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「キャットヘッドハート」

今回もセルフライナーノーツという名のただのこぼれ話を書こうかなと思います。あんま需要ないっぽいですが…

1. キャットヘッドハート

じつは、この曲はどうやって作っていったのかあんまり覚えていません。「ハリネズミの恋」よりも先に完成していたということ以外は覚えてないので、歌詞を見返していて思い立ったことを書いていきます。

やっぱり僕の半生、多分あんまフツーではないのかなと思うんですよね。いや、12歳くらいまではフツーでした。どうやらギターを手にした辺りからおかしくて、ロックンローラーの姿に憧れたものの、27クラブの仲間入りも果たせない、音楽以外のことは何にも知らない、やりたくないことはやらない、そんな男になってしまっていました。
高校も大学もテキトーに入って、大人になる覚悟もなく卒業して、別になる予定じゃない先生になったりして、3年ばかしですぐ辞めて。ギターが弾きたい音楽がしたいと思ってるうちに、私生活もフツーじゃなくなってしまった気がします。
周りの人々はもう5年目6年目の先生をやってるとか、企業づとめの子もちょっと責任のある立場を経験し始めていて、なんだかんだで結婚した、子どもができた、家を買った車を買った、、そんな話までもたくさん聞くようになってきました。いわゆる「幸せ」のすがたですよね。いいなーと。笑
僕自身は別にそこに焦りとかはなくて、ただ世間一般が思い描く「幸せ」ではないほうへ、歩いて行ってるんだなと思うだけなんですけど。多様化の時代とはいえ、日本人なので、日本における「フツーとは」「幸せとは」がなんなのか、それがどれだけ大事かもよく知ってるつもりではあります。ズレて生きて久しいので、もうその姿もだいぶボンヤリしてきてますけど、ギターがもっと下手だったら、そういう人生もあったんだろうなと思います。

ただその、負け惜しみでもなんでもなく言うんですけど、それって誰でもできる人生だと思うんですよね。だって世間一般大多数の人がやってるプレイスタイルの人生じゃないですか。
僕はギター以外あんまできないけど(ギターも大してできないけど)、逆にギターっていう特殊なステータスがあるから、それを駆使したプレイスタイルの人生を、もっと楽しみ尽くしたいんですよ。それってあんまりやらないでしょ、フツーは。

フツーじゃない分、これから先も色んなところで、フツーじゃなくて残念でしたって場面に向き合っていかなきゃいけないんだろうと思います。「フツーじゃないんだ…」っていう誰かの目(自分含む)に立ち向かわないといけないとも思う。残念すぎてもうダメで、生きていくのがしんどくなる日もくると思います。
でもそんなとき、心が狭かろうがフツーじゃなかろうが、何がどうでも生きてていい、別にいいよって、自分を全肯定するために、この曲を書いたんじゃないかなと、っていうのが思ったことです。

ただついでに、出来ればでいいので、そこであなたが聴いてくれていて、「いいね」って言ってくれたら、もうちょっと頑張れます。これからもどうかよろしく。

2. 僕の半分

歌詞を書くとき、主人公(僕)は一人ぼっちなことが多いです。
「一人ぼっち」というのはどことなく変な言葉だと思いませんか。この言葉が生まれたとき、すでに人間はワンサカ数がいて、「みんなでいること」っていうことが当たり前の概念だったと思うんですよ。それに対して、「一人ぼっち」という言葉がみちびき出された。「一人ぼっち」は、その視線の先に「みんな」がいる、「みんな」ありきの言葉なんだなと思うわけです。
この曲はそんな、「みんな」に囲まれているような友達とか、好きな人、憧れの人を見つめた歌だなと思います。

好きな人、憧れの人には、みんな近付きたい。近付きたいから、好きな人の好きなものを好きになってみたり、憧れの人の憧れる部分を真似してみたり、いうなれば「寄せていく」ってことをすると思うんですよ。逆に、自分のことを好きになってもらいたくて、自分の好きなものを伝えてみたりとか。
でも、同じ人間にはなれないし、人間だからいずれ気持ちが離れてしまうときも来ると思うんですよね。憧れていたものに近づくと、熊に思えていたものが犬コロみたいに見えることもあったりします。
僕も、今までに好きになってきたバンド、たとえばBUMPにミスチルにフジファブリック、、それぞれがんばって雰囲気寄せたり、追いかけたりしてた時期があるんですよ。でも、今はどのバンドもさほど熱心に追いかけてはいないんです。

追いかけなくなって久しい頃、バンドの音楽を聴いて「フジファブリックぽさあるよね」って言われることがあったり、むしろ自分で「ここ桜井さんの影響出てるな。、」「根本はBUMPを寄せてった感じがあるんだな。。」と気づいてしまうことがあるんですよ。そのときすごく胸がキュッとなります。好きだった証が残ってんなぁって。
憧れのアーティストでなくても、恋人とかさ。恋人のことを好きだったときに買ったものとか、「そういうの好き」って言われた仕草とか、まだクセが染み付いているって気づいたとき、君が僕の半分を作ってたんだな、、っていうのを思い出す。切ないけど、まあ悪い気もしないよな、そんな歌です。

3. 寝言

この曲自体は、大学を卒業するまえに作っています。タイトルの「寝言」は、「寝言は寝て言え」を省略したものです。

うーんと。この曲つくったときの話します?笑

僕、そもそも「できるだけ学費が安くて、かつ入れる大学に入った」というだけで、勉強とかもテキトーにやってて、最後のほう留年寸前だったんですよ。で、四年生の11月くらい、残りの単位を回収すれば卒業できるね〜と思ってたころ。学務課から電話がかかってきて、「この単位の取り方だと卒業できないですよ」って言われたんですよ。え?それじゃあ今から時間割を組み直さなきゃいけないってことですか?ふつうに考えて今から取っても出席が足りなくなってる頃ですけど。、。?
なんでもっと早く教えてくれなかったんですか、と食い下がったけど、学務課いわく「最初に自分でチェックするのが普通」ということでした。まあ、そりゃそうだ。

そんな電話を終えて、バイトの帰り道で作った曲なんです。情けない。。。笑
文句を言ったところでどうにもならないし、甘えてる自分がイヤだな〜と思って書いたような覚えがあります。

その後、先生にお願いしてギリギリ履修登録をさせてもらって、ギリギリで卒業しました。教員免許の取得もギリギリです。今も会社にギリギリ働かせてもらってる状態なのはかわらない。

おわりに

三つ子の魂百まで、ではないけど、人間の芯の部分っていうのは、もはや変えられないんですよね。自分自身でも無理。みんなそういう芯の2歳児みたいなどーしようもない部分と、よそ行きの部分とがあって、どっちも自分なんだけど、そいつらを上手に相談させて、自分の中でいろいろ決めて、なんとか「らしく」生きていくしかないんですよ。
僕はできるだけ、よそ行きの顔なんてせずに素でいたいし、みんなにも素でいてほしい。ので、社会じゃ眉をひそめられるような素の自分も、素のあなたも、思いっきり生きてていいぜって歌をこれからもやっていきたいなと思います。ライナーノーツ書いて、自分で曲を振り返って、改めて思いました。
これからもよろしくお願いします。

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