紫は、
本当に、末摘花が愛した「紫」なのか。

あらゆる手を尽くしたにも関わらず、結果としては生前の紫を取り戻せなかった末摘花と人形の紫。
初見時はどちらかというと、その事実に引っ張られてあまりにも報われないと感じた比重が大きかったのかもしれません。

でも2回目は、
「この悲しみすら末摘花と、もう一人の紫の人生のひとつなのだ」
と観客として受け止めることができたのだと思います。
もう一人の大切な存在と本当の意味で出会う事ができた二人を、穏やかに祝福する事ができました。

(余談ですがこれを書いてて、最後の短歌を二人が詠んだ理由がやっと本質的にわかった気がして震えています……)


舞台装置、音響照明衣装、映像演出も、作品にマッチしていて素敵でした。
オープニングで、花束を掲げる紫の背中にプロジェクターでタイトルを映す演出、視覚的にも伏線的にもたまらなく好きです。

劇中、あら日本語のモビールが吊ってあるわ素敵……
短歌を花にたとえるなんてまあお洒落……
と呑気に楽しんでいたら、短歌を紡げば紡ぐほど舞台装置がドンドン寂しくなっていき焦りました。
照明もあいまってすごく不安になりました。

違ったら本当に申し訳ないのですが、景色が次々現れる映像、もしや一部AI製……?
だとしたら演出意図が恐ろしくて唸ります。(?)
紫の一番大切な景色だけは、どうか実際の映像でありますように。
ラストの星空も、二人の目に映る特別感が観客にもひしひしと伝わってくるようでした。




■個人的考察不足な箇所

作中でいろいろヒントはあるものの、ソワレでもう一回観てやっと繋がったところもありました。
それぞれの短歌の意味とか、紗幕の後ろで二人の"花"が入れ替わる演出とか、紅花世界線の千重には光がなくて夢を見ない理由とか、18:30という時刻の対比などなど。

以下は個人的な覚え書きを兼ねた、まだ「咀嚼しきれていない謎」たちです。


・名前の後に地名を言う風習
何か元ネタがあったり、実際にあった文化なのでしょうか?
不思議とディストピアを感じ、演出としては好きでした。
作中の世界でこれが採用されている理由が見えてこず……人間のカテゴリー区分を自覚させるため、みたいな感じ……?


・「神楽夜」について
これも元ネタがあるのかもしれませんが。
寿命が300年程度の世界で、彼女は900年生きられている(生かされている?)のは何故かとか、
神さま(AI)としては危険な思想の持ち主なのに、かなり自由に研究が出来ているのは何故かとか。
実は神楽夜は、とんでもない組織や権力の持ち主なんですかね……。


・のはてで末摘花たちと邂逅する女性たち
私は紅花たちを、「パラレルワールドで本当に存在している末摘花たち」だと認識していたので、何かの技術?因果?でそのパラレルワールドと繋がったのかと思ったのですが、
アフタートークで役者さま方が「あったかもしれない世界線」と仰っていたり、台本でもこの女性たちは、紅花たちと別人のような書き方をされていたりしたので、うまく考察しきれませんでした。
シンプルに他人の空似なんでしょうか……。

また末摘花たちを女性たちが迎え入れる?待っていた?ような振る舞いをしていた理由や、二人きりになった後の末摘花の「紫にまた会えた」という台詞も、人形の紫と女2の役どちらを指して言っていたのか、解釈に迷いました。


上記、作品への理解が深まったら追記・修正などするかもです。
私個人に学がなく、単純に比喩がわからなかった部分もあるので、これから台本読み込んだり調べたりするのが楽しみです。

(追記:のはての女性たちについて)
配信映像だと照明の影響で、役者さまの顔が見え辛く、確かに別人っぽいなと感じました。

併せて前半シーンの、朱の「でも、楽園は失ったわ」という台詞。今まで気に留めてなかったのですが……
まさか、朱も病が発覚した?
もしそうなら長期休暇がとれて突然紅花に会いに来たのも、こののはてのシーンが別の役どころなのも辻褄が合ってしまうような……

