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5月のひな祭り

端午の節句も過ぎた5月半ば、薫風の候、翠滴る季節にお雛様を飾った。
季節外れの雛祭りだ。
「飾った」というより「干している」が正しい。
お雛様は今年33歳になる娘のもの。お出ましになったのは20年振り。

片付の呪縛

昔は「3月3日のあとは、早くお雛様を片付けないと嫁に行けない。」と、85歳になる母親から言われていた。
言い付けを守っていたせいか、まぁまぁ同世代の平均年齢くらいで結婚した。
今は結婚がイコール女の幸せでないと思うが、幼い頃はそれが女性としての幸せを掴むための最初の一歩であり、その後の幸せを実現させるスタート地点であると信じていた。良い男性と結婚さえすれば幸せになれるのだからゴールといった方が正しい。童話のエンディングのように「お姫様は王子様と結婚してずっと仲良く幸せに暮らしましたとさ。」となると信じていた。

結婚して現実を知った母は、
可愛くて可愛くてたまらない娘は嫁になんて絶対に行って欲しくなかった。ずっと側にいてもらいたかった。母はすぐにはお雛様を片付けない。本音を言えば一年中出しておきたいくらいだった。
流石に5月まで放置したことはなかったが、毎年4月後半までは飾ってあった。来客への言い訳は、実家の北陸の習慣は4月3日が雛祭りだからと誤魔化した。
しかし母の策略の効果もなく、お雛様の持ち主は大学卒業と同時に早々と結婚して3歳の子供もいる。もうすぐ第二子が生まれる。今度は男の子の予定だ。
わかってはいるが「早く片付けないと嫁に行けない」は早く片付けてさせるための脅しだ。
孫が生まれて嬉しいし、とても可愛い。しかし子供に勝る可愛さではない。所詮、孫は孫。親はやっぱり子供の方が断然可愛い。
子育てに参加しなかった男性に多いが「孫は責任がないから可愛い」なんていう人がいる。責任があるから可愛いのだ。責任があるからいつも心を配り真剣に向き合うのだ。子供を育てるとはそういうことだと思う。

被災した蔵

お雛様は、娘が中学生になった20年前に富山県氷見市の実家の土蔵の蔵に預けた。
仕事の一番忙しい時期に、7段飾りを並べて、片付ける作業は苦痛だった。娘が中学生になりそれほどお雛様に固執しなくなり、数が多く大きさが半端ない段ボール箱が邪魔でお蔵入りとした。

5月に20年振りの雛飾りをしたのは、実家が元日の令和6年能登半島地震で被災したからだ。
近隣の石川県羽咋市、津幡町、富山県高岡市など近くには親戚は多いが、幸いにも身内は全員無事だった。
地震で多くの方がお亡りになり、怪我をされた方も大勢いらっしゃる。
心よりお悔やみとお見舞いを申し上げる。元旦のめでたい日にさぞ無念で残念なことであっただろう。やりきれない。。
火災や倒壊で住む家を、生計を立てる職場を失って途方に暮れている人がたくさんいらっしゃる。
能登の多くの方と同様に実家の建物も被害に遭った。富山県氷見市は能登半島の付け根に位置する。実家の6棟ある建物のうち2棟は全壊判定。
その2棟は住居と少し離れた場所にある土蔵造りの蔵と、既に廃業した工場だ。あとの4棟は準半壊で建物は全て傷んだ。
全壊は公費解体だが、後の4棟をどうしたものか。
実際に住んでいる家以外は、全壊でないと公費解体してもらえず困り果てている。
今は事業をしていないので解体費用の借入も難しいだろう。
解体費用の見積りは大阪でマンション買えるくらいの金額、それで更地になるだけ。
今後のことを考えなければならない。焦る気持ちを抱えながら時間はどんどん過ぎる。

発災から4ヶ月過ぎた5月半ば、全壊判定の土蔵の扉を業者さんにやっと開けて貰い中へ入る。建物が傾いて歪み、重い扉は素人では開けられなかった。
土蔵は公費解体の順番を待っているが、それまでに中のものを出さなくてはならない。
作業をするときに兄弟で約束事を決めた。私には地元に弟と妹がいる。
①倒壊の可能性があるので一人で作業しない。
②笛を持って入る。
③土蔵に入る前と出た後に連絡をする。

蔵の中は、まぁ大変なことに。。悲惨な状態を見て感じるのは絶望だけ。
壁のひび割れから雨漏りしてキノコが生えてる。
元旦の発災直後のままの状態で中の物は倒れてぐちゃぐちゃ。
何がどうなっているのか、どこにあるのかさえわからない。
私の気がかりは、20年前に預けた娘のお雛様。。
あった!
外側の段ボールは雨を含んで腐りカビだらけだが、内側の箱は湿ってはいるがカビは生えていなかった。
人形もお道具も一つ一つ丁寧に紙で包んであったので、破損は一切なくカビも生えずで全員無事に救出出来た。
よくぞ、皆さまご無事で。
長い間、お世話をせずにごめんなさい。
一体一体きれいに拭ってお詫びと喜びを伝えた。
少し心が明るくなった。

雛壇はショーケース

お雛様は実家の店舗の陳列棚に並べて干した。
雛飾りというには申し訳ない設えだが、緊急時だから許されるだろう。
緋毛氈でなく新聞紙でごめんなさい。
当分の間は季節外れの雛飾り。来年の雛祭までこのままでもいいと思う。
うん?これこそが、昔私がやりたかったことではないか。

20年振りのお出ましなのでお酒も供えた。コンビニで買った缶入りのロゼワイン。
夜は無事の再会を祝って酒盛りしていることだろう。
五人囃子の奏でる曲が微かに聞こえる気がする。
片付けも諸々の問題もまだまだだけど、少し嬉しかった。

能登半島地震から思うこと

発災から7ヶ月間、多くの方にお世話になり力をもらった。
一言では言えない。感謝感謝。
丁寧に二次調査して下さった氷見市の職員さんに感謝。
心を添わせて親身になってくださる方々のお陰で、少しずつだが前に進んでいるように思う。

戦争や災害など混沌とした世の中であるからこそ、生きている意味を考えて、自分が誰かのために出来ることをやらなければならない。
世間の多くの人にためには出来なくても、せめて周りにいる人だけでも、その幸せのために出来る限りのことはしたい。
今日会った人は、明日にはもうこの世にいないかも知れない。
大事にしていた物は、もう二度と手にすることが出来ないかも知れない。
人にも物にも、そういう気持ちで日々接しよう。
一回一回を、その時その時を大切にしよう。
悔いのない時間を共に出来るだろう。
 


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