ケン・ローチ批判:イギリスは分断されていた


 ケン・ローチは私が最も尊敬するイギリスの映画監督の一人である。社会の弱者の立場から作品を作り続けるという姿勢を貫いている。2006年にはアイルランド独立戦争と内戦によって引き裂かれたアイルランド人兄弟の悲劇を描いた『麦の穂を揺らす風』で、2016年には『わたしは、ダニエル・ブレイク』で2度、カンヌ映画祭パルムドール(大賞)を受賞している。彼のどの作品を見ても、社会の底辺にいる人間が、誠実に必死に生きている姿を描いている。たいへん貴重なフィルムメーカーであり、この人が映画界からいなくなったら困るとさえ思う。
 ローチはサッチャーが逝った2013年、『スピリット・オブ・45』というドキュメンタリー映画を発表している。この作品は1945年の総選挙をイギリス現代史のターニング・ポイントとして捉え、そこで労働党が大勝し、福祉国家の建設、主要産業の国有化、失業のない社会を目指そうとした当時の高揚感を再現したものである。
 この作品を通して、ローチは国有化制度の重要性と集団的労働システムの価値を再度、認識すべきだと唱えている。70年前の戦後社会主義の原点に遡り、こうしたメッセージを訴えるところがいかにも左翼のローチらしい。ノスタルジックな美しい映像とセンスの良い音楽で編集され、作品としての完成度は高い。
 当然のごとながら、ローチは強硬な反サッチャー派である。この『スピリット…』でも、こんなに素晴らしい戦後社会主義の枠組みを彼女がぶち壊してしまったと結んでいる。
 サッチャーの逝去に伴い、ローチはこんなコメントを発表している。
「彼女は国を分断した最も破壊的な首相である。大量の失業者、工場の閉鎖、コミュニティの破壊…これが彼女の遺産だ。彼女は戦士であり、彼女の敵はイギリスの労働者階級だった。彼女の勝利は労働党や組合の堕落したリーダーたちによって支えられた。彼女が始めた政策が今日現在の混乱を生み出した。彼女と同じ道を歩んだことで知られているもう一人の首相が、トニー・ブレアだ。彼女がオルガン奏者で彼は猿だ。彼女がマンデラをテロリストと呼び、拷問者且つ殺人者のピノチェとお茶を飲んだことを思い出すがいい」
 ローチの映画が語っているように、戦後、イギリス国民は社会の貧困やスラムを無くしたいと思っていた。そこで社会主義を選んだわけだが、彼らは自分たちが得られるものに注目するばかりで、そのシステムを維持するために、自分たちが社会に貢献しなければならないという事実をはっきり認識し、そのための決意をしていたかどうかは疑わしい。
 ローチの映画では、労働者の怠慢やストの頻発が製造業の生産性向上を妨げたこと、賃金の安い開発途上国との価格競争に負けたことが炭坑閉鎖の背景にあること、そして「不満の冬」については一切触れられていない。
 もしもローチの言うとおり、イギリスが1979年以降、サッチャーによって分断されたのなら、なぜ彼女はそれ以前の74年の党首選、79年の総選挙で、「分断されたこの国を統一したい」と訴えたのだろうか。なぜ彼女は首相就任直後、首相官邸前の第一声で、「不一致のあるところに調和を、誤りのあるところに真実を、疑いのあるところに信頼を、絶望のあるところに希望を」というフランシスコの平和の祈りを引用しなければならなかったのか。イギリスは既に分断されていたのではなかったか。
 現連立政権副首相のニック・クレッグも、サッチャー云々はさておき、嘗て世界もイギリスも「俺たちとあいつら」「西側と東側」そして「右か左か」によって真っ二つに分かれ、いがみ合っていたと述べている。
 イギリスの歴史学者ドミニク・サンドブルックも、著書で70年代のイギリスに生きた二人の男の生活を対比しながら、当時の社会的亀裂を描写している。
 30代半ばのジョン・オーエンは、家族経営の自動車部品工場の代表取締役である。16世紀に建てられた花壇と芝生に囲まれたカントリーハウスに暮らすオーエンは、学校ではラグビーの花形プレイヤーだった。彼の愛車はジャガーで、子どもたちは私立学校に通っている。
 一方、50代のダグ・ピーチはオーエンの自動車部品工場で働き、労働組合の代表だ。彼の息子たちも同じ工場で働き、妻はマーケットの屋台で布地を売っている。組合はピーチの誇りであり、仕事の後、近所のパブに行き、仲間とビールを飲むのが日課となっている。
 ピーチはイギリスには「俺たち(労働者)」と「あいつら(経営者)」という2つの対立する世界があると説く。それが決して1つになることはない。ピーチは死ぬまで「俺たち」のために戦うと決めている。
 サッチャーによる労働組合の改革によって、この2つの世界の対立は激減している。1979年には2,950万日もあったストによる損失日数が、1986年には190万日になった。これはサッチャーが組合を潰したからではなく、個々の組合員に選ぶ権利と自由を与えた結果、こうなったのである。
 ローチが支援していた炭坑組合委員長で、1984年の炭坑ストを煽動したアーサー・スカーギルは、ローチの指摘通り、堕落したリーダーの一人になってしまった。彼は2012年に組合から借りていたロンドンのフラットから立ち退くよう言い渡された。これに対し、スカーギルは自分の引退後も、組合員が光熱費等合わせて年間3万4,000ポンドの家賃を負担すべきだと主張したが、組合側はそのような前例も資金もないと突っぱねている。

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