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ポッドキャスト

ポッドキャストの番組にどハマりしてしまいました。

その番組は「OVER THE SUN」というんですが、50代の女性二人の会話がこんなに面白いなんて、そんな番組に自分がハマるなんて考えてもみなかった。もちろん有名な番組だということは知っていましたが、女性向けの番組だと思っていたから、なかなか手が伸びなかった。

でもTBSラジオで「生活は踊る」も聴いているし、そのアシスタントは男性アナウンサーのことも多い。Spotifyを開くといつもおすすめに出てくるし、もしかしたら自分が聴いても面白いのかもしれないという予想がふわふわと頭の上に降りてきました。

でももう一段階、何かきっかけがないと手が伸びないんですね。どういうことかというと、ポッドキャストの番組なので「いつでも聴ける」と考えてしまうんです。それよりも深夜ラジオだったり、タイムフリーを使っても1週間で配信が終わってしまう番組を聴くことを何ヶ月も優先してしまっていたのです。

ある日、Spotifyで音楽を聴きながら通勤しようと思いました。でも運転中に、信号待ちでスマホを触ると、間違ってポッドキャストのページに飛んでしまった。そこで、この番組が出てきたんです。ちょうど1時間くらいで番組が終了するというのも、通勤時間にぴったりだと思いタップ。

番組の初めに「よくぞよくぞ金曜まで辿り着きました!」って感情たっぷりにリスナーを褒めてくれるのも最高。普段生きてて褒められることなんかありませんからね。もちろん聴いてるのは金曜じゃないのですが、褒めてもらえるのは心地よいですよね。自分にも金曜は絶対にやってくるのだから。

そこから自動再生で通勤中の時間を全てこの番組に捧げることになりました。1週間くらいすると、家に帰っても続きを聴きたくて、イヤホンで眠くなるまで聴いてしまう。

現時点で190本以上の番組が配信されているのですが、僕が消化できたのはまだ30本くらいです。まだまだ100本以上のストックがあると思うと、とても嬉しい。

面白いところは、自由な発言を繰り返す堀井さんにスーさんがガンガン噛み付いていくところです。聴き始めた頃は「わたしってねぇ?」みたいに甘い話し方をする堀井さんに「うわ…」って思うこともありました。勝手な印象なんですが、こういう話し方をする人苦手なんです。「生活は踊る」のアシスタントにはこんな話し方をする方はいませんし、なんでこの番組が人気なのか聴き始めは理解に苦しみました。

でも聴いていくと、スーさんが「あんたそれさぁ」とハッキリ物申して、ぶった切ってくれてめっちゃスッキリするんです。その直後にスーさんが変なこと言って堀井さんからカウンターされてたりすることもある。そのリズムがとても心地よくなってくるんです。気づくと「ヒヤスンスを冷やすンス」とか言ってて笑ってしまう。電車の中では聴けないなぁと思いながら、次の回が再生される。

もちろんわからない話題もあります。でもそれが気にならないくらいのスピードで話が展開していくので「さっき何の話してたんだっけ?」となることもしばしば。面白かった部分だけを抜き出して自分の記憶にするくらいで十分なんです。

相談メールを取り上げることもよくあります。夫婦のこと、加齢のこと、人間関係のこと。女性特有の悩みを取り上げることもあります。型にはまった「これが幸せというものです」にあてはまらない人生をどう生きていくか?という相談のときは、僕にもその答えが突き刺さりました。「誰のための人生か」ということを考えた時、誰のものでもなく自分の人生なんだから自分の好きなように生きれば良いという思考に、なぜたどり着けないのか。世間の目を気にして「自分の人生は正しくない」という思考に陥ってしまう。でも心のどこかでは、自分の好きに生きれていないことそのものにストレスを感じていたりもする。だけど、そのストレスは「きっとみんなが正しいと言っているレールの上にいないからだ」という感情のフタによって、いつも閉じ込められていきます。そうやってフタをしないと、生きるのが余計しんどくなるから。

女性ほどではないかもしれませんが、男性にも結婚をして家庭を持たない人生への不安というのはあります。その人生や選択そのものが正しい、正しくないということは言えませんが「世の中が定義づける正解のレール」の上にいないという劣等感は、どす黒く心の中に眠っています。もしこれから結婚する人生が来ても、自分はすぐおじいさんになって、働けなくなるかもしれない。周りのみんなが子育てを卒業して孫が生まれるかもしれないというころ、自分は遅れてやってきた育児に振り回され「可愛いお孫さんですね」とか言われるんだなぁ、みたいな人生を想像すると、きっと損をしているんだろうと思う。それに組織で働く中で「家庭を持ってない人生」というのは、それだけでどこか「欠陥のある人間だ」という印象を持たれがちです。もちろん当たっているのでしょうが、欠陥のある人間だという印象が僕という人間を知ってもらう前にやってきてしまう現実があります。

育児と親の介護と自分の老化と社会からどんどん必要とされなくなっていく社会的な立場への劣等感が一気に襲ってきて、身動きが取れなくなる可能性もあります。

可能性ばかりの話をしていてもしょうがないのですが、リスト化された人生の節目で、親の介護と自分の老化というものからは逃げることができません。

後悔はしたくない。

なんで自分は生まれてきたのか?なんのために必要とされて、ここに自分は存在しているのか?という問いはいつも頭のなかでくすぶっています。でも浮かんでは消え、浮かんでは消えというのを繰り返し、考えているようで考えてないという、最終的に「考えても仕方ないじゃん」という楽観的な方に逃げているだけの自分もいます。

人生を否定するだけの理由は100も200もあるのに、肯定するだけの理由はポツポツしかない。ネガティブな自分を変えようとしたいけれど、人間なんてそんなすぐに変われもしない。

あと10万字くらい書きたいことがあるなぁ(笑)

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