アートプロジェクト 課題レポート

2024/1/11(大学の講義「現代アート論」 課題レポート)

アートプロジェクトの新しい形について豊岡市の演劇のまちづくりを元に考えてみる。
地方のアートプロジェクトは、町おこしのために自治体主導または共同で行われる。豊岡も例外ではない。
地方には現代アートはない。豊岡にも現代演劇がなかった。
現代的なパフォーミングアーツはKIAC、平田オリザらによって輸入された。やや前から永楽館歌舞伎があったが、それも2008年に始まったものだ。
現代において演劇に市民権はないが、豊岡においては違う。居酒屋で話題を振れば、誰しもが演劇についての話ができる。大学・アートセンター・平田オリザ・演劇教育、何かに関心があり、自己紹介のまま豊岡市で行われている演劇に関する取り組みの話ができる。
中でも「演劇」を応援する一部の住民らは豊岡で行われる演劇を選り好みせずにみてくれる。彼らは学生公演もみる。彼らは個人や団体を応援しているのではない。平田オリザとその一行のことや、大学生のことを「演劇」と呼び、応援している。
豊岡市では演劇のリープフロッグが起こせるのではないか。
現代においてアートは上演化されているので、豊岡市が演劇の最先端になるならば、現代アートのまちにもなりうる可能性がある。
そもそも豊岡市は、平田オリザを輸入したのである。正確には豊岡市民プラザが平田を豊岡に呼び、平田と中貝前市長が意気投合したのだ。そして平田がKIACと大学を呼び、レジデンスアーティストや演劇系学生を輸入した。豊岡演劇祭も輸入したアーティストの上演である。
ただし、青年団以外の輸入アーティストたちは借用であり購入でない。演劇のマーケット化されつつある豊岡市が次に目指すべきはアーティストの購入または生産により、アート自給率の向上ではないか。
ではアートプロジェクトが乱立する現代において豊岡演劇祭が目指すべきは、豊岡演劇祭の商業的成功ではないのではないか。外からの観光客を増やすことは前提だが、目指すべきは参加する住民の増加を図ることだ。つまり演劇人、演劇関係者の増加である。商業的成功は結果論であるべきだ。
江原河畔劇場ではたじま児童劇団、豊岡市民プラザでは市民劇団や市民舞踏団をしている。団員らは長く住民として豊岡市で暮らしてきたが、豊岡の演劇の顧客でもある。
東京の演劇界隈に根強く存在する、作り手が観客である構造を豊岡市でも再現したい。豊岡演劇祭が目指すべきは、地元住民らが参加者として、または観劇マニアとして躍進する場の提供である。
現代アートはプロセスを重視するようになっているが、プロセスが重要ならばもっとも楽しいのは作り手である。現代アートは、純粋な顧客ではなく、作り手を増やすことにこそ循環の未来がある。

竹内ミズキ

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