見出し画像

塩水にさらす 第三話

美術室に入ると、そこにはまだ瑞希は来ていなかった。いつも先にいるのに珍しい。
 俺は部屋の真ん中に置かれていた机の上に大きなブロッコリーを乗せた。
 空いている椅子に座って、暇な時間が流れたのでとりあえずスマホでも見るかと、いつも入れていたズボンポケットに手を突っ込んだが、無かった。あれ、と思い鞄の中を探そうとしたがまず鞄自体が無かった。
 どうやら園芸部の部室に置いてきてしまったようだ。俺は仕方なく園芸部の部室へと戻り、鞄を取りに行った。
 隼人には、あれ、入部しにきたの?と茶化してきたが、忘れ物をしたと伝えるとバカ、と大声で言われた。

鞄を取り、美術室へ戻ると瑞希がいた。瑞希は恍然とブロッコリーを見ていた。
「あ、瑞希・・・」
「ねえ!すごい!」
「え?」
「お兄ちゃん、殺してくれたんだね!」
「・・・え?」
「お兄ちゃんの生首、取ってきてくれたんだね。輝樹、やるじゃん」
よく見ると瑞希はいつも以上に髪が乱れていて、制服もどこか乱れていた。
「ねえ、瑞希・・・」
「お兄ちゃんのこの首、どうする?このままって訳にはいかないでしょ?」
「瑞希、それは・・・」
「それは?」
ボロボロの瑞希を見ると、何も言えなくなってしまった。ここで嘘をついても、バレてしまうのに。バレてしまったら、嫌われてしまうのかもしれないのに。
 でも、今、瑞希を助けることが出来るなら・・・
「・・・海に行こう」
「海?」
「学校の近くに、崖がすごい海があるだろ?崖の上から捨てよう」
隼人が育てあげたブロッコリーを捨てるのは、心が痛んだが、今瑞希を助けるためにはこれしかないのだ。
「崖の上かあ・・・良いね、早く行こ!日が沈んじゃう!」
瑞希がブロッコリーに触ろうとしたので、俺は素早く両手を広げて身を挺した。
「こ、これは俺が運ぶよ」
「・・・そう?何でも良いから、早く早く!」
俺は鞄を逆さまにして、鞄の中身を全て床にぶちまけた。空っぽになった鞄に大きなブロッコリーを勢いよく詰めた。何なのだ、この状況は。
 ただ、今までに無いくらい瑞希が楽しそうにはしゃいでいたので、何も考えないことにした。急かす瑞希は、俺の手を引っ張った。

 海は徒歩十分くらいで到着した。季節は二月で、海風はとてつもなく冷たい。俺は口を震わせていたが、瑞希は鼻歌を口ずさんでいた。曲は、クッキング番組でおなじみの行進曲だ。
「なんでその曲?」
「お兄ちゃんてさ、ブロッコリーに似てるよね」
「え、ああ、まあ・・・」
「昔ね、料理番組でブロッコリーを取り上げてた時があってね。その時、ブロッコリーは塩水につけると潜んだ虫とか汚れを取るって、言ってたの。お兄ちゃんの悪いものも、海に漬ければ、取り除けるのかなあ」
「うーんと・・・まあ、塩は、清めてくれるしね・・・」

 崖の上に到着したので、鞄からブロッコリーを取り出した。瑞希はブロッコリーを見るなり、満面の笑みを浮かべた。そして、ブロッコリーに手を添えたのだ。
「・・・一緒に、葬ってくれる・・・?」
 それまで、気が狂っていたような様子だった瑞希の手は、震えていた。寒さからだろうかと、彼女の顔を見た。口元は笑っていたが、瞳には涙が浮かんでいた。
今更、ブロッコリーです、なんて言える雰囲気でも無く俺は何て浅はかなことをしてしまったのだろうと、後悔をしながらも彼女が少しでも救われるなら良いでは無いかと、自分を奮い立たせた。
「・・・俺、瑞希が葬りたいもの、何でも葬るよ」
「葬りたいもの・・・」
崖の下から、海が荒れる音が聞こえてくる。風で髪がなびく。
 瑞希はクッキング番組でおなじみの行進曲を口ずさみ始めた。
「テレレレテッテテ、テレレレテッテテ♪」
俺は無言で、無表情でその行進曲を聴いていた。
俯いていた瑞希が、俺の瞳を捉えた。
俺には、それが合図だと、教えられていないが分かった。
その瞬間、二人は手を離して、ブロッコリーは宙へ落ちていった。
少し時が経った後に、ブロッコリーが海水の中に沈む音が聞こえた。

「バイバイ、お兄ちゃん」

その日の夜、俺は寝付けなかった。明日から瑞希はきっと俺と会話をしてくれないだろう。あのとき、どうしていれば。どうして嘘をついてしまったのか。何度考えても最適解は見つからず、沈んだ太陽が昇ってきてしまった。

