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【映画】ミッドナイトスワン(2020)*2023再掲載

 かつて草彅剛にインタビューした時に感じたことがある。インタビュアーをリラックスさせるために穏やかな雰囲気でほほ笑んだり、軽いジョークを飛ばしたりするのだが、こちらの質問に答え始めると、瞳の奥行きがぐっと深くなって、いわゆるゾーンに入っていくような瞬間があるのだ。本人も気付いていないかもしれないが、こちらの質問が求めている答えにフォーカスしながらも、さまざまなことに考えを巡らせ、それを言い表す最も適切な答えを自身の心の深いところまで潜って探してくれているのだ。取材に対する誠実さと共に、自分自身に嘘は付けない人なのだなとも感じた。本当の答えに少しでも近づこうとしているのだ。その草彅が演技派俳優として成長を続けてきたことは今さら言うまでもないだろう。数々の作品に新しい価値を与えてきたこともよく知られている。しかしこの映画『ミッドナイトスワン』ほど、その草彅の演技力が新たな段階へと進化を遂げていることがよく分かる作品はない。ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞したほか、優秀男優賞を受賞している日本アカデミー賞でも最後まで最有力候補であり続け、3月19日に開かれた授賞式では最優秀作品賞、最優秀主演男優賞の受賞が発表された。オーバーアクションやどこかで借りてきたような演技になりやすい男性によるトランスジェンダーの演技に革命をもたらすほどの自然なたたずまいと、空気のようにまとった「この私で生きていく理由」がそこにはある。もしかしたらこの映画が要求していたリアルな姿をはるかに超えたところに草彅が演じた凪沙はいたのかもしれない。(画像は映画『ミッドナイトスワン』とは関係がありません。単なるイメージです)
 映画『ミッドナイトスワン』は2020年9月25日に封切られ、現在も一部の映画館で上映が続いています。(これは2020年当時の表現ですが、2023年10月現在もロングランが続けられています)

★上映館は以下のリンクをご参照ください

★『ミッドナイトスワン』映画評は一時的に無料公開に切り換えています。この映画評は当初特別に無料公開していましたが、その後2021年3月19日に授賞式が開催された第44回日本アカデミー賞で最優秀作品賞と最優秀主演男優賞に輝いたことから、大きな注目が集まったために3月19日午後9時までとしていた無料公開期間を約1日延長し、3月20日に有料(100円)公開に切り換えました。しかし、2023年にロングランが3年間も続いていて主演の草彅剛が舞台あいさつしたことがニュースで報じられると、当ブログの映画評にもアクセスが殺到することとなりました。この機会をとらえよりたくさんの方に読んでいただくため、一定期間無料で公開いたします。この映画評を有料でご購入いただいた方々には大変申し訳ございませんが、趣旨などをご理解いただき、了承してくださればありがたく存じます。

 一時的な無料化、有料化についてはさまざまなご意見があると思いますが、2018年4月8日以降は当ブログと「阪 清和 note」では映画評や劇評、ドラマ評は原則として有料(100~500円)で公開。これまでに料金をお支払いいただいた方々との平等性を保つため有料公開は堅持しながらも、「より多くの方々に読んでいただいた方が良い」との判断がある時は期間を限定して無料公開に移行することもございます。何とぞご理解をいただければ幸いです。

★映画「ミッドナイトスワン」公演情報

 映画『ミッドナイトスワン』は、『全裸監督』などで知られる内田英治監督が脚本から書き起こしたオリジナルの物語。
 故郷から遠く離れた東京でトランスジェンダーとして生きる道を選んだ凪沙(なぎさ、草彅剛)が、酒浸りの母親からネグレクト、虐待を繰り返されて親の愛情を知らずに育った親戚の娘、一果(いちか、服部樹咲)をひょんなことから短期間預かることになり、不器用な者同士が一緒に暮らすうち、互いの孤独な魂が共鳴し合い、強いきずなで結びついていくというストーリーだ。
 決して楽な道ではないトランスジェンダーという道を選んだ凪沙の厳しい現実を生き抜いていく力強さと心の傷、一果の夢に向けた懸命な思いをクラシックバレエという要素を基軸に描き出した出色の出来上がりが、多くの人に感動を与えている。

