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できることできないこと

実家を出て、あっという間に8カ月くらいが経ちました。
春だったはずの日々はとうに過ぎ去り、布団から出るのが少し億劫になるような涼しげな秋がやってきて、文字を綴っている間に気づけば冬の方がちかくなってきています。

どこで誰と生活をしても暮らしの本質に変化はないのではないかと思いながらも、ひとつひとつの取るに足らないささやかさを追ってみると、案外できるようになったことや、逆にできなくなったことがあることに気が付きました。

【できる】洗濯機をまわす
ドラム式洗濯機なので、乾燥機までかけることも出来ます。乾燥機までかける時と、水洗いまででお部屋で干す時は洗剤の配合も洗剤の種類も分けてます。干す時にはピンと張って干すことも出来ます。襟や袖にだけ皮脂汚れ落としの洗剤を別途付けることだってできます。たまに忘れちゃうけど。というかむしろたまに思い出す、かもしれないけど。

【できない】色物と白い物の洗濯物を分ける
洗濯もの入れが1個しかないので、洗濯物を分けることが出来なくなりました。最初は全部カゴに入っていて、乾燥機までかけていいものをそこから探し出して分けて選択していましたが、最近は乾燥機までかけないといけないものは最初からドラム式洗濯乾燥機の中に頬り込む方式を導入しました。らくちんね。

【できる】洗い物
他人が洗っても汚れが残っているしピカピカにしたいから食器には触らないでくれという母の元育てられたため、洗い物をしたこともそんなになかったですが、最近はシンクがいっぱいになる前に洗えるようになりました。本当は食べ終わったらすぐに洗うべきらしいですが、こういうのは慣らしが大切なので、一旦溢れる前に洗う、で勘弁してもらっています。たまに溢れているときもあります、そういう時は洗ってもらいます。さんきゅー!

【できない】料理
出来たら、ヒトの誕生日以外には料理をしたくないということを念入りに伝えるためにも料理は出来ないことにしています。少しは出来ますが、今日もあさごはんのスープ(作ってもらった)をあっためなおす最中に仕事をちょっとしてたら仕事に夢中になってしまい、スープではなく、濃い味の野菜たちになってしまいます。火事になるから火から目を離してはいけないととても怒られましたが、これは実は3回目くらい。あんまり火は得意じゃないです。

【できる】Googleにお願いして部屋で音楽をかけてもらう
Googleちゃん(GoggleHOME)は、はちゃめちゃ優秀なので、なんでもお願いしてしまいます。米を炊くときには米米CLUBのCOMECOMEWARを流すなどの取り決めも行い、この曲が流れると全てを中断して、わたしが米を炊きます。は、料理は出来ないけど米は炊けますね。いえーい!

【できない】CDウォークマンで音楽を聴く
部屋にCDプレイヤーも設置しているのにもかかわらず、GoogleちゃんはSpotifyから様々な音楽を流してくれるので、Spotifyがだんだん音楽の中心に移行しています。それもあってか、愛用のCDウォークマンの出番は圧倒的に減っています。そもそも、お外に出かけることもめっきり減りまして(なんせ出勤をしていないので)、たまの外出は太陽の音や風の肌触りを耳でたのしみたく、イヤホンをつけて音楽をきくことはほとんどなくなってしまいました。

【できる】花をみつくろう
おうちには花瓶が10種類以上あります。色々なところで花瓶を買い足してしまうからですが、そこに挿すお花たちをブーケで頼むより適当にみつくろって、おうちで好きな長さに切って活けるのがたのしいです。高校1年生の時に華道部に入部したが、空間の美しさの美しい由縁やルールの道理を教われなかったからだが、理のわからない上に感覚でもわからない美を受け入れられず、すぐに辞めてしまったことを思い出し、少し恥ずかしくなります。でも、お花には「向き」があって、ちゃんと向きをみないとだめだよと言われたことは覚えていて、それは今でも守っています。

【できない】野菜をみつくろう
スーパーマーケットはたのしくて、何度行ってもたのしいものの、どの豚肉がおいしくて、どの茄子がおいしいのかがわかりません。豆腐なら分かります。パッケージになっているので。パッケージになっていないものを、素材のままで味を予想したり、当たりはずれをみたりする、そういう繊細で知恵のひつようなみつくろいはまだできません。

生活をするのはとても大変で、できることやできないことが交互にやってきている間に時は進み、朝がきて、おひるを食べたら、あっという間に夕暮れで、気付けば夜になってしまいます。
そうこうしている間に季節も巡ってしまい、春になればわたしも25歳になるのだなと、ぼんやりと遠くに思います。
19歳になったとき、迫りくる20歳に怯え、マッチ箱に潜む日々はいつかマッチたちが1本ずつ火を点けられて気付けばマッチ箱ごとどこか消えゆくのではないかと、日々の写真をマッチ箱の中に小さく印刷して展示をしたことがありました。できること、できないこと、にすら分類されない曖昧で境目のない19歳のころ。戻りたくはないし、24の方がたのしいけれど、きっと25歳に対する漠然とした緊張感は少し19のころに似ているのかもしれません。

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