人民芸術家リュドミラ・センチナの記録
ウクライナの農村生まれのリュドミラ・シンチナは,2018年1月25日,サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)の病院で亡くなりました.67歳でした.母はウクライナ人の村の学校教師,父はモルドバ・ジプシー,文化啓発労働者という役職でいくつかのコルホーズに転勤しました.
高校を卒業して17歳でレニングラードの音楽学校の門をたたきましたが,それは8月末のことでとっくに入学試験は終わっていました.しかし,彼女の才能と声に感動した教師により試験なしで入学許可がなされました.サビノワの実話とよく似たことが起こりました.
レニングラードの音楽学校を卒業した1972年,シンデレラのオペレッタに抜擢されます.トランぺットに負けない透明なソプラノはシンデレラの歌によく合い成功をおさめます.人気を不動のものにし,多くの歌や舞台で活躍し,人民芸術家になります.
■私は昔,ソ連旅行のときにレニングラードからキエフに行きました.キエフはネェプル(ドニエプル)川に沿った緑豊かな古い町で,ホテルも木造の歴史のありそうな建物でした.とても心が落ち着く街で自由に散歩ができました.
今はソ連邦崩壊で独立したウクライナ共和国の首都になっています.ウクライナはソ連の穀倉地帯でしたが,1986年4月にはチェルノヴィリ原発事故がありキエフにも被害がでました.ウクライナのクリミアはロシア系住民が6割を占め,2014年の住民投票ではロシアに編入が圧倒的多数を占める結果になりました.
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