 3月14日までの累計で観客動員数52万308人、興行収入は7億1676万5670円に達しており、インディペンデント系映画としては異例の大ヒットとなっている。
 撮影の伊藤麻樹は、日本映画撮影監督協会が劇場用映画において優れた撮影技術を示した新人撮影監督を表彰する第64回「三浦賞」を受賞。作品は第75回毎日映画コンクール「TSUTAYAプレミアム映画ファン賞2020 日本映画部門」を受賞し、音楽の渋谷慶一郎は「音楽賞」を受賞している。
 前述したようにブルーリボン賞では草彅が主演男優賞を受賞。
 日本アカデミー賞では作品が優秀作品賞を受賞したほか、草彅が優秀主演男優賞を、服部も新人俳優賞を受けている。スタッフも優秀撮影賞、優秀照明賞、優秀美術賞、優秀録音賞も受賞した。
 そして最終的には最優秀作品賞、最優秀主演男優賞も受賞する快挙を達成している。

 しかし、『ミッドナイトスワン』の質の高さを証明するのは、こうした受賞数の多さだけではないだろう。それは、この映画を観た一人一人の心に残った余韻の豊かさだ。
 ネグレクト、LGBTQ+への偏見と差別、それぞれの社会問題の描写は容赦ない。どこまでも残酷で厳しくて、悲しさに満ちているが、それでも果てしない美しさを持つ映画なのだ。
 夢が人生を動かし、夢が人間を強くする。もう今では恥ずかしくて言えないことが、この映画の中では堂々と言える。
 トランスジェンダーの元男性に「母性」が芽生えるというのは映画的予定調和ではないかという意見も散見するが、それは女性だから母性が生じるというジェンダー的に間違った考え方があるからこそ生まれるもので、すべての人間の中に母性(というとまた女性特有のもののように受け取られるので、子ども、あるいはそれに準じるものに対する愛情)は存在し、誰でも持ち得るのだ。それがこの映画のようなシチュエーションの中で凪沙の中に醸成されていっただけなのだ。

 草彅はどんな役柄もはまり役なのではないかと思わせる稀有な役者の一人だ。よく世間ではそれをもって「憑依型」の役者だと言うが、それは違う。憑依型というのは、役者に役が憑り付いて意のままに操るような状態のことをいう。
 かつて同じように言われた女優の大竹しのぶにインタビューした時に分かったのは、「役者はもっと冷静である」ということだ。
 大竹は「俳優としての自分と役を演じている自分、それ以外にそれを見ているもうひとりの自分もいるんだけどなあ」と述懐していたが、草彅の場合も、自在に変化していく役柄としての自分を客観的に見つめている自分がいる。
 あるインタビューで草彅は「役作りはしなかった」と話していたが、その真意はともかくとして、それはすべてを創り上げて現場に行くことがこの映画ではあまり意味をも持たないと感じたからだろう。
 オーディションで選ばれた一果役の服部樹咲との関係性こそが、この映画のすべてだったと言っても過言ではない。
 若くても手練れの役者や子役出身でこましゃくれた俳優ならそんなことも必要ないかもしれないが、服部は演技がほとんど未経験の女の子。草彅が創り込み過ぎたかたちで臨んだら、どんなリフレクション(予想できない反応)があるか分からない。時には反発したり委縮したり、関係が爆(は)ぜたりもするだろう。
 だからこそ、こんな「すべてを現場で創っていく」というクリエイティブが必要だったに違いない。内田監督は私のインタビューで「草彅さんは凪沙の部屋など撮影現場で感じたことからの芝居作りはやっていました」と証言し、演出に関しても「草彅さんには外から余計な情報を入れるのではなく、彼が役に同化していくのを手伝う感じだった」と話していたが、草彅が現場で創った凪沙が一果あるいは、それを演じる服部と築く関係性こそが、撮影中も映画自身を進化させていったカギなのだ。
 スケジュールや製作コスト上の制約から、物語ではずいぶんと進んだシーンから撮り始めるというケースも決して少なくはない昨今の映画の中で、『ミッドナイトスワン』は台本に描かれた順番通りに撮影していく「順撮り」を採用したという。
 このことが、物語の中での一果の成長を描き出すことにつながるとともに、凪沙との関係性が徐々に変化していくことを映像に焼き付けることを可能にした。
 バレエ教室に興味を示しながらも、考えが混乱すると自傷行為に走る一果に自分と同じ孤独を感じた凪沙の中に慈愛が芽生えていく過程の自然さはこうしたところから生まれていっていると言っていい。