 俺は目をしょぼつかせながら、学校へと向かった。周りの生徒たちは、楽しそうに会話をしながら登校している。俺と瑞希にも、そんな未来があったんだろうか。そう思うと、やり切れない気持ちに襲われて、何もかもめちゃくちゃにしたい気分に駆られた。
 学校について、下駄箱で靴を履き替えていると背後から瑞希がやって来て、声をかけてきた。
「輝樹おはよう」
「わっ・・・」
「何、驚きすぎだよ」
クスクスと瑞希が笑った。顔のガーゼは昨日と変わらず付いたままだ。
「あの、瑞希・・・」
「ん?何?」
「その、優一・・・」
「やだなあ、お兄ちゃんはもういないでしょ?」
「え・・・でも、昨日、家に・・・」
「家に?死んだんだから、帰って来るわけないじゃん」
「え・・・」
「輝樹、靴、履き替えないの?」
「え、あ・・・履き替えるよ、履き替えますとも」
俺は何が何だか分からず、とりあえず上履きに履き替えた。
 優一は、昨日どこかに行って帰らなかったのか?飲み会だろうか?そんな偶然があるのか?
 俺は瑞希と別れ、自分のクラスの教室に入った。ホームルームの前で、クラスメートたちは友人と会話を楽しんでいた。俺はどうにもそんな気分になれず、机に突っ伏して混乱する頭でグルグルと今自分はどうような状態にあるのか、必死に考えた。そして、丁度一時間目の授業が優一の担当する科学の授業であることに気が付いた。この授業で、優一が来れば、何もおかしなことは起きていないというわけだ。
 もしも、何かがあったとき、俺が怪しい動きをしているのを見られるのはまずい。だからここは一時間目まで待つのが得策だ。

 一時間目の授業が始まるチャイムが鳴った。俺の心臓は、期末テストを受けるときよりもドキドキと脈打っていた。優一が来ることを今までに無いくらい祈った。
 しかし、優一は来なかった。三十分ほど経過した頃、他の教師がやって来て、優一が学校に来て居らず、一時間目は自習になると伝えただけだった。
 嫌な汗が体中の穴から飛び出した。優一は、本当に死んだのか?昨日、自分がブロッコリーだと思っていたものは、本当に優一の首だったのか?何が現実で、何が虚構なのか、頭がオーバーヒートを起こし、判別できなくなっていた。
 ブロッコリー・・・ブロッコリーといえば、隼人だ。隼人に巨大なブロッコリーを貰ったことを確認すれば良いのだ。俺はひらめいたと同時に、大きな事件から抜け出せる光を見つけ、勝手に動いた表情筋によって笑っていた。端から見たら、いきなり汗まみれの男が笑い出すのだから、相当なホラーシーンである。
 一時間目が終了し、俺は急いで隼人のクラスへと走った。隼人のクラスも授業は終わったばかりで、全員が行儀良く席に着席していた。俺は、そんな教室内の様子を気にせず、隼人の元へと駆け寄る。隼人はいきなり現われた俺に面食らっていた。
「おわっ!え、何、何!?」
「隼人!昨日俺に、でっかいブロッコリーくれたよな!」
「え、ああ・・・あげたけど・・・?」
俺は安堵して、そしてすごくホッとして隼人を強く抱きしめた。
「何々、何だよ!」
「隼人、ありがとう!隼人がいて良かった!」
「何なの、急に・・・」
隼人も少し満更では無さそうな声を出したとき、丸井が近付いてきた。
「春野くんが、ここのクラスに来るなんて珍しいね」
「そう?隼人がいるから割と来てるけど・・・」
「バカ」
「はあ?事実行ってるだけなのに、何でバカって言われなきゃいけないんだよ」
「もう、痴話喧嘩見せつけないでよ」
丸井が俺と隼人の間に割って入った。
「あ、丸井、そういえばお守りありがとう」
「ああ、うん、全然。私らの仲じゃん?気にしないでよ」
「輝樹、丸井にお礼言いに来たの?」
「え、違うよ。隼人に会いに来たんだよ」
「は?何で?」
「だからブロッコリー貰ったか、貰ってないか」
「何の確認なんだよ・・・記憶失ったの?」
「記憶は全然あるんだけど・・・改ざんされたというか、何というか」
「え、全然分かんない」
丸井がチョイチョイと、ブレザーの袖を引っ張った。
「え?丸井何?」
「いや、そろそろ授業始まるよ、って思って」
丸井に言われ、壁に掛かっている時計を見ると次の授業が始まる二分前を指していた。
「やべっ!丸井ありがと!隼人もありがとな!」
「おい、俺はついでかよ」

