前意味論的欲動
唐突ですが、ワタシと三島由紀夫は誕生日が同じ1月14日です。
三島は、1925年、ワタシは1964年で、39歳違います。
三島は、1970年11月25日に亡くなっていますので、生きていれば、99歳になります。
ワタシが初めて、三島由紀夫の作品(『潮騒』)を読んだのは、中学2年くらいだと記憶しています。
既に、山口百恵さん主演で映画化されており、映画を観てから読んだのですが、とても綺麗な文章と言うのが第一印象でした。
ただ、その後がイケなかった笑
『仮面の告白』を読んでしまいました。
主人公「私」の人と違う性的傾向としての同性愛などが、「私」の告白として続いていく長編でして、これを思春期に読んでしまったことで、性的嗜好に変化はありませんでしたが、ある意味で何か知らない世界と、ワタシの心の奥にある隠れている感情を覗いてしまった様な記憶が残っています。
三島由紀夫を読んでから、ワタシは自ら文章を書くことを始めました。
まぁ、才能がない事は解かっていたので、三島の様な長編の小説ではなく、最終的には短歌にたどり着くのですが、才能のない者が、短歌の様にさらに文言を制限してしまっては、ありきたりの表現しかできないということに気がつきました。
それ以来、趣味とも言えない駄文を気が向けば描き続ける日々が、続いています笑
いままでも三島に関する書籍な、映画など、気が付けば目を通すようにしてきましたが、昨日からkindleで読み始めたのが、『三島由紀夫 悲劇への欲動』(佐藤秀明著-岩波新書)です。
この中で、「前意味論的欲動」とは、著者である佐藤秀明氏が三島由紀夫の生涯や作品を貫く根源的な情念や欲望を指す言葉として用いられています。
本書について<「悲劇的なもの」への憧憬と渇仰。それは三島由紀夫にとって存在の深部から湧出する抑えがたい欲動であった。自己を衝き動かす「前意味論的欲動」は、彼の文学を研ぎ澄ませ昇華させると同時に、彼自身を血と死へ接近させてゆく。衝撃的な自決から半世紀。身を挺して生涯を完結させた作家の精神と作品の深奥に分け入る評伝。>と紹介されています。
多くの人が言うのが、この時代に三島が生きていたなら、何というのか?
新NISA制度なんて、やめちまえ!って言うかなぁ。。
本日は、ここまで。お付き合いいただき、有難うございました。
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