とはいえ「紅花を夢で見た」から来たと明言してるし、数年働いてるところを見るとそんなことない気がする。いや、頼むからそうであるな。
と思った蛇足邪推でした。


ここからは、好きな・美人な方しかいなかった、役者さまや役どころへの感想です。




【各役者さまについて】

■ゆかりさん (末摘花)

毎回言ってて恐縮ですが、ゆかりさんはとにかく美しい。奥ゆかしい佇まいと透き通ったお声が、今回は特に作品の肝となっていたように感じます。

非人道的なことを実行する人にはゆかりさんも末摘花も到底見えないので、「そうするしかなかった」という深刻さと狂気を一層感じ、ますます気が沈みました。

紫へ手向ける短歌を、床に散った文字をつかんでつくりあげるシーンは、末摘花の葛藤と必死さに胸が張り裂けそうでした。
自身はそんな思いをしたのに、終盤の、
「自分の選択を神さまのせいにはしない」
という台詞。
間違え続ける人間という存在や、死んだ紫と人形の紫への責任感や覚悟が、ゆかりさんのそれまでのお芝居から説得力があって深く心に突き刺さりました……。


■水面 玲良さん (紫)

もうお芝居は観られないかも……と思っていたので、役者・水面さんの大ファンとしてはとても嬉しかったです。
マチネ、序盤の「いいわよね?」が可愛すぎて感想バインダーを派手に落としました。
申し訳ありませんでした。

冗談や意地悪でころころ笑う愛嬌たっぷりな紫も、末摘花のために消えてもいいと言ってしまえる人形の紫も、水面さんならではの魅力が役どころの魅力を存分に引き出しており、観客としても愛着が湧くのは必然でした。
だからこそ、「本物の紫」について誰よりも考え、悩み、最後には決別を認める人形の紫があまりに健気で、初見時は直視できないほどに辛かったです。

でもこれこそ、彼女が本当の意味で生まれることができた証なんですよね。2回目は、いくらか前向きに「良かった」と思えました。
人形の紫、新しい名前をもらってほしいなあ……。


■中畑 翔子さん (紅花)

観劇前、SFに短歌と女学生のマリアージュ……?
と想像がつかなかったのですが、中畑さんを見ていて不思議と腑に落ちました。文学少女、お似合いすぎる……。(ご本人は理系と知り衝撃でした)

末摘花はどうしても「必死さ」を前面に感じて痛々しいのですが、中畑さんの紅花はうたたね姫だったり、どこか抜けている部分があったりなど、周りが紅花に対して魅力を感じる理由がよくわかったし、
朱のこと、大好き……❤️があらゆるお芝居にじっくり滲み出ててめちゃくちゃかわいかったです。

そしてこの作品にあの舞台美術をうみだせるの、軽率ながら「天才」としか私には言い表せません……。
本当に、本当に最高でした。
ありがとうございました。


■渚乃さん (朱)

渚乃さんの存在、観客としてものすごく救いでした。
紫が残酷な物語なので、朱が自分の現状を素直に楽しんでいるお姿には余計に希望を感じて、縋るような思いで見ていました。

渚乃さんの語る空や外の世界は、観客の目の奥に新鮮かつ鮮明に風景が映し出されるので、どのシーンも心洗われる思いでした。
「詠たう(うたたう)」という言葉も、そんな世界が輝いて見えている渚乃さんの朱だったからこそ、より特別感のあるキーワードへと昇華されたのではないかと感じます。

朱は「あったかもしれない世界線」とのことですが、最後に星空の下で登場した渚乃さんは、朱がどこかで生きている証だと私は信じていたいです。

余談ですが、私は渚乃さんのある短歌が大好きです。唐揚げ……巨大おにぎり……🫂


■松野 莉花さん (苗)

初めてお芝居を拝見しましたが、びっくりするほどナチュラルなお芝居にたちまち引き込まれました。
レストランで神さまについて語りだすところも、豹変するというよりだんだん違和感と異常さを思い知らされるような感覚。
後半、千重への複雑な思いを語るシーンも、明るく気さくな振る舞いと抱えてる闇の対比が絶妙でした。