 自分の教室に着き、着席した瞬間チャイムが鳴った。俺は様々な意味のこもった息を吐き出した。すると、隣の席の生徒が俺に話しかけて来た。
「春野、さっき蔵田さんが来てたよ」
「蔵田って・・・あ、瑞希?」
「そう、蔵田瑞希。次の休み時間、来て欲しいって」
「え、何だろう」
「さあ・・・要件は聞かなかったから・・・」
「あ、いや、全然大丈夫。ありがと、教えてくれて」
会話に丁度区切りが付いたとき、現代文の教師が入ってきた。

 次の休み時間、俺は言われた通りに瑞希のクラスへと向かった。教室の出入り口からコッソリと顔を出すと、瑞希が祖コレ待ち構えていた。俺は思わぬ至近距離の瑞希に、ときめきでは無く、驚きで胸を高鳴らせてしまった。
「な、何、そんな緊急の用事だったの」
「うん、緊急。今すぐ私をここから連れ出して」
「え?」
「いいから!」
教室の奥から、前川恵美が瑞希に向かって来ているのを捉えた。
「早く!」
俺が連れ出したというよりも、瑞希に強引に引っ張られて教室を後にした。授業と授業の間の十分休みなので、ただ途方も無く廊下を練り歩くことになった。
「前川さんから逃げてるの?」
「そう。お兄ちゃんのことでうるさいの」
「あ・・・何で、来てないの、とか?」
「うん。本当のことは、言えないでしょ?」
「え・・・言えないの?」
その言葉を聞くと、足をピタッと瑞希が止めた。
「言って良いの?言って困るのは、輝樹でしょ?」
「え、俺、やましいことしてないし・・・」
「は?」
瑞希が今まで俺の腕を掴んでいたが、パッと離した。
「罪悪感くらい、あるよね?いくら悪いことしてたからって、殺したんだよ?」
「ちょ・・・」
「何、何なの?それとも自分はやってないってことにしようとしてるの?私だけに押しつけるの?家庭内暴力を受けた末に殺害してしまいましたってシナリオ?」
「そんなんじゃない!」
「・・・じゃあ、何だって言うの・・・」
「あの、昨日のはさ・・・」
「昨日のは?」
瑞希が潤んだ瞳で、見つめてくる。俺は、真実を話そうとしたがその瞳を見て、真実は引っ込んでいってしまった。
「いや・・・昨日のは、俺たちの、秘密なって・・・」
「・・・うん、当たり前じゃん」
「うん・・・ごめん、ちょっと、俺も不安になっちゃって」
「・・・いいよ、私も感情的になっちゃってごめんね」
「・・・じゃあ、そろそろ戻ろうか」
俺と瑞希は、僅かな距離感を保ってゆっくりと教室に戻った。距離感は十センチあるかないかほどであったが、心の距離感をとてつもなく感じた。

 放課後、俺は瑞希と久し振りに部活終わりではない日に二人で下校した。いつぶりだろうか。
「こうやって、二人でまだ明るいうちに帰るの、久し振りだね」
瑞希も思っていたらしく、俺が心で思っていたことを話しかけて来た。
「・・・だね。部活終わった日は、日が落ちてたもんね」
「輝樹、大学受験、ちゃんとやってるの?」
「え、いきなりそんな痛い話題来るの?」
「来るよ、だってもうあと二ヶ月後くらいには高校三年生になるんだよ」
「もうやめてよ~」
瑞希がアハハ、と声を出して笑った。瑞希の笑顔を見る度、ああやっぱり俺は瑞希の笑顔が好きだなあと、思わされる。
 他愛も無い会話をして、マンションに付いた。マンションの階が異なるので、エレベーターの中で毎回お別れをする。
エレベーターに乗り込み、ドアが閉まると瑞希が肩にかけていたスクールバッグから、小さな正方形のチョコレートを取り出した。
「はい、輝樹にあげる」
「え?ありがと・・・なんで?」
「何でって・・・帰ったらカレンダー見なよ」
チンッとエレベーターが到着したリズムを刻んだ。ドアがなめらかに開き、瑞希が降りた。
「じゃあね、輝樹」
エレベーターのドアが閉まる瞬間、別れを告げる瑞希の表情が笑顔なのにどこか寂しさを感じた。俺は待って、とドアの方へ駆け寄ったが、ドアは閉まり、エレベーターは急上昇するのみだ。
 家に帰り、カレンダーを見ると、明日は二月十四日、バレンタインデー。俺は握ったままの小さなチョコレートを見つめた。どういう意図で瑞希がこのチョコレートを俺にくれたのか、そんなことを考えるばかりで素直にチョコレートを貰えたと喜べなかった。

