ここ数年で「コミュニケーション」を考えることが多くなった
ここ数年は本当にいろんなことが起きています。パンデミックによる新しい生活様式とされるものだったり、戦争(侵略)が起こったことによる情報戦や認知戦が見えるようになってきたり、ChatGPTなどの生成AIによって仕事のあり方が変わってきそうだったり。。
なんか本当に多くのテーマが同時並行しているような感じがあります。でもその全てに共通して言えることがあるような気がします。
それはコミュニケーションというテーマです。
僕はこのnoteを始めた理由はコミュニケーションというものを今一度きちんと考えてみたくなって一応それをメインのテーマにしてこれまで綴ってきました(そのつもりです)。その途中で始まったパンデミック。
オンラインを使ったコミュニケーションが急に市民権を得てきて、なんかみんなが普通にそれらを使い始めた。その結果、生まれてきた課題というものもあるのですが、その課題を表に出そうとした時に、コロナが落ち着いてふわっと解消した感じになってるような気配があります。
オンラインでのコミュニケーションはオフラインのそれとは異なるはずなんですが、オフラインと同じように考えてきた結果、中途半端なやりとりがオンラインでデフォルトになり、どこか違和感を持ちながらも改善ではなく諦めになってるような、そんな気も起こったりします。
コミュニケーションというものに軸をおけば、まだまだオンラインで改善できる箇所はありますし、オンラインができたからこそのオフラインの良さみたいなものを見直すきっかけにしていきたいものです。
戦争(侵略)が行ったことで情報のあり方というか受け取り方というか、コミュニケーションがコントロールされることを体感できるように、良くも悪くもなりました。手元に来る情報はコントロールされたコミュニケーションであるということがこのテクノロジーの世界では普通であるということです。自らの知見や価値観を広げるためには、手元の情報だけではダメだということを感じざるを得ません(あばれる君か)。
そしてChatGPTに代表されAI(人工知能)ですね。これは僕が過去の記事などでも言っているように、このテクノロジーの各論をどうこう言うのではなく、今僕らはコミュニケーションのあり方を問われていると思うのです。
先日ホリエモンがエントリーシートをAIで生成する学生に苦言を呈したものがありますが、まさにこれです。
AIでいいコミュニケーションであれば、あなたである必要はないのです。(同じことをあなたに変えて言っただけだったりする笑)
自分と相手があってのコミュニケーションの前線にAIを出してしまっては自分はいらないわけです。
この数年でコミュニケーションというものを本当によく考えることが増えました。おそらくコミュニケーションというのは「ド」がつくほど基本のこと、基礎なんだろうなと思います。
そして今僕らはこの基本というか基礎の部分を今一度きちんと見つめることができる事象に出会っています。おそらくこういった事象がないと考えないでしょう。考えなくても生きていけるからです。
おぼろげながらに、コミュニケーションにあらゆる事項を結びつけて半ば強引にいろんな記事を書いてみたりしています。なぜなら、いろいろ考えを巡らせれば巡らせるほど、世の中の問題の多くはコミュニケーションが原因なんじゃないかと思えるからです。
尾崎豊の歌じゃありませんが「僕が僕であるために」コミュニケーションをテーマに自分というものを考えてみると見えてくるものがいくつかあるような気がしています。
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