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高尾山と結界-2

タイトル写真 出典:フリー素材

さて、結界って何でしょうか。
それは、明らかに周囲と異なるエリアを指します。ところが、ここで厄介なのは、「明らかに周囲と異なる」ことを実感できない人が大多数だということなんです。霊的という言葉で安易に説明するのは控えますが、この場所のこのエネルギーの質が、周囲と一線を画していることが、明らかな差ではありますが、それを感じ取れない人たちにとっては、何も変化のない連続した空間の連なりにしか見えないのでしょう。
しかし、そのエネルギー場の質の違いを感じ取れる人達にとっては、「なんだ、この違いは!」と思えるほどの差となって感じられるのです。

それをしっかりと感じ取れる場所が、宿坊の門なのです。
この門を通り抜けた瞬間、空間が異質なものと感じ取れた人は、結界の意味が自ずと理解できます。
私の経験でも、この門を何度も出入りしてみて、そのたびにその空気感の違いを明確に感じ取りました。
ただし、私が特別なわけではなくて、ある一定の訓練(修行)を積んでいさえすれば、ほとんどの方が感じ取れる性質のものでもあります。

この訓練に費やす時間数は、人によって異なります。明らかにこの種のものに強い関心を持っていても、なかなか訓練の成果が出ない人もいれば、最初から持っているものが外部からの作用を受けて、一挙に感性が開く場合も多々あります。自分は小学校の低学年から催眠術に興味を持っていて、自己催眠下において感じ取れる世界の異質さを経験として持っていましたので、瞑想やセルフコントロールの世界に少し触れただけで、感性が開花したようです。
こう言うと大袈裟に聞こえますが、要は多種類の呼吸法を体得したことによるのです。インドで広く知られている呼吸法であるプラーナヤーマの極めて一部でも、真剣に取り組むことでこの境地に達することが可能となります。

残念ながら、興味本位でこの道の門を叩いた人たちは、取り組み初期は非常に熱心なのですが、継続が苦手な方がとても多いのです。やはり、ある程度の期間、一日当たりの取り組む時間は少なくても、長期間にわたって意識を向けることができた人たちは、かなりの確率で結界を感じ取れるようになっていきます。

凡庸な記述で申し訳有りませんが、まさに「継続は力なり」を体現していると言えます。

かくして、ある団体に参加したときに高尾山の結界を感じた方は、50人ぐらいいた中で、約半数ぐらいでした。意識高い系と豪語していた参加者であっても、中途半端な知識だけで参加した方は、底の浅さをすぐに露呈してしまいます。ある意味、それは品格のテストでもあるのです。

この項、もう一回続きを書く予定です。

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