翌日、昨日の疲れからか、寝坊をしてしまった。急いで準備して学校に向かったが、到着したときにはホームルームが始まるチャイムがなってしまった。ああ、遅刻だと嘆きガランとした昇降口で、靴を履き替えようと下駄箱を開けると、そこにはリボンが結ばれた箱が入っていた。
 今日はバレンタインデー、ということを思いだし、ドキリと胸を鳴らす。辺りをキョロキョロと見渡すが、遅刻しているので誰も居ない。
 瑞希だろうか?それとも他に自分に想いを寄せてくれている人がいたのだろうか?どちらにせよ、嬉しい。
 俺は周りにもう一度誰も居ないことを確認し、リボンをほどいて箱を開けた。

そこには、血液が付いた小さな鉈が入っていた。

俺は一瞬固まり、その後、喉がヒュッと勝手に鳴るのを身をもって体験した。ただの鉈だけでも怖いのに、血液が付いているなんて明らかに何かあったことを物語っている。
こんなものを、一体誰が?俺に、罪をなすりつけようとしているのか?でも、なぜこんなにタイミングが一致するのだろうか?様々な思考が脳内を駆け巡っていると、廊下の奥の方から、警官が歩いてきているのが見えた。俺は「違う」と勝手に口走り、手に持っていた箱を床に落とした。その音で、昇降口に誰か居ることに気が付いた警官が、小走りでこちらに向かって来た。俺は自分自身で追い詰められ、学校から全力ダッシュで逃げ出していた。
あまりにも必死で逃げる俺に違和感を覚えた警官が、後ろから「待ちなさい!」と声をかけてきていたが、俺は全く止まる気は無かった。

必死に走って逃げた先は、何の運命なのか、ブロッコリーを捨てたあの崖だった。俺は隠れなくてはと思い、崖を慎重に下って洞穴のようになっている崖下に身を潜めることにした。
洞穴の中は別次元のようで、ひどく静かであった。俺はつい逃げ出してきてしまったが、この後どうしようと身を震わせていると、呻き声のようなものが背後から聞こえてきた。最初は海の鳴き声であろうかと思ったが、それはどうやら海が喋っている訳では無く、人間がギリギリで絞り出している声のようであった。
俺はゴクリとツバを飲み込んだ。人のような声だが、化け物であったらどうしよう、いや人であってもかなり怖い。振り返るのに勇気がかなり必要とされた。しかし、何事からも逃げていては、何も解決しないと思い直し、俺は勇気を振り絞って声のする方へ視線を向けた。しかし、今日は曇天で、奥の方はかなり暗く声がするのみで何も見えない。俺は、背負ったままのリュックサックからスマホを出して、スマホのライトで声のする方向を照らした。
するとそこには、岩が詰まっているだけで、何者の姿も見えなかった。ではこの声の正体は何なのか?疑問と好奇心で奥に足を進めていくと、足元からガラスを踏む音が響いた。俺は足下をスマホのライトで照らす。
 するとそこには、優一のかけていた眼鏡がぐしゃぐしゃになってそこにあった。

ゾクリと背中が毛羽立っていくのを感じた。
ではこの呻き声は、優一のモノなのか?

「ゆ、優一・・・?」
「うぁー・・・」
「優一なのか!?」
「あー・・・」
俺は岩をどかそうと手をかけたが、ビクともしない。俺が非力なわけでは無い。
俺はスマホで救急車を呼んだ。手が震えて、中々三つの数字が押せなかったが、ようやくかけることに成功した。
「ゆ、優一、今、救急車呼んだからな」
「あ・・・」
「優一、一人でここに来たのか?」
そこから、優一は無言になってしまった。洞穴はまたも涼しい静寂に包まれた。俺は優一の心配で忘れていたが、ここに来たのは警察に捕まりたくないからだ。急いで救急車を呼んでしまったが、なぜここにこんな時間に来たのかともし詰められたら、非常にまずい。寒いのに俺は汗を垂らした。
「・・・ごめん、優一、俺。行かなきゃ」
優一は気絶した、そう自分に言い聞かせて洞穴から出て、外にある岩陰に身を潜めた。ここならば、救出される優一の姿が見えるからだ。瑞希には悪いが、俺は優一に助かって欲しいと心の底から祈った。もし一生のお願いを使うなら、ここであろう。