 服部はまだ演技云々を詳しく批評する段階ではないものの、映像の中に立つその姿の美しさと言ったらない。
 体の中にため込んでる感情がそのまま見えるような、あるいはそれを隠れ蓑にしてもっと深い部分で感じている想いを垣間見せているような、すさまじい存在感がある。
 それは映画俳優にはなくてはならないものだ。いや、それが最初の段階で見えることは並みの役者には決してない。ここに刻まれた服部の姿はすべて真実なのだ。

 それぞれの俳優は、短い登場回数の中でも強い印象を残しており、役者の技量をぎりぎりまで高めた内田監督の手腕が評価されるが、特に印象的だったのは水川あさみと真飛聖という2人の女優だ。
 水川はこの物語の中では、育児放棄する母親として嫌われ役だが、後半は、むしろ一果や凪沙の覚悟を問う重要な役回りに変化していく。これまでにほとんど演じたことのない粗暴でとっちらかった役柄だが、迫力十分な演技で、堂々と吐く正論で凪沙を厳しく刺し抜くシーンはぞくっとするほど。

 真飛は、物語に大きな飛躍を与える、バレエの指導者を演じた。一果の才能を見抜き、結果的に凪沙の母性=慈愛までをも引き出した存在だ。
 指導者としての欲も感じさせつつも、やがては純粋にバレエの神に奉仕しようと献身する姿を描き出していて秀逸な演技だった。

 水川はマイナスのベクトルで、真飛はプラスのベクトルで、物語に大きな変化を与えていく存在。物語論の源流にまでさかのぼって議論したくなるような内田監督の構築力の凄さに感嘆する。

 オリジナル脚本ともなると、内田監督自身こだわりは強いはずだが、撮影現場では「希望を描きたくなった」といくつかのシーンを即興で追加したという。どのシーンかは書かないが、登場人物に対する思いがそうさせたのだろう。映画は生きものだが、映画製作もまた生きもの。感情とおなじく常に変化しているのである。

 シーンや物語のエッセンスに「邦画的なもの」が散見されるのもひとつの特徴。エッジのきいた力強さのようなものもきっちりと描き出されている。
 その一方で、この映画を語る上で外せないのが、美しさだ。2人が孤独の深層を通い合わせるうちに出来上がっていく温かい世界観、そして悲しみを伴っても一果の人生を意味あるものにしようと献身していく凪沙の姿、そして何よりクラシックバレエの芸術としての圧倒的な美しさ。音楽を含めたすべての要素が総合芸術として美しいハーモニーを奏でていることが、「追いスワン」とも呼ばれるリピート鑑賞を社会現象にまで引き上げた理由だろう。
 この美しい世界に人々は何度も帰りたくなるのだ。

 出演は、草彅剛、服部樹咲、水川あさみ、田口トモロヲ、真飛聖、根岸季衣、田中俊介、吉村界人、真田怜臣、上野鈴華、佐藤江梨子、平山祐介。

★スタッフは以下の通り
監督・脚本:内田英治
脚本監修:西原さつき
音楽:渋谷慶一郎
エグゼクティブプロデューサー:飯島三智
プロデューサー:森谷雄、森本友里恵
ラインプロデューサー:尾関玄
撮影:伊藤麻樹
照明:井上真吾
美術:我妻弘之
装飾:湯澤幸夫
録音・整音:伊藤裕規
衣裳:川本誠子
コスチュームデザイン:細見佳代
ヘアメイク:板垣美和、永嶋麻子
バレエ監修:千歳美香子
編集:岩切裕一
音響効果:大塚智子
助監督:松倉大夏
制作担当:三浦義信
制作担当:中村元
製作:CULEN
製作プロダクション:アットムービー
配給:キノフィルムズ

 映画『ミッドナイトスワン』は2020年9月25日に封切られ、現在も一部の映画館で上映が続いています。

 上映時間は、約124分。

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