「愛嬌のある人」と「扱いやすい馬鹿」

 「愛想が悪いね」とよく言われる。
 そんな事言ったって、私が愛想を振りまいたところで別に喜ばないくせに。フンだ、クソが。
  
 とにかく私は、愛想を振り撒いて、得をした事がない。損ばかりしたと言っても過言ではない。愛想を振り撒いて愛されるのは「愛嬌」のある者だけで、私が愛想を振り撒いたところで「扱いやすい馬鹿」にしかならない。

 扱いやすい馬鹿は、とても雑に扱われる。人を好きに使っておいて、平気で悪態をついてくる人間は沢山居た。私は性格が悪いので、悪態をつかれれば悪態で返す事もある。すると相手からすれば「大人しくヘラヘラと言うことを聞いていた相手がいきなり歯向かってきた」という事になり、いよいよ私はその人にとって必要ないものとなる。

 これが、普通の人だったとしよう。するとその状況は「悪態をついてしまって、相手を怒らせてしまった。悪い事をしたなあ」という当たり前なやりとりになり、悪態をついた方が反省して終わるのだ。

 ところが、扱いやすい馬鹿は、反抗したらそこで終わりだ。普通の人になら許される反抗や意見も、扱いやすい馬鹿が言うと、許されない。扱いにくい馬鹿なんて、誰が必要とするだろう。

 なので私は、愛嬌と愛想を諦め、ただただ下から目線で人を見、仕事先や美容院等では自分の事をなるべく明かさず、波風を立てないように生きる事を、24歳くらいの時に覚えた。

 特に印象的だった出来事は、クリーニング店でのアルバイトだった。そこには私の他に、主婦2名と、私とほぼ同い年の、愛嬌のある小柄な女の子が働いていた。

 愛嬌のある女の子(愛ちゃんとする)は、主婦の内の1人に溺愛されながら働いていた。私はよく愛ちゃんと比較され、けなされ、嫌味を言われていた。

 愛ちゃんは私とシフトが重なっている日だけ、100%の確率で遅刻をする。そして電話で私に「タイムカードは押しておいて」と言うので、私はその犯罪に加担した。断るのが怖かったのだ。

 彼女は、愛嬌で全ての悪行が許されていた。しかし私はそんな彼女を尊敬していたし(※他人の悪行を尊敬してはいけません)、大変だな、とも思っていた。愛嬌を振り撒くのも、頭を使わなければいけないだろうし、愛される分だけの努力を必要とするだろうなぁと思っていたからだ。

 私が愛嬌のある者になれないと思う理由は二つあるが、その内の一つがそれである。あんな努力と気配り、私にはとうてい出来っこない。真似したところで、先述した通りの「扱いやすい馬鹿」になるだけなのだ。

 もう一つの理由に気付かせてくれたのは、そこで働くもう1人の主婦と、会社の上司たちである。もう1人の主婦は、物静かな人で、犬と子供が好きで、アジャコングに似ていた。そして、私の事を好いてくれていた。

 アジャは、愛ちゃんが苦手だった。決して嫌いではなく、苦手だという事だ。愛ちゃんの勤務態度に、少し気になるところがあるらしい。少しどころかタイムカードの改竄に加担していた私は「なるほどな、わかる人には、わかるんだな」と思いながら、アジャの愛を受け続けた。

 他にも、自分で言うのも何だが、私の「何も言わずに黙々と機械的に働く」という勤務態度は、一部の上司には受けが良かった。本社に来て欲しいと言われた時は、私と言う人間性が認められた気がして、家に帰って泣いてしまった。しかし私と言う人間はバイトで何とかなるなら就職なんてしたくねぇという怠惰な人間であった為、本社行きは丁重にお断りした。

 愛ちゃんは、たくさんの人に愛されていた。私も、たくさんの人に愛してもらった。それを目の前で見て、私は、私のような奴を好きになってくれる人が好きだなと思った。それがもう一つの理由である。

 そして結局は「扱いやすい馬鹿にだけは戻りたくない」と言う事である。扱いやすく馬鹿な私は、友達だと思っていた人に変な水を売られそうになったり、彼氏だと思っていた男に変な水を売られそうになったり、しまいには、ただ髪を切りに行っただけの美容院で、美容師にまで変な水を売られそうになった。(ありがとうと水に向かって毎日声掛けするだけで鬱も肌荒れも治ると言うよくわからない水)

 扱いやすい馬鹿は、扱いやすく馬鹿なので、ホットペッパービューティーで「変な水を売られそうになりました!星ひとつです!」などと書き込む事もない。どこまでも馬鹿である。

 そのようにして自分なりの処世術を学んだ私は「扱いやすいけどよくわからないから必要以上に関わるのはよそう」というポジションに落ち着いた。多分だけど、周りからはそんな風に思われている気がしている。それでも時々手を差し伸べてくれる優しい人達には、精一杯の愛で返すし、不気味なほどに懐いてしまう事もある。

 まだまだ自分で自分の事を理解できていないけれど、時々こうしてまとめていけば、今後もっと生きやすくなるのかもしれない。

 現在の目標は「保険やリフォームの勧誘を、長々と聞き続けない自分になる」だ。
 金を払うつもりのない者に説明をし続ける方からしても、その方がきっとありがたい。

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