教務主任 -1 自己紹介

私は、小学校で先生をしています。
今年、教務主任なりました。
教務主任という言葉に聞き慣れない方が多いと思います。
小学校の時を思い出してください。
担任をしていない、年配の先生で、校長先生でも教頭先生でもない先生がいなかったでしょうか。
自治体によって、教務主任は、担任を兼務していたり、私のように担任をしなかったり、違いがあります。
東京都は、専科が多くあることもあり、教務主任は担任もしています。
私の自治体は、教務主任は担任をしません。
教務主任とは、学校教育法施行規則第44条に次のように書かれています。

「教務主任は、校長の監督を受け、教育計画の立案その他の教務に関する事項について連絡調整及び指導、助言に当たる。」

難しい言い方ですので簡単すると次の2つです。
①教育計画の立案。
②連絡調整及び指導、助言。
教務主任は、教育計画を作るのが主な仕事です。

私が尊敬する大田区で小学校教諭をされ、教育技術の法則化運動を主催された向山洋一先生はプロの教師を次のように書かれています。
「プロの教師というのは二つのことができなければならない。すばらしい授業をすることと、教育課程を編成できることである。」教え方のプロ・向山洋一全集41プロ教師による教育課程編成=学校づくり2002年明治図書 9ページより。

私は、氷河期世代なので、正規採用された時には33歳でした。
(2000年の採用試験がピークで、13.3倍でした。)
それまで講師をして、担任の先生を見ながら、自分なりにこういう授業がしたい、こんな学級にしたいという思いが高まりました。採用された時には、かなり自分の思いが強い教師であったと思います。
そのため、時には周りとぶつかったり、校長先生に苦言をていされたりもしました。
それでも、自分はよいことをしている、担任した子ども達は育っているじゃないか、子どもの事実で判断してほしいという思いがあり、かなり生意気で、跳ねっ返りがありました。
文句があるなら、ぜひ私のクラスの担任をお願いしますねという気持ちでした。
当然学校経営の視点から言えば、異端となりましたので、教務主任にはなれないだろうと思っていました。
そのほうが、担任ができますし、子ども達と関わっていられるので、自分の道だと信じていました。
そんな私が、偶然から49歳で教務主任となったのです。
担任ができないことへの寂しさ、教務主任として教育課程を編成し、本当の意味でプロの教師になれるという思いの、矛盾する気持ちを持ちました。
担任の先生は忙しいです。教務主任として、忙しい先生を授業の準備や子ども達と関わる時間を増やすように仕事をしたいと思っていました。
しかし、そんな感慨が消え失せるほど、4月は怒涛の日々でした。
自分の事務処理能力は、それほど遅くはないと思っています。
しかし、4月は目の前の仕事を捌くだけで精一杯の日々でした。
1週目は、入学式、2週目は職員会議、3週目は教育課程編成届の提出と、週のこれだけはやるということをこなしていました。
自分の仕事が滞ると、先生方の仕事が滞ってしまいます。
気がつけば、担任の先生を助けるどころか、担任の先生に助けられる日々でした。


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