福祉国家は国民を怠惰にする


 戦後始まったイギリスの福祉国家制度は、1951~64年の保守党政権に受け継がれ、1964~70年に再び政権を取った労働党のハロルド・ウィルソン首相の時代にかけて最も充実していった。ウィルソンはイギリス史上初の非エリート階級出身の首相だった。彼は低所得者層の生活水準を引き上げることに一層、力を入れ、それまでGNPの37%に相当していた福祉政策予算を65%にまで拡大した。
 ウィルソン政権は最貧困層100万人の所得税を免除し、26週間を上限に支給される失業手当を給付し、疾病手当を所得の45%から75%へ引き上げた。年金支給額を引き上げ、受給者の収入を50%増やした。
 さらに国民が生活に困ったり、住宅ローンや家賃、その他の支払いに行き詰まった場合の対策として、既に何らかの手当を受けていても補助金が受けられるようにした。病人、子ども、老人、貧困者らの医薬処方箋料は無料になった。
 これらの政策の結果、中流階級の手取り収入に殆ど変化はみられなかったが、富裕層の可処分所得は30%減額し、貧困層では100%の増額になった。社会手当が賃金の上昇率を上回るようになった。
 ウィルソン政権はまた、国民に生活扶助金が受給できるかどうかを確認する家計調査を受けることを積極的に奨励し、それに従って手当の申請を行うようキャンペーンを展開した。当時の新聞を見ると、手当を貰うためのバウチャー付き広告がやたらと目につく。
 国がこのように金をばらまき始めたイギリス社会は、果たしてどうなっていっただろうか。
 戦後イギリスの所得税制は、80年代に入るまでずっと最高税率が90%前後で推移する累進課税だった。1976~77年の場合、所得5,000ポンド以下の35%から2万ポンド以上の最高税率83%まで、所得が500ポンド増える毎に税率が5%ずつ増加した。税引後の年収がどうなるか見てみると、5,000ポンドの年収がある者は3,250ポンド、7,000ポンドなら3,500ポンド、1万ポンドなら4,000ポンド、1万5,000ポンドなら4,500ポンド、2万ポンドなら3,400ポンドになり、その手取りにはほぼ差がなくなり、稼げば稼ぐ程、損をする形になる。労働者と失業者の格差も縮まり、より平等な社会は、勤労意欲と、より多くの収入を得るモチベーションを奪った。
 不労所得税率に至っては98%だった。これでは誰も産業に投資したがらない。
 森嶋氏は『イギリスと日本』で、イギリスでは大学卒業生の3分の1が、大学院や別の大学への進学など教育界に進んでいることを指摘した上で、教育が成功すると、優秀な人材はお金儲けに興味を持たなくなり、楽しい学問の世界でずっと遊んでいたいと思うようになり、そのため彼らは産業界を選ばず、教育・研究の道に進むのだと書いていた。彼は大学教授の給与は公務員の60~70%しかないのに、それでも大学教授になりたがる者が多いのもそのためだと指摘したが、これはそもそも両者の所得格差が殆どなく、ステータスとして職業が選ばれていたからに他ならない。70年代、イギリスの最も優秀な何千人もの人材は、イギリスの高い所得税を嫌って海外に流出していた。
 イギリスでは、福祉政策を極めたが故に英国病が始まったといっていい。英国病とは戦後イギリス経済の没落を指す。その原因や特徴として、生産性の低下や労使関係の悪化などが挙げられる。
 イギリス経済は、既に19世紀の後半から衰退の一途を辿っていた。これに二つの大戦が追い打ちをかけた。戦後は前項で述べた通り、イギリスのエリートが産業に関心がなく、他の国と比較して、その改善に積極的に取り組む意欲にかけていた。そこへさらに産業の国有化と福祉制度が停滞に拍車をかける結果となった。
 戦後のイギリス経済は国際競争力を失っていった。フランスの経済成長が2倍、ドイツが2.5倍、日本が4倍となっていたのに対し、イギリスは40%に留まった。国民の平均所得はヨーロッパ最下位となり、70年代に入る頃にはイギリスは「ヨーロッパの病人」と揶揄されるようになっていた。
 国有化企業は競争相手のいないモノポリーだ。勤労意欲がなくても、国から守られていることが分かっているから、効率が優先されなくなる。たとえ誰かのミスで損失を出しても、国が必ず助けてくれる。頑張っても頑張らなくても同じ。努力が報われるわけではない。こうして製品の質やサービスは自然と劣化していく。たとえ満足していなくても、他に選択肢がないため、国民はそれを受け入れざるをえない。
 国営企業の予算は国家予算の一部として割り当てられるため、政府の方針や各省庁との折衝の影響を受ける。長期的展望とともに経営を実行することも現実には困難だった。
 福祉制度が充実すればするほど、国民の間に、自分たちの生活は自分で心配しなくてもよい、国が面倒をみてくれる、という意識を植え付けた。国民はこのような制度の下では、生活の改善は働くことではなく、国に要求することによってしか得られない、と考えるようになる。この依存体質はやがて文化となって、社会に深く浸透していくのである。

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