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鴎外忌

7月9日は、『鴎外忌』となります。

鷗外忌とは、明治の文豪のひとり森鷗外が亡くなった日(忌日)となります。
鴎外が亡くなったのは、1922年(大正11年)です。
 
森鷗外、本名は森林太郎(もり りんたろう)。
1862年2月17日に島根県津和野町で生まれています。
代々津和野藩の典医を務める家系だったそうです。
鷗外も東大医学部を卒業し、陸軍軍医として4年間ドイツに留学しています。

代表作の一つ「舞姫」は、ドイツを舞台にしています。
 
鴎外が残した作品には、『ヰタ・セクスアリス』、『雁(がん)』、『阿部一族』、『山椒大夫』、『高瀬舟』などがあります。

教科書にも多くの作品が掲載されています。
 
明治の文豪といえば、もう一人、夏目漱石が浮かびます。
野口英世の前の千円札の肖像画でしたね。
 
この二人で有名な共通点が、東京都文京区千駄木に住んでいたことです。

特に、1887年頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家で1890年に森鷗外が1年余りを過ごしたことがあるそうです。
1903年からは、夏目漱石が住み始めます。
漱石は、ここに住んでいるときに「吾輩は猫である」を発表しています。

この和風の家屋は、愛知県の明治村に保存されているそうです。
 
鴎外は、60歳でこの世を去っています。

大正時代の平均寿命は、43歳と言われていますので、長寿ではないと思いますが、まずまずの長生きだったのかも知れません。

ちなみに夏目漱石は、鷗外より5歳年下ですが、1916年に49歳で亡くなっています。
 
千円札の肖像画も、夏目漱石から野口英世になり、今年から北里柴三郎になりました。
まだ、ワタシの手元には北里柴三郎も津田梅子も、ましてや渋沢栄一も届きませんが、気長に待ちたいと思います。
  
本日は、ここまで。お付き合いいただき、有難うございました。
 

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