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遠足ー犬吠埼燈台ー

■昭和30年代の小学校の遠足です.小学校5年生の春の遠足は,犬吠埼の燈台でした.ヒゲタ醤油の見学もあり,この日の遠足は私にとって記憶に残る一番楽しい遠足でした.古い荷物の整理をしていたら,偶然,昔の作文がでてきました.処分する前に文字起こしをして記憶に留めたいと思います.当時の小学校5年生の雰囲気が感じられますので,言葉遣いが変な所もありますが,原稿用紙に書いてある原稿をそのまま再現することにしました.ただし,原文がひらがな表記の場所でも,読みにくい所は漢字に直しました(階段,分銅,奇妙,蓄電,燭光など).この当時の原稿には,灯台でなく燈台と書いてありました.これも何か懐かしく感じられます.

(注)この作文中に出て来る燈台のレンズのことですが,スコットランドの物理学者ブリュースター(1781-1868)の発明によるものです.ブリュースター角に名前が残っている物理学者です.一枚のレンズをフレネルレンズのように分割して,燈台の大きな重かったレンズを軽量化しました.ブリュースターは万華鏡の発明者としても知られています.     

遠足の発表-燈台ー
 ぼくたちは燈台のコンクリートのラセン階段を登って行きます。
途中に窓が三つありました。
中心の塔の中にはレンズ調節の分銅が通っているのだそうです。
一米幅位のラセン階段を登りつめて見晴らしの手すりにでる。
見渡す限りの青い海に続く水平線がかすんで見える。下を見るとぼくたちのお友達のいやはや小さいこと小さいこと。ガリバーが小人の国へ来たようだ。
ノロノロと動く姿は又頭に手足が生えていて実に奇妙なかっこうで、大西先生ならたちまちピカソにしてしまうでしょう。だけど、ここから落ちたらどうなるだろうなあと思った時、野沢君が手すりが無かったらあぶないだろうなあと言った。先生がそれはあぶないよとおっしゃったのでみんなどっとわらった。
とたんにぼくの体はこんな風にかたくなってしまった。急に足もとに気をつけて中央の機械室のそばに寄る。ぼくたちのいるすぐ下と中央は機械室です。その上には電球があります。機械室の内は見えないけれど、歯車でレンズがまわるそうだ。燈台に一番大切なレンズは一等レンズを使っているので一等燈台と言い、レンズの直径は二米もあって、四面にあります。こんな大きなレンズは一枚では出来ないので、中心のレンズとプリズムを組み合わせて、光が束になるようにしています。水銀そうの上にのってぐるぐる回るレンズに電球千五百ワットの強い光が通る時、百八十万燭光の明るさになります。大人の顔より大きな電球はレンズの中ほどにそなえつけてあります。ここでは停電のときは蓄電を使います。蓄電のきれた時は、さあ大変どうしようか。いいえ心配はご無用、石油ランプが用意されています。昔、燈台の初めは紀元前二百八十年、エジプトのアレキサンドリアが最初です。日本では徳川の始め石のむろにかがり火をたいて知らせました。
レンズを使って強くして、遠くまで光を放射させるようになったのは明治に入ってからです。日本には千個近くの燈台がありますが、こんな島国の日本なのに燈台の少ない国だといいます。ぼくたちの寝ている時も、無事に船が港に入れるように燈台は強く強く船を見守っています。

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