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強さと夏について

無職になってしばらくが経つ、基本的には寝てばかりいるわたしです。

相思相愛じゃ物足りないというのはどういう状態かと問いたら、親族老齢まで愛してと即答され、答えを出すまでの速さがいいねと返事をしたら、答えの語感もいいよと言われた。

平和ボケした日々を過ごしていて、体重が5キロ以上増えていた。季節もあっという間に夏である。

久しぶりにロエベのワンピースに袖を通した。町に行くのだ。町に行く、という感覚が20数年間無かった。近所のコンビニだってわたしにとっては町だった。自分の部屋を出たらその先は全部町、いつもなにかわからないものと戦っていて、どうにもこうにも気を張っていた気がする。

スマートフォンが重くなってきて、画像データをクラウドにあげて全消去した。30GB以上あるデータは一気に消去できず、何度かに分けて消した。全部消えただろと思ってTwitterを開いたら、わずかに残ってしまっていたスクリーンショットが、ツイートの下の画像欄に新着画像として出てきて、もう二度とみることがないと思っていた、わたしが人生でしたことのある3回の仲違いのうちの2回がそこに奇跡的に並んでいて、一気に遠い過去に引っ張り戻された。
あの頃ももう二度とこんな仲違いはしないんだろうなと思っていたけれど、今はあの頃よりももっとずっと何倍にも強度な硬さでもう二度とあんな仲違いはしないんだろうなと思う。

世界征服をやめて今日のごはんで精一杯になる日も近いのだろうか。ずっと強くなりたかった、強くなってすきなひとを守り、だいじなひとたちと友達になりたかった。強くなる理由を全部失って、強さを向ける矛先についてずっと考えるようになり、最近は強さがよくわからない。やさしさについて考えることが増えたが、やさしくなりたいのかと問われるとそれはちちょっと違う。やさしい人間には、やさしくなりたいという気持ちによっては、なれない気がする、やさしさに関しては、なんだかそういうような問題ではない気がする。

やさしくあるためにはタフでないといけないと会ったことのない素敵なお姉さんがおっしゃっていて、唯一の可能性として、いつかやさしく在れるためのつよさ、という道があるな、と思う。今はまだ、思うところで止まっている。

夏は長い、今日は図書館にでも行こうと思う。図書館は町なのだろうか。そもそも町は恐れる場所ではないのではないだろうか。そんなことばかり考えている。考えたり、思ったりしているうちに今年の夏の大半は過ぎていっている。ぐっばい、サマー。

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