クチナシと水泳
(見出し画像:Pixabayから)
6月に入ると、そろそろクチナシが来る、という意識が頭の隅に現れる。外を歩くたびに鼻が落ち着かず、目が動いて白い花を探しはじめる。
クチナシの香りが苦手だ。嗅覚が敏感なのも原因だろうが、甘い香りは鼻腔から進入すれば鳩尾の辺りでとぐろを巻くようだし、香りのボリュームが大きいので遠くにいても鼻をかすめる。外を歩いている時、行く手に花が見えたら呼吸を少し控えめにしてしまう。ただ、萎れていく花の周囲にあの香りがただよっていると、花の茶色い傷から甘い爛れや膿が生じているように想像できて、憂いのある美しさを感じもする。
苦手な理由はもう一つあって、水泳の授業を思い出すからである。こういうのをプルースト効果と呼ぶのだろうか。小学校のプールの裏手にクチナシが植わっていて、ちょうど水泳と同じ時期に咲いていたのだ。
一時間足らずがひたすらに憂鬱だった。ベルトコンベアに乗せられたように、合図の笛に従って二十五メートルのあいだ格闘し、プールサイドを伝って再びスタート地点に戻る。待っているうちに再び合図が鳴る。
泳ぐのが壊滅的に遅かったので、後続のクラスメートの邪魔になって追い抜かされるし、ペアで泳ぎはじめると相手がころころ変わっていった。二十五メートル泳げるようになったのは中学に入ってからだと思う。いま思い返すと面白いほど酷い。授業の終わり近くの自由時間、プールの片隅で泳ぐ練習をしていたのも面白い。プールの短辺をせっせと往復していたのだが、そのせいで長い距離を泳ぐことに慣れなかったのではないかとも考える。遠ざかれば悲劇も喜劇。そして今もおそらく壊滅的に泳げない。
今年もクチナシが咲いている。香りはそこここに振りまかれ、笛の響くどこかのプールサイドにもただよう。
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