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ひどくさびしい夏のこと

これは1年前のはなし。


5月末に知り合いが失恋をして、なぜかわたしに連絡がきて、とりあえず飲もうよと言われた。
何でわたしなんだろうかと思ったけど、傷心してる人って話を聞いてほしい、何となく思いついた少し遠い人でも呼ぶから、それなんだろうなと思っていった。
自分が失恋した時すごいたくさんの人がたくさんの時間を使ってわたしと過ごしてくれていたことがうれしかったから、そういう気持ちだった。

久しぶりに会ったその人はすっかり痩せて、あまり声も出なくなっていた。
彼は酔っ払いながら別れた人のことを「ありえないよね」と言いながら話、最後には「すごく好きだった」と泣いていた。
向かいの席に座りながら怒ったり泣いたり笑ったりするのをほぼ相槌で聞いていた。
たまに思ったことを返しても彼には届かない。今この人の目に入るのは別れた人だけなのだろう。
わたしは、彼の別れた人と同じ性別であることしか意味を持たない人になった。
次の日、出て行った相手が持っていってなくなったものを買い出しに出かけた。
なるべく一緒に調べて、持てるものは持った。行く場所行く場所にまつわる彼女との話をただ車の外を眺めながらきいた。

買ったものを家に運んで、そのまま座ることなく家を出た。きっと長居してほしくなさそうだったし、わたしもなるべく早く帰るべきだと思った。
自宅に戻ったのは15時過ぎ、何だかすごく疲れてしまった。

次に彼と会ったのは仕事場で、なんだか気まずいような、少し意識してしまうような、と思っていたら、目も見ずに「この前はありがとう」と人が何人もいるところで言ってきた。
驚きすぎて、はい、とだけ返したけれど、そういえばあの日から今日まで、この人はわたしに一言も連絡をよこしていなかった。
失恋をしたと報告を受けてから話を聞くまでの間には、返せるときには連絡を返して、それが救われると言われれば電話にも出た。今までに友達がわたしにしてくれたように。

あの日のわたしが彼を傷つけてしまったのか、もうわたしには用がなくなったのか、他に誰かに埋めてもらえるようになったのか、どれでもいいのだけれど、誰でもわたしには関係のないことなんだけれど、でもなんだか、すごく虚しかった。

真意はわからないけど、あの日そこにいたのは「わたしがいい」のではなくて、「わたしでもいい」なのだった。失恋した人はとにかく人に会いたがるからとわかっていたけど、実際にそれがわかるほどの態度で、悲しくなったのは自分勝手だったかな。

その虚しさはしばらくわたしの中に残って、自分の価値をぶれさせた。こんなに些細なことで揺さぶられる自分の価値なんて、そもそも価値なんてないんじゃないか。
「そんなに落ち込んであなたらしくないね」と言われれば、わたしらしいってなに、とまた考え始めてしまう。あの悲しくなってしまった気持ちも今不安に襲われているのも全部わたしなのに、それをあなたらしくないと言われれば、本当のわたしはどこにいるのだろう。

彼と会う機会は何度かあったけれど、空っぽになったわたしが自分の嫌いなタイプだったらしく、追い討ちをかけられた。その度にわたしは腹をたて、思い出しては悔しくなり、でもまだまだ立ち上がることはできなかった。
考えすぎだと何度か人に言われた。相手は自分で思ってるほど考えてはいない。そんなことはわかっていた。でもどうゆうことかわからないものの正体が掴めないままではこの辛い日々からは抜けられない。

しばらくして、また失恋した人から引っ越しを手伝ってほしいと連絡が来た。もうわからなかった。
彼が恋人と住んでいたあのマンションからまたどこかに引っ越すのを手伝ってしまったら、わたしはただの都合のいい人間になってしまう。勝手にだけど、ずたずたに傷ついたわたしの心は彼には関心のないことなのだろう。
あの日を最後に毎週会っていた場所にも行かずに連絡もせずに、誰がどう見ても何かあったと思われてもおかしくない関係の変化は、どうでもいいんだ。

あれほど苦しかった毎日が、「わたしのことを大切にしてくれない人」だと理解したらだんだんと楽になれた。

きっともう彼には会わない。
自分を愛せなかったあの時間はもうわたしには必要がなくなった。

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