 しばらくすると、救急車のサイレンが聞こえて、だんだんと近付いてくると救急隊員が来て洞穴に恐る恐る入っていくのが見えた。よく見ると、救急隊員だけでは無く、消防隊員もいた。
 どうやら相当な岩に優一は挟まれていたようで、救出にかなり時間を要していた。しかし、優一がストレッチャーに乗せられて運ばれていくのをこの目で確認することが出来た。優一は血だらけで、ボロボロであった。今まで瑞希にしてきたことのしっぺ返しだろうかと、空を仰いだ。
 この後どうしようと思い、スマホを見るとスマホには隼人からのメッセージが大量に入っていた。俺はメッセージの多さが煩わしく感じ、電話をかけた。
「あ、もしもし、隼人?」
「もしもし、じゃねえよ。どうなってんだよ」
「どうなってるって?」
「あ・・・なんか、血だらけの鉈が発見されたとかで、今学校大騒ぎだよ」
「ああ・・・」
「お前、学校にいないだろ」
「え?」
「とぼけんなよ、分かるんだよ」
「何で・・・」
「え、何でって・・・」
「鉈・・・」
「・・・そう、血だらけの鉈が見つかって、逃げた生徒がいたって・・・」
「なあ、隼人」
「あ?なんだよ」

「隼人、お前が俺に鉈をプレゼントしたのか?」

 鉈。ブロッコリーを収穫する際、隼人は鉈のようなものを使っていた。今だって、なぜこんなに俺に連絡をかけてきているのだろうか?それは、鉈を入れた人物だからでは無いか?

「そうだよ、だからどうなってるんだって聞いてんだよ」

「ちょ・・・何・・・」
「何はこっちのセリフだよ。せっかくお前の嘘に合わせてやったのに、何逃げてんだよ」
「え・・・お前、何言って・・・」
「これでお前が捕まれば、瑞希さんが喜ぶだろ?お前も嘘付きと言われないわけだ。な?今どこにいるんだ?俺が捕まえさせやるから・・・」
「何言ってんの・・・?俺、え、だって・・・まずなんで嘘ついたの知ってんだよ?」
「そんなの決まってるだろ。ずっと聞いてたからだよ」
「・・・は?」
「丸井の作ったマスコットに、俺が一手間加えたの」
「一手間って・・・」
「盗聴器を仕込んでおいたんだよ。お前の役に立てるようにな」
「お前・・・何言ってるんだよ・・・」
「バカだなあ、お前、理解出来ないの?」
「なんでこんなことしたんだよ!」
「・・・言わなきゃダメ?」
「は?」
「はーあ、一生言わないでいるつもりだったのになあ」
「何・・・」
「俺さ、輝樹のこと好きなんだ。でも、俺、男だし。輝樹には瑞希さんっていう好きな人もいるし。ちゃんとわきまえてたんだよ?でも、俺、好きな人には尽くしたいタイプなのね。だからさ、輝樹の役に立ちたくて。付き合えなくて良いから、お前が一番だって言って欲しかったから」
「な・・・」
「輝樹、そういうの本当に鈍いよな。丸井だって、お前に好意寄せてるのに、全然気付いてないみたいだし。あ、丸井には内緒ね、これ」
「な、なあ、何かの冗談だよな・・・」
「は?」
「だ、だって、お前が人を殺すなんて、あり得ないよ」
「殺してないよ、あくまで俺は輝樹のアシストでやってるんだから。輝樹が、殺したって言うから実際に起こっただけ。だから、殺したのは輝樹なんだよ?そこ、ちゃんとしてよ」
「違う!俺は、俺はただ瑞希を救いたかっただけで・・・」
「救ったよ、輝樹は言うだけで、言ったことが実際に起きるんだから」
「こんなの、何にもならない!」
「そうかな?瑞希さん、喜んでたんでしょ?良いんだよ輝樹、輝樹は綺麗なままで」
「どんな人間にも、綺麗も汚いも無いんだよ!」
「・・・ハハ、輝樹。うん、輝樹のそういうとこと、俺、好きだよ」
「・・・俺も、いつも側に居てくれる隼人が好きだよ」
「バカ、好きの意味合いが違うって分かってるクセに、バカ」
「バカって言うな、お前の方がバカだ」
「・・・恋は盲目だから」
「・・・優一、救急車で運ばれてった。きっと助かる」
「なんで・・・」
「瑞希だって、本当は死んで欲しくないはずだ。こんな逃げ方、間違ってたんだ。俺が、間違えたんだ・・・」
「恋は盲目だから、仕方が無いよ」
「お前が言うな・・・」
「アハハ・・・輝樹」
「なんだよ」
「俺に、どうして欲しい?俺、尽くすよ、輝樹に」
「・・・自分のしたことを全て警察に話してほしい。それでまた・・・友達でいよう」
「バカ、甘いな本当に輝樹は。だからつけ込まれるんだよ」
「つけ込まれる?」
「瑞希さんだよ。じゃあな、ちゃんと話してくるから」
「絶対にまた会いに行くからな」
「・・・うん、会いに来て」

ブツリと通話終了の音が聞こえた。空は灰色で、目の前に広がる海はとてつもなく磯臭い。しかし、その磯臭さが今は心地よく感じた。波の音も、オルゴールを聴いているかのような心地よさだった。俺は、途方に暮れて、そのまま寝てしまった。