村川さん演じる千重を知った上で、改めて松野さんの苗を見ると、「本当の苗」がわからなくなり考えれば考えるほどお芝居の意図が怖くなりました……。
それでも紫の家にて、末摘花へ「それほど君たち二人は特別な存在だったんだね」とかける声はとても優しくて、観客の心も慰められました。

短歌を見ていても、日頃から繊細な感性をお持ちなのだろうなと感じました。
もっといろいろな松野さんのお芝居を拝見してみたいです。


■村川 彩名さん (千重)

キャストビジュアルを拝見した時から気になっており、あの美人さんはいつ登場するのかしら……とそわそわしてました。笑
初見時は気付きませんでしたが、前半から登場されていたんですね。

女性たちが仲睦まじく話している場面、どのシーンもソワレの回の方が柔らかくなってて良かったなあと感じつつ、紅花が見る夢の話を聞いた千重が「無理だ……」とボソッと呟いたところは思わず笑ってしまいました。

第一印象で勝手にクールな印象を抱いていたので、千重という役どころやご本人のおどけたお姿にギャップで打ち抜かれまくりでした。好きです……


■海月 あこさん (神楽夜)

以前から私の大はしゃぎツイートへ律儀に目を通し、いいねをくださっていた海月さん。(いつもありがとうございます……)
初舞台とも知り、いろんな意味でお芝居を拝見するのが楽しみでした。

いざ拝見したら、驚く事ばかり。
シーンとしては脇役な役割も度々担当されてましたが、実はどれも作中世界をあらわす点で大切な役どころ。
それを踏まえて、同じ「神楽夜」であることと、それぞれ別の存在であることのバランスがお見事でした。

またなんといっても、その品格たるや。
柔らかくも落ち着いたお声や、一定の余裕をもった語り口・表情、スッとした立ち姿(背が高いのでなおのこと風格がある)など、初舞台とは思えないほど役どころに説得力がありました。
終演後少しだけお話させていただきましたが、ああきっと生来のものなんだな……と感じました。

「もっと舞台に立ちたい」と仰られていて、私まで嬉しくなりました。これからのご活躍を心から楽しみにしています。




【アフタートークの話】


ソワレのアフタートークにて、中畑さんが
「生きるためにお芝居をしたい」
と仰っていて、思わず涙がでました。

かつて役者だった友人も、
似たような事を口にしていました。
厳しい業界でしょうし、同じ「生きるための演劇」という言葉でも、人によって違う目的を指す言葉になるのでしょう。

自己実現のため、承認欲求を満たすため、
有名になるため、お金のため、
ただ仕事として淡々とやっている、
というニュアンスの人もいるかもしれません。

舞台の幕が降りた後も、私たちは日々呼吸をして、人生という日常を続けていきます。
日常という流れの中に芝居があることを前提とした、舞台の外へ続く「日常の自分自身」が豊かになるような演劇を、私は求めています。

今回役者さま方が口にされた舞台に立つ理由や、過去作品含め鳥と舟さまが扱うテーマには、私が大切にしたい「生きるため」の意味が込められているような気がします。
それを満たしてくださる作品があることにいつも感謝でいっぱいですが、つくりあげる方々が私と似たような思いで作品づくりに向き合ってらっしゃると直接聞くことができて、勝手ながらとても感動しました。

これからもきっと、私の求める演劇を生み出してくださるだろうなと確信することができ、この回に来た価値があったと心の底から思えました。
個人的に貴重なお話を、本当にありがとうございました。

(そして締めの短歌、無茶ぶりにもかかわらずいい案配な一首ができあがりさすがでした。すみませんでした。笑)




【結び】

最後に、唯一の心残りについて。
純粋に水面さんの紫を堪能しながらも、本来ご出演予定だった佐々木 彩衣さんなら、どんな紫になっていたんだろう……と想像しながら観ていました。
佐々木さんの少しでも早いご回復をお祈りしております。

まずは数日後、配信映像として観劇するのを楽しみにしつつ。
これからも劇団さまの今後の活動を、いちファンとして応援しております!
改めまして、今回も素晴らしい作品をありがとうございました💐

お花をお贈りさせていただきました!
ご紹介ありがとうございました💐

役者さまお手製の美麗なグッズたち!
短歌ガチャから一句


↓自分用 配信鑑賞後のぼやきツリー↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?