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すごいふつうのはなし。

ま、今日note始めたのでなんの知識もなくテーマに乗るんですが、
今って「働く価値観」がすごく中途半端で後進的な環境だと思う。

田舎で小さいながら社長(と言ってもほぼ一人なんですが)をやってる僕が
属してる感じもなく、かといって「ぶち抜く!」って気もない立場

+、60代と20代の間にいる40代の立場で少し書いてみようと思う。

60代現役の大先輩に教え込まれた僕らは、ぶんぶんぶん、ぶんぶんぶんと
朝から夜まで次の日の朝まで休むことなく働いた上にバブル後のまったく
満たされない気持ちで朝日を見てきた。と僕は思って会社を辞めた。

ITなんてのが本格的に出て、即、触り始めたのも40代なんじゃないかと思う。だから対象年齢が低いものでなければ20代と変わらない扱いができると自分では思う。「コミュ障」なんてのも意外と身近(いや、真ん中)。

だからどちらもわかるし、どちらからも得るものがある。
ぶんぶんぶん、ぶんぶんぶんは何処まででもマイナスであるぶん、
人としてのメンタルの振れ幅、にゃんにゃんにゃん、にゃんにゃんにゃんというプラスさえにゃんと持ってれば、
ぶんだけでにゃんするよりにゃんのありがたさはずっと深い。

かたや、ワークライフバランスを重視したり、ITスキルそのものの「至って最短距離」である考え方は感情以上に合理的だと熟慮すると納得する。

弱い弱いと言う世代が、見方によってはうらやましいほど強くて
偉い偉いと言う世代が、見方によっては恥ずかしいほど弱いと、

中間の世代は良く見えつつも、どっちつかずで無難に過ごしている。

だから

「働き方」てのが変わり始めるときっと一番苦労するのが僕ら世代なんだろうと思う。
妻背負って、子供背負って、親背負って、「決まった長さの梯子を登る」と教えられ、やっとつかんだ梯子も「なんとか取った」的な一本。
それですら辛くて、妻にも登ってもらって親にも登ってもらって、3本か4本で子供をなんとか引っ張ってる。

が、一番上が曇って見えない。

でもどうだ。半分くらい登ったあとだし、合理的に飛び降りてケガのない距離でない。もう登るしかない。それ以外は知らん。そんな気持ちになる。

上から引き上げる手は伸びてこないし、横をドローンに乗って揚がるある意味「頑張ってはいないが楽しそう」な若者を見せられる。どうしようもない。どんだけキレても髪は金色になってくれない。

またひとつ、時代が進んだら見えてくる「上」を今は夢見るしかない。
そう思う。
または小さなドローンを手に入れて「揚がりつつ登る」。

そんな気持ちを抱えつつ、どっちつかずで無難に過ごす。

変わる形を想像するに、理想は僕らのような「個人事業者」なんだと思うときがある。会社は作るための人材を雇うのではなく、作るときだけ借りる。となるのだろうな。と漠然と思う。だから個人が「持ってるもの」の鋭利さが必要になるだろうし、純粋に「責任」の所在が明確になっていくと思う。
「預け合い」をするような相手は居場所があっという間に限られるようになると思うが、むしろ「人としての質」「品格」はずっと上がると思う。

そういう意味では私たちは
先達よりずっと幼いし、
気高さ(潔さ)は彼らには叶わない。

((個人事業者・中小企業・職人。今一番辛いが将来的には一番「消えてはいけない仕事」を担っていると思う。どこかで売り手買い手が逆転することを常に願っている。))

ただ、さらに若い世代。40代が愛する屈託のない世代がどこでどう働くはまだ見えない。
しいてそれこそ漠然と感じるのが

「ここ」で最後まで生きるかどうかも考えるべきだよね。

この子たちが梯子の前に立ったとき、
僕らは未だに曇った梯子を登る時代と思うしかないから。
あの子たちの前にたくさんの"Ladder"がある未来を見せれるようにして行きたい。読み方が「ピンイン」でもいいんだけどね。
#はたらくを自由に

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