 目を覚ますと、辺りは日が沈みかけているのか、青暗かった。スマホで時間を確認すると、午後四時であった。俺は帰ろうと、立ち上がると小さな光がウロウロと動いているのが見えた。目を細めながら、その光の方へ近付いていくとそこには丸井がいた。
「え・・・あれ、丸井?」
「ちょ、やだ、春野くん!」
丸井がギュッと抱きついてきた。
「え、な、何」
「探したんだよ、いないから」
「いないって・・・別に、学校で会わないで終わる日もあるだろ?」
「それはそうだけど・・・」
「何か俺に用事あったの?」
「・・・うん」
 波の音が無言の時間を埋めてくれる。
「あのね・・・春野くん、気付いてるかもしれないけど」
「うん」
「私、春野くんのことが好きなの。今日・・・バレンタインデーでしょ?だから、渡したくって・・・」
丸井がカバンからゴソゴソとリボンでラッピングされた箱を出して、俺に両手で手渡してきた。
「あ・・・とりあえず受け取ってくれるだけで良いの。私のいらないところで捨ててくれるなら・・・」
「そんなことしないよ」
俺は両手で箱を受け取って、先ほどの鉈のプレゼントを思い出し少し手を震わせた。スルリと丁寧に巻かれたリボンをほどいた。波打つ心臓を丸井に気付かれまいとしながら、ゆっくりと蓋を開けると、そこには可愛らしいボール型のチョコレートが九個ほど入っていた。ホッとした顔を、丸井はチョコレートに喜んでいると思ったのか、丸井が照れながらも笑顔を浮かべていた。
「・・・一つ、食べてもいい?」
「う、うん。もちろん!」
一粒取り出し、口へと運んだ。チョコレートは甘く、口内の熱でじんわりと溶けていった。
「お、おいしい・・・?」
「うん、すごく美味しいよ」
「良かった・・・凄い不安だったから・・・」
「そうなの?手芸部とかだし、細かい作業得意だから、料理も上手な印象あったよ」
「え?本当に?」
「うん。丸井はきっと良い奥さんになるね」
「え・・・」
「だから、俺にはもったいないよ」
「もったいないって・・・」
「俺、好きな人いるんだ。家庭能力も無くて、結構我が儘な人。でも、忍耐力が凄くて、笑った顔が大好きなんだ」
「・・・悪いとこ見えてるのに好きだなんて、恋は盲目だね」
「だね」
「・・・でも、笑った顔が好きって言うのは、私にも分かるよ」
「そうなの?」
「うん、私も、去年隣の席になって、私のした話で笑ってくれた春野くんのこと、好きになったから」
「・・・ごめん」
「謝らないで。恋なんて、告白だなんて自分勝手なものなんだから。今のも、チョコレートも、私がやりたくて、伝えたくてやっただけのこと。だから、謝られる筋合いはこっちにも無いの。むしろ謝るのは、自分勝手にやったこっちの方だから」
「え、でも俺今丸井に謝られたくないよ」
「告白してないのに、振られたみたいになるから?」
意地悪な笑みを浮かべて来る丸井。
「そんなんじゃないよ」
「・・・知ってる。そういうこと、思ったり言ったりしないひとだから、私春野くんのこと好きになったんだもん」
「・・・ありがとう」
「いいえ、こちらこそ。聞いてくれてありがとう。ちゃんと振ってくれてありがとう」
「・・・ちゃんと振れてた?」
「あー・・・いや、うん、まあ」
「言っておいてすごい微妙そうじゃん」
二人で顔を合わせて、声を上げて笑った。一年前、丸井と仲良くなった日に戻ったようで嬉しく感じたが、きっとこの感じも今日までだろう。きっと、話したとしても、少し薄い壁を隔てられてしまうだろう。

 家に帰り、リュックサックに付いていた、丸井の作ってくれたマスコットを取って眺めた。良く触ってみると、中にコリコリとした固いものが入っている。心を痛めながらも、縫い目をハサミで慎重に切っていくと、よくテレビドラマや映画で見る小さな黒い盗聴器が出てきた。隼人のことは、理解出来ない部分もあるが、嫌いなりきれていない自分がいた。なので、この盗聴器を壊すのに少しためらいが生じた。手や足で思いっきり踏みたくないと思い、俺は台所に行ってコップに塩と水を入れて、塩水を生成した。そしてそこに盗聴器を沈めた。その際、俺は無意識にクッキング番組の行進曲を口ずさんでいた。まるであの日の瑞希のように。

 学校は一週間ほどお休みになった。その間に、隼人の噂はメッセージアプリで駆け巡っていた。あることないこと、自分が発言できる場所では、嘘の噂は嘘であると訂正していた。きっと学校に行ったら、俺も好奇の目で見られるだろうというのを覚悟の上で行なった。隼人のことを知らないやつが有りもしない物事であざ笑うのは許せなかったのだ。
 せっかくの学校のお休みにも関わらず、スマホを見つめるだけという不毛な時間を過ごしていると、瑞希からメッセージが入ってきた。今から、公園で会わないかという誘いだった。俺はもちろん「行く」と返事した。

 外はとてつもなく寒く、行くと言ってしまったことに少し後悔した。よく見ると、紙吹雪のような乾いた雪が、チラチラと空から舞い降りていた。
 瑞希の指定してきた公園は、マンションを降りたところに直ぐある公園である。なので、エレベーターで降りれば、直ぐに到着というわけだ。
 公園に着くと、既に瑞希がベンチに座って待っていた。マフラーも手袋もしていないので、とても寒そうだ。一方の俺は、マフラーも手袋もしっかりとして防寒対策を完璧にこなしていた。遅れてきて、なんだかこれはばつが悪い。
「随分寒そうな格好してるね」
瑞希の背後からヌッと話しかけ、隣に座る。瑞希の顔を見ると、鼻が真っ赤に色づいていた。
「もう、寒いんじゃん」
俺は自分のしていたマフラーを外して、瑞希に巻いた。
「・・・温かいね」
「そりゃそうよ、マフラーってそういうもんだから」
二人で目の前を舞っている雪をしばらく眺めていた。ここの公園は、休日や平日の昼頃は子どもで賑わっているが、今日はやはり寒いので子どもも暖かい場所で遊んでいるようだった。公園は閑古鳥が鳴いていた。
「・・・私、おかしくなってた」
「過去形なの?」
「は?今もだって言いたいの?」
「いいえ、そんなことは」
口の端を上げて、瑞希が微笑んだ。
「輝樹は、お兄ちゃんのこと殺してなかったんだね」
「・・・うん、嘘ついてごめん」
「・・・良いの、その嘘に私、あのとき救われたから」
「でも、俺があんな嘘付いたから、優一が・・・」
「それも別に良いの。私、本当に優一がいなくなって良いって、あの日思ったから」
「それって・・・」
「うん、初めて性的なことをされた」
「せ・・・」
「その体で誘惑して、とか・・・遊んでるのか・・・とか、汚い女、とか・・・そういう言葉を浴びせられながら、服を脱ぐように命じられた」
「な・・・」
「もう、耐えられなかった。体も、心も痛かった」
「そ・・・っか、それは・・・」
「嘘は確かに良くないけど、でも輝樹の嘘で、私は壊れないで済んだんだよ」
「うん・・・」
「今村くんが、お兄ちゃんを殺そうとしてくれたんだね」
「うん」
「・・・崖まで、私が倒れてるってお兄ちゃんを誘い出したんだって。そのあと、鉈でアキレス腱を切ったみたい」
「殺すつもりは、無かったのかな」
「分からない・・・その後、洞穴に押し込んだら、タイミング良く上から岩が落ちてきてお兄ちゃんが下敷きになったって。警察の人が言ってた」
「俺が、嘘付いたから、隼人の人生狂わせちゃったんだよな・・・」
「それは傲慢じゃない?」
「え?」
「今村くんは、自分の意思でそうしたんだよ。確かに、輝樹が言わなければやらなかったかもしれないけど、でも、全部今村くんの罪まで背負おうなんて、傲慢だよ」
「そ、そうなのかな・・・」
「そうだよ」
「・・・なんか、最近説教されてばっかりだな」
「・・・誰に?」
「この前は、丸井にされた」
「丸井?」
「瑞希は一回も同じクラスになったこと無いかも」
「うーん、多分無い」
「丸井に、謝るなって言われた」
「何で?なんかやったの?」
「俺はやってないよ」
「俺は、ってことは、その丸井さんがなんかやったの?」
俺は何となく言いにくくて、なぜ丸井の話題を出してしまったのかと後悔した。
「・・・優一が救出された日、何日か思い出してよ」
「思い出したくないんだけど・・・」
「あ、ごめん・・・」
「いや、別に良いよ、今のはちょっとジョーク」
「笑えないって」
「嘘付け、ちょっと笑ってるよ」
「それは、瑞希が笑ってるから・・・」
「え・・・」
見つめ合い、沈黙が流れる。雪が、瑞希の髪に絡まっては溶けて消えていく。
「瑞希、俺、瑞希のこと好きなんだ・・・」
「・・・知ってる」
「え」
「分かるよ、私だって」
「え、え、ちょ・・・」
「輝樹、分かりやすいもん」
「待って、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
「良いじゃん、ようやく私は輝樹の言葉で聞けたーって感じ」
「え、聞けたって・・・」
瑞希がギロリと俺を睨んだ。
「ちょっとは考えなよ。輝樹、鈍すぎ」
「え、そんなことないよ」
「あるって。今のぐらい、分かってくれなきゃ・・・何、輝樹、顔寒いの?顔が真っ赤だよ」
「えっう、嘘」
「ほんとでーす」
「それは、マフラー貸したからで・・・」
「マフラーって首に巻くものですけど?」
「もー・・・」
瑞希が子どものように笑った。俺たちが出会ったときの、小学校の時の瑞希と同じ笑顔だ。あの笑顔に俺は落ちてしまったのだと、瑞希の笑顔を見て思った。
「瑞希、俺と付き合って下さい」
「・・・良いよ」
「何、瑞希も顔寒いの?顔が真っ赤だよ」
「そーなの。マフラーは首しか温めてくれないからね」
「人から借りておいて」
「あーあ、輝樹のマフラー使えなーい」
「返して貰おうか・・・?」
「この彼氏ひどい」
「か・・・」
「・・・何、別に間違えて無いでしょ」
「うん・・・」
細かな雪が、俺と瑞希を祝福している紙吹雪のようだ。

「私さ、学校の綾澄明けても、学校行かないかも」
「・・・それは、優一のことがあるから?」
「それもあるんだけどさ・・・私、逃げてたの」
「逃げてた?」
「うん。お兄ちゃんのこともそうだけど、友達との関係のことも」
「友達って・・・前川さんのこと?」
「うん・・・恵美が私のこと、利用してるだけって言うのは分かってた」
「利用って・・・」
「お兄ちゃんと仲良くなりたいから、それのためだけ。だからお昼ご飯も別々で食べるし、私がいないと思ってる場所では、私の悪口も言うし。それでも恵美が声かけてくれるだけで良いって思ってた」
「・・・」
「でも、それは違ったなって、今、思ってるよ」
「どういう?」
「嫌なら嫌って、言えば良かったんだよ。一人でいられるなら、恵美さえも突き放せば良かったんだよ。でも、私はしなかった」
「それは・・・」

「一人でいるのが、嫌だから・・・勝手に耐えて、可哀想な自分を演出してたから」
「そんな、演出なんかじゃないよ」
「演出家が言ってるんだから、演出してたんだよ」
「誰だって、一人は心細いよ」
「・・・でも、輝樹、今、今村くんのことで一人になってるでしょ」
「イタタタタ・・・」
「直ぐ図星突かれるじゃん」
「そっちがやたら突いてくるんでしょ」
「そんなつもりないよ」
「・・・俺も、逃げるのは止めにするって、決めたよ」
「そうなの?」
「そうだよ。だから瑞希にも告白したんじゃん」
「え、私に告白することから逃げてたの?」
「そりゃそうよ、勇気がいるでしょ、告白は」
「フウン・・・」
「ふーんて」
「じゃあ、私も逃げない方が良い?」
「いや・・・良いんじゃ無い、逃げても」
「言ってること違うじゃん」
「俺は、俺が逃げないことを決めたの。俺は学校に行っても、一人で良いと思えたから今みたいな行動してるの。でも、瑞希は瑞希でしょ?」
「私は私・・・」
「逃げるというより、瑞希の好きなようにこれからは生きられるんだよ。瑞希は演出って言ったけど・・・瑞希は、演者だよ。他の人たちにそうするように命じられてたんだよ」
「演者・・・」
「これからは本当に演出家として生きよう。俺も支えるからさ」
「何、早速プロポーズ?」
「え、いや、いずれかはするけど・・・」
「してくれるんだ・・・」
「瑞希、本当は我が儘なんだから、思うままにしなよ」
「ねえちょっと、我が儘は聞き捨てならない」

二人で軽く笑った。

「・・・優一のこと、聞いてもいい?」
「・・・良いよ」
「優一、今どんな状況なの?」
「・・・お兄ちゃん、両手両足、岩の下敷きになって、切断したんだよね」
「え」
「驚くよね、私も驚いちゃった。でも意識は戻ってきてて、命に別状が無いとは正にこのことだなあって思った」
「そ・・・っか」
「これで暴力も振られなくなったし、今村くんの罪も軽くなるだろうし、結果オーライだね」
「うーん・・・」
「お兄ちゃんさ、見つかったとき、潮だまりみたいなところに少し浸かってたらしい。それのおかげなのか、ちょっと顔に毒気消えた気がする」
「ブロッコリーを、塩水に浸したから?」
「そう」
フフッと瑞希が軽く笑った。
「でさ、手足が無くなったお兄ちゃん、髪の毛も手入れしてないからボッサボサで、本当にブロッコリーみたいになってた」
「それ、ジョーク?」
「いや、あくまで個人の感想」
 雪はいつまでも降り続けていた。塩のように